海軍大将コルシンカの航海日誌

ロシアの作曲家リムスキー=コルサコフについてあれこれ

《ロシアの復活祭》覚書その4~タイトルを考える

2020年02月19日 | 《ロシアの復活祭》
覚書その4は《ロシアの復活祭》のタイトルについて考えてみたいと思います。
とはいえ毎度のことですが、専門家でもないわたくしがグダグダと推論を述べているだけで、間違っていることも大アリということをはじめにお断りしておきます。


(モスクワ旅行の際の一コマ。おタマゴ様のオブジェが教会内に...)


さて、すでに述べたとおり、この作品のタイトルはロシア語とフランス語(に代表される「ロシアの復活祭」という題名)が並記されていますが、両者の違いは、この作品を聴く上での一つの手掛かりになると思うのです。

まずロシア語のタイトルである「Светлый праздник」は一般に「輝く祝日」というような訳語があてがわれています。
ロシア語の「светлый」には様々な意味があり、手元の博友社ロシア語辞典でも「明るく光る、輝く」「明るい、晴れた」「透明な、澄んだ」「晴ればれした、楽しい」といった意味が掲載されています。
一方の「праздник」は「祝日、祭日」「休日」「(宗教・風習上の)祭日」「お祝いの日」。

それぞれ一つ目の訳語を組み合わせると<輝く祝日>などという奇妙な邦訳タイトルが誕生するわけですが、これだけをみてもわれわれ日本人(というかロシア以外の外国人)にはピンときませんよね。
この場合の「светлый」は、どちらかというと「晴ればれした、楽しい」のほうが相応しいと思えますが、面倒なのでここではいったん「Светлый праздник」を「輝く祝日」としておきます。

(ついでながら、ショスタコーヴィチに《明るい小川》 Светлый ручей という、これまた妙なタイトルのバレエ作品がありますが、陽キャじゃあるまいし、こちらの「светлый」は、水面がキラキラ輝くとか、水が澄んでいるとかいう意味なのではなかろうか...。)

それゆえ、ロシア以外にはわかりにくい「輝く祝日」ではなく「ロシアの復活祭」というタイトルにしたということなのですが、むべなるかなですね。
今確認できませんが、そのような説明をどこかで読んだことがあります。

ここで、この「Светлый праздник」については、解説書の類では「ロシアでは復活祭のことを<輝く祝日>と呼ぶので、一般に「ロシアの復活祭」というような訳題を付けている」(前掲「名曲解説」)ともっともらしく語っていますが、本当にそうなのでしょうか?

ロシア語では「Пасха」という復活祭を示す単語がちゃんとありますので、「Светлый праздник」が「復活祭」そのものを指しているわけではないように思います。
「Светлый праздник Пасхи」(復活祭の輝く祝日)という言葉もあるくらいなので、「復活祭のことを<輝く祝日>と呼ぶ」とするのは厳密には誤りのような気がします。

やはり「Светлый праздник」は字義どおり「輝く祝日」としてとらえるのが妥当でしょう。
先ほどの解説に手を入れるなら、「ロシアでは復活祭が行われる日を<輝く祝日>と呼ぶのだが、ロシア以外ではわかりやすさを優先して「ロシアの復活祭」というような訳題を付けている」となるでしょう。

「Светлый праздник」とは、あくまで「復活祭が行われる、晴ればれとした楽しい祝日」のことであって、教会行事としての復活祭だけでなく、その周辺も含めての空間的な広がりや、春を迎えた気象や風景、さらにはその日のうきうきした人々の生活や気持ちまでをも混然と含んだ、1年で最も素晴らしい日のことを表しているのではないかと思うのですね。

そして、その日の情景を表現したのが《ロシアの復活祭》という作品であると考えれば、作曲者がこの作品について「(Русская) Пасха」とせずに「Светлый праздник」というタイトルを付けたことや、この作品に関する自伝の記述内容もなんとなく見えてくるものがあるように思えるのですが、いかがでしょうか?

