海軍大将コルシンカの航海日誌

ロシアの作曲家リムスキー=コルサコフについてあれこれ

《ドゥビヌシカ》覚書その3~初稿について

2020年04月09日 | 管弦楽曲
リムスキー=コルサコフの《ドゥビヌシカ》には2つの稿があり、現在私たちたちが耳にするのは第2稿の方です。
では初稿はどのようなものだったのでしょうか?
手前味噌ですが、私が以前デスクトップミュージックで作ったものがありますので、貼り付けておきます。
(いろいろと不細工ですがご容赦を)

  Nikolai Rimsky-Korsakov : Dubinushka (Chanson russe), First version
  ♪リムスキー=コルサコフ:《ドゥビヌシカ》(初稿) MP3ファイル


初稿とは知らずに聴き出すと「何が違うんだ?」とお思いになるでしょうけど、あまりにも短いので「もうおしまい?」とツッコミを入れたくなりますね。
作曲者自身もさすがに短すぎると思ったらしく、拡大版として第2稿を書き上げ、こちらが出版(1907年)に至ったという経緯のようです。
(ちなみに初稿は1966年に旧ソ連でリムスキー=コルサコフの全集が出版された際に収録されました。)

さて、初稿と第2稿を比べてみると、曲の長さが一番の相違点ですが、第2稿は単に初稿の後に付け足ししただけではなくて、初稿と重なる部分にもいろいろと手が加えられていて興味深いです。
目立つのは主題がはじめに繰り返しとなる部分で、中音域のピチカート(とそれをなぞるクラリネット)が、初稿では躍動感のある、跳ねるような音型であるのに対して、第2稿では山型のものに変えられていて、どちらかといえば落ち着きのある、どっしりとした雰囲気になっています。
同じ部分の小太鼓も、初稿では少しせわしない感じがしますね。

さらに細かい部分を見ていくと、聴いているだけでは気づきませんが、特にホルンのパートがかなり変えられていることがわかります。
初稿の演奏を耳にした際に、作曲者がまずいと思った部分を改めたということなのでしょうかね。
作品がどのように手を加えられていくのかを辿ることができ、興味深いです。

初稿と第2稿とでは、楽器編成もほぼ同じですが、初稿では任意だったトライアングルとタンブリンが第2稿ではレギュラー化され、また初稿にはなかった合唱が第2稿では任意ながら追加されています。
私の知る限り、合唱付きで演奏された《ドゥビヌシカ》はなくなんとも残念ですが、合唱は曲の最後のほうになって少し登場するだけなので、そのためにわざわざ合唱隊を加えさせるのも現実的には難しいのでしょうね。



《ドゥビヌシカ》覚書その2~「仕事の歌」?

2020年03月30日 | 管弦楽曲
この《ドゥビヌシカ》は、「仕事の歌」とも呼ばれますが、これはどういうことなのでしょうか。
(三省堂『クラシック音楽作品名辞典』によると、リムスキー=コルサコフの《ドゥビヌシカ》の項に「1905年革命のときの革命歌として歌われた『仕事の歌』である」とあります。)

「仕事の歌」という題名は、津川主一によってこの曲が日本語に訳詞された際に付けられた邦題とのこと。
少なくとも「仕事の歌」は原語で用いられているタイトルではないということです。

リムスキー=コルサコフの作品として出版された楽譜には、表紙にロシア語で「ドゥビヌシカ」、フランス語で「ロシアの歌」と記されており、外国人には意味が通じにくい「ドゥビヌシカ」とは別に海外向けのタイトルを付けたようです。

このあたりは海外向けに「ロシアの復活祭」、国内向けに「輝く祝日」と別々につけたのと同様ですね。
面白いのは、わざわざ海外向けに「ロシアの歌」とタイトルをつけたのに、ショボかったのか、こちらはせいぜい副題的に添えられる程度で、海外でもタイトルとしては《ドゥビヌシカ》が定着してしまったことですね。

***

さて、リムスキーの《ドゥビヌシカ》ですが、かのシャリャーピンの歌った「ドゥビヌシカ」や、日本で「仕事の歌」として合唱曲に編曲されたものと比べてみるとまるで違っています。
便宜上、後者二つを「民謡調『ドゥビヌシカ』」としてリムスキーのものと区別しますが、民謡調「ドゥビヌシカ」は哀愁を帯びた中に厳しさも感じられる、いかにもロシアの歌といった風情ですが、リムスキーの《ドゥビヌシカ》はそんな要素はまるでなくて、平和で陽気な行進曲となっております。

私は民謡調「ドゥビヌシカ」よりも前にリムスキーの《ドゥビヌシカ》を知ってしまったので、民謡調「ドゥビヌシカ」を聴いた時に、リムスキーの作品で使われているメロディーが全く登場しないので非常に困惑したものです。

両者の音楽的な違いについてあまり言及されたものはありませんが、カワイ出版『ロシア音楽事典』の「ドゥビーヌシカ」の項に手掛かりになるような記述があります。
以下、同項の記述をもとに箇条書きにしていくと、

①1865年に発表されたボグダーノフの詩により1880年代から歌われていた
②1870年頃にオリヒンにより革命歌に改作 ← ①の「1880年代から歌われていた」ものとは別のもの?
③スローノフによって作曲されたものをシャリャーピンもレパートリーにしていた ← ①②とはまた別のもの?
④1905年前後には労働者によって広く歌われた ← これは③のことですかね?
⑤この歌のリフレインは・・・古い労働歌を、歌詞と旋律の両方で借用したもので ← 「この歌」とは③のこと?
⑥同じく《ドゥビーヌシカ》と呼ばれた ← 歌詞と旋律だけでなく、題名も同じになったということ?
⑦これは港湾労働者を組織した・・・組合の歌の題名だった ← ①②は《ドゥビーヌシカ》とは呼ばれていなかった?
⑧この古い労働歌の《ドゥビーヌシカ》はリームスキイ=コールサコフがオーケストラと合唱のために編曲