《ロシアの復活祭》覚書その3~聖歌の元ネタ探し

2020年02月18日 | 《ロシアの復活祭》
覚書その3は、《ロシアの復活祭》で用いられている聖歌の元ネタ探しです。
自伝で言及されている3つの聖歌のオリジナルがどのようなものなのかを確認しようとする企てです。
結論を先に書くと、作品の冒頭で聴かれる聖歌以外は突き止めることができず、継続調査ということになりました。(スミマセン)

さて、自伝で挙げられているのは次の聖歌です。
題名は自伝でのロシア語表記と、かっこ書でオイレンブルクの解説の日本語訳の邦題、その下に参考までに音楽之友社『作曲家別名曲解説ライブラリー「ロシア国民楽派」』の《ロシアの復活祭》の解説(以下「名曲解説」)で用いられている邦題と譜例番号を記しておきます。

<聖歌1> "Да воскреснет Бог" (主を呼び起こそう) 
名曲解説‥‥願わくは神おきたまえ [譜例1]

<聖歌2> "Ангел вопияше" (嘆く天使) 
名曲解説‥‥天使は嘆く [譜例3]

<聖歌3> "Христос воскресе" (キリストは復活した) 
名曲解説‥‥キリストは起てり [譜例6]

名曲解説では、以上のほかにアレグロの冒頭のメロディ(譜例4)も、聖歌「神をにくむものは御前より逃げ去らんことを」としていますが、これには疑問があります。
このメロディーは<聖歌1>の終わりの部分から派生したものであるように感じられることと、自伝では「 ”да бегут от лица Его ненавидящие”」 (憎しみを抱く者たちも、主の面前で逃避させよう)と書かれていて、曲名のように最初の文字が大文字となっていないことから、聖歌の題名ではなくプログラムで記された聖書の文章を引用した部分ではないかと考えられることがその理由です。

3つのうち重要なのは、<聖歌1>と<聖歌3>です。
覚書その2でご紹介した四手版楽譜の扉に記されていたのがこの2つの聖歌です。
<聖歌3>については自伝にも「この序曲の第2の主題を形成するといえる『オビホード』からのテーマ『キリストは復活した』」と書かれていますね。
「第1の主題」については明言されていませんが、<聖歌1>であることに異論は出ないでしょう。

前置きが長くなりましたが、ネットで見つけられたのは<聖歌1> "Да воскреснет Бог" (主を呼び起こそう)だけでした。
この聖歌が聞ける動画は数種類ありますので、それをご紹介します。

"Да воскреснет Бог" Стихиры Пасхи Зосимовой пустыни гарм. иером. Нафанаил
https://www.youtube.com/watch?v=Z76baGeei9M
手書きの楽譜・歌詞付きの動画です。

Пасхальный тропарь Хор Сретенского
https://www.youtube.com/watch?v=cZM6xY0ldVk
上記のものとは少し違います。いろいろなヴァリエーションがあるようですね。

Учимся петь: стихиры Пасхи
https://www.youtube.com/watch?v=oA__eI7asp4
こちらは練習用なのでしょうか。歌詞付きの動画です。登場する二人も妙なる組み合わせです。

Да воскреснет Бог! Христос Воскресе из мертвых. Праздник в Духовной Академии Christ Is Risen! Russia
https://www.youtube.com/watch?v=WahhtaaAIio
実際の復活祭での様子を収めた動画です。<聖歌1>が登場するのは3:41あたりから。

聖歌は同じ題名でもいくつものメロディーがあって特定するのはなかなか大変です。
探し方が悪いだけかもしれませんが、<聖歌2><聖歌3>とも題名で検索をかけても《ロシアの復活祭》で用いられたメロディとは異なるものしか出てこなくて、頓挫してしまいました。

ところでかなり前の話ですが、私がチフヴィンのリムスキー=コルサコフ生家博物館を訪れた際に、学芸員の女性が《ロシアの復活祭》のメロディーをハミングしながら、リムスキー=コルサコフは幼年時代に家のすぐ近くにある修道院で聞いた旋律をこの作品に取り入れたのだと教えてくれました。
そのメロディーは<聖歌2>だったと記憶しているのですが、今となってはもうはっきりとは思い出せないのが残念です。


《ロシアの復活祭》覚書その2~楽譜編

2020年02月17日 | 《ロシアの復活祭》
覚書その2は《ロシアの復活祭》の楽譜について。
ネットで調べるとこの作品の様々な楽譜が出版されているようですが、ここでは私が所持している3点をご紹介しましょう。

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一つ目はオーケストラのポケットスコア。
おなじみ黄色のオイレンブルクから出版されているものですが、ありがたいことに全音から日本語版が出ています。
作曲者自身が付けたプログラムや解説が日本語で直接読めるのがいいですね。



このオイレンブルクのスコアの解説文、というか最初と最後の数行以外は丸ごとリムスキー=コルサコフの自伝における《ロシアの復活祭》該当部分を引用しただけの代物ですが、この部分はかつて日本で出版されていた彼の自伝の邦訳版ではカットされてしまっていた内容なので、この楽譜で読めるのはむしろ好都合。
解説文(?)の執筆者の手抜きなのか、「テキトーな解説を書くくらいなら自伝を引用するほうが価値がある」との信念に基づいてのことなのかは不明ですが、いずれにせよ、この作品の作曲者の意図が直接読み取れるという点でこの楽譜はオススメできます。

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二つ目はピアノ連弾用に編曲された楽譜です。

覚書その1で少し触れたように、《ロシアの復活祭》のピアノ編曲版は作曲者自身の手によるものではありませんが、この四手版(編曲はロシアの作曲家・ピアニストのシギズムンド・ブルーメンフェルト〔1852-1920〕。作曲者の弟子)と、後で紹介するピアノソロ版ともどもリムスキー存命中にベリャーエフから出版されているので、いずれも作曲者公認とみてよいでしょう。
私の持っているこの楽譜が、1890年の出版当初時のものか、のちの復刻版なのか判りませんが、いろいろと味わい深いものなので少し詳しく見ていくことにします。

まず表紙。昔のベリャーエフの楽譜ではよく見かけるデザインで、飾り枠の中にタイトルや作曲者名などがロシア語とフランス語とが並記されています。
ちなみにこの曲のロシア語でのタイトルは「輝かしい祝日」で、「ロシアの復活祭」は俗称みたいな言われ方をすることがありますが、フランス語では写真のとおり「(大いなる)ロシアの復活祭」となっていますから、別に間違いということでもなさそうです。



一枚めくると色鮮やかな扉が登場します。表紙がモノクロで内側がカラーとなっているのは当時の装丁のやり方なのでしょうかね。



幾何学的な美しい文様に教会スラブ語というのか、古めかしい書体でタイトルなどが記載されています。
注目したいのは、中ほどにある2行の楽譜。
その上に「オビホードからの主題に基づく」とあり、譜例として2つのメロディが挙げられている形です。
一つ目がこの作品の冒頭の主題、二つ目が中間部の優しい感じの旋律です。
これら聖歌から引用されたという主題については改めて触れることにしましょう。

もう一枚めくると、手書きの文字が。



こちらもロシア語とフランス語の両方で「ムソルグスキーとボロディンの想い出に」と書かれています。
確証は持てませんが、筆跡の感じからしてこれはおそらくリムスキー=コルサコフ本人の自筆(の印刷)だろうと思われます。
そういえば《ロシアの復活祭》は亡き友人ふたりに捧げられた作品でしたね。

さらにめくると、この作品のプログラムです。



やはりロシア語とフランス語との並記です。
面白いのが上段のロシア語の部分。
《ロシアの復活祭》のプログラムは3つの部分からなっていますが、はじめの二つは聖書からの引用で、書体も古めかしい教会スラブ語らしき文字で記されているのに対して、作曲者自身が書いたという三つ目の文章は、普通の(当時の)書体になっています。
別に全部の書体を統一すればいいのにと思ったりもするのですが、律儀というか、聖なる文章と俗世間の人間の書いた文章は区別しなければならないといった決まりでもあったのでしょうか。
フランス語はすべて同じ書体なのですけどね。