ということになりますが、この事典の記述は時系列というか、前後の関係がよくわからないのが難点(特に①から③に至る経緯)。
ただ⑦と⑧から、リムスキーの《ドゥビヌシカ》のルーツは港湾労働者の組合の歌である「古い労働歌」ということははっきりしました。

一方、シャリャーピンの③の歌が、「古い労働歌」の歌詞や旋律の一部を拝借し、同じ「ドゥビーヌシュカ」で呼ばれたということなら、③はいわば体の一部を移植手術したものの、もともとの「古い労働歌」とは別物と捉えるべきなのでしょう。

こうしたいきさつを鑑みれば、民謡調「ドゥビヌシカ」とリムスキーの《ドゥビヌシカ》が似ていないの理解できます。
逆に、よく聞いてみると、民謡調「ドゥビヌシカ」のリフレインの「Эх, дубинушка, ухнем!」は、リムスキーの《ドゥビヌシカ》の主題を短調に変換したように聞こえなくもないですね。
ついでながら、冒頭に掲げた「1905年革命のときの革命歌として歌われた『仕事の歌』である」との記述は、これまで見てきたとおり説明としては適切でないように思われます。

さて「ドゥビヌシカ」は、バリエーションが非常にたくさんあるらしく、それらを一つ一つ解明していくのは相当困難なことのようです。
肝心のリムスキーの《ドゥビヌシカ》の元ネタであるらしい「古い労働歌」も、ネットで探した範囲では見つけることができませんでした。
《ドゥビヌシカ》の元ネタのメロディを突き止めるのは今後の課題です。

《ドゥビヌシカ》覚書その1~初めて聴いた時の想い出

2020年03月26日 | 管弦楽曲
リムスキー=コルサコフの晩年の作品である《ドゥビヌシカ》は、今でこそ複数の音源があり、ネットでも探せば簡単に見つかり手軽に聴ける作品ですが、昔はいわゆる文献上でしか存在を知らない、まあ「幻の音楽」だったわけです。

私がリムスキーの作品に興味を持ち始め、《シェヘラザード》などの有名曲以外の音楽にも食指を伸ばしていた頃は、クラシックでもポツポツとCDがようやく出回り始めた時期だったので、珍しい作品はまだレコードでしか、それもロシアものとなると、神田にあった新世界レコード社を経由して国内販売されていたメロデイア盤に頼らざるを得ない状況でした。

ある時たまたま入った、特にマニア臭もない普通のレコード屋に、どういうわけか新世界レコードのメロデイア盤が複数置いてあって、その中に《ドゥビヌシカ》が収録されているスヴェトラノフ指揮のリムスキー管弦楽曲集があったので、私は狂喜乱舞してすぐに買い求めたのでした。

早速帰宅してはやる気持ちを抑えつつターンテーブルにセットして針を落とそうとしたのですが、テーブルが回らない。
(ステレオのアンプが壊れていたのでラジカセに接続していました。)
どういうことかと点検してみると、モーターからターンテーブルに回転を伝達するゴムベルトが伸びきっていたのですね。

ここで替えのゴムベルトを注文してなどとやっていると、せっかくの《ドゥビヌシカ》がお預けになってしまう。
私にはそんな我慢は出来ない相談だったので、伸びたゴムを適当な長さになるようカットして、ごく小さな断面を瞬間接着剤で注意深く接合させて応急復旧。
さあいよいよ幻の音楽と初めてのご対面です(正座)。

すると、あの「ズッタタタンタン」というリズムの刻みに乗せて登場するトランペットによる主題。
親しみやすい陽気なメロディーです。
そしてピチカートと小太鼓がリズムに加わり、メロディーに木管が重なって華やかさを増す。
いったんごく短くまとめてから、トランペットはリズムにまわって今度は弦により主題が堂々と力強く奏でられます。
メロディが弦の高音域に移って中音域がスカスカになったところに、バーン!と金管による主題がなだれ込んでくる...

そんな音楽を、私は応急修理で回転数が一定にならないレコードプレーヤーで、しかも音質の悪いラジカセのスピーカーから聴いていたのでした。
古い蓄音機から流れてくるような不安定なメロディー。

しかし、これが期せずして、遠い異国で昔に起きた出来事の様子を、時空を超えて耳にしているかのような効果を生んでしまったのですね。
この作品の歴史的な背景は知っていましたから、あたかも民衆がプラカードを掲げて行進をしているのを目の当たりにしているような錯覚すら覚えたものです。
再生装置としてはひどい状況だったのが、《ドゥビヌシカ》とは妙にシンクロして、かえって強烈な印象として残ることになったのでした。

***

後から知りましたが、スヴェトラノフの《ドゥビヌシカ》はテンポが楽譜の指定よりもゆっくりなんですね。
これが重厚な金管とあいまって、よく言われる「重戦車」のような感じを出していますが、軽快な小太鼓によって程よく中和されていて、バランスの良い演奏になっていると思います。

いくつかある《ドゥビヌシカ》の演奏ですが、個人的にはやはりこのスヴェトラノフのものが群を抜いていると感じますね。