その次からようやく楽譜の本体部分となります。
四手ですから、見開きの左側が第二奏者、右が第一奏者の譜面となってますね。



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三つ目は、ピアノソロ編曲版です。



同じくベリャーエフからの出版ですが、先ほどの四手版に比べると装丁はあっさりしたもので、こちらはフランス語のみの表記。
中身もプログラムが四手版と同じものが掲げられているほかは、これといった特徴はありません。



ただこちらは覚書その1で触れたように、YouTubeに演奏されたものがアップされていますので、ピアノが弾けなくても楽しめるという利点はありますね。
四手版の演奏も聞いてみたいのですが、残念ながら今のところは録音等はなさそうです。

《ロシアの復活祭》覚書その1~動画編

2020年02月16日 | 《ロシアの復活祭》
もうおねいさんがノリノリなのです。

リムスキー=コルサコフの《ロシアの復活祭》について調べていた時に見つけたこちらの動画。
これを視聴しているうちに私はティンパニ奏者の動きにすっかり虜になってしまい、以来この動画を見る時は最初から最後まで彼女に釘付けになってしまっているのでした。

Н. Римский-Корсаков. «Светлый праздник», соч. 36. Дирижер - В. Полянский.


このノリは「スネアのおっさん」ならぬ「ティンパのおねいさん」ですよ。

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《ロシアの復活祭》は、言うまでもなくリムスキーコルサコフの代表作の一つである華やかな管弦楽曲です。
同じく代表作とされる作品番号が連続する三つの作品では、大作である《シェヘラザード》を別にすると、私は同じ程度の演奏時間である《スペイン奇想曲》よりも《ロシアの復活祭》の方が格段に好きで、かつてはロジェストヴェンスキー指揮パリ管弦楽団の演奏を愛聴していたものです。

さて、《ロシアの復活祭》は文字どおりロシアの復活祭の情景を描いた標題音楽なのですが、私は以前からこの標題と中間部の曲想(導入部の後のアレグロ・アジタートの部分)には違和感を感じていて、それは作曲者が描きたかったという、「ロシア正教の復活祭の朝の祝祭的雰囲気」なるものが、このような音楽なのか?ということだったのです。

そのあたりは後に改めて触れるとして、このモヤモヤ感が晴れるような手掛かりでも無いものかとあれこれ調べだしたのですが、その過程で見つけたのが先ほどの動画です。
この演奏、というかティンパニ奏者を見ていると、アレグロの部分も「楽しいんでしょ?だったらいいじゃない」とでも言われているようで、まあそんなに小難しく考えなくたっていいような気がだんだんとしてきたのですね。

彼女の演奏は跳ぶようにばちを叩いたりしてなかなかダイナミックですが、自分の出番がない合間にも身体を揺すっていたり(オーケストラというよりロックのノリ)、とにかくこの曲を演奏することが楽しくて仕方がないというような喜びようが伝わってくるのです。
曲の最後の一撃と続くロールもバッチリ決まっています。

ノリが良すぎたのか、曲の途中でティンパニの前で演奏している神経質そうなトランペット奏者がチラチラ彼女の方を気にしていて、さすがにたまりかねてか、演奏の途中にもかかわらず、何やら注意をしているようです(11:55あたりから)。
彼女は「ほーん、で?」とでも言っているのでしょうか、このあたりのやりとりも何だか可笑しく感じられます。

この動画でもう一つよいのは、彼女の演奏するティンパニの音がよく聴こえてくること。
一般的にオーケストラの作品では、ラッパや太鼓のやかましい音は編集時に抑えられる傾向があるようで、私はそれが少々不満だったりしていたのですが、この《ロシアの復活祭》を視聴して、この作品でこんなにティンパニが鳴っていることに初めて気が付きました。
今さらですが新鮮な驚きでしたね。

***

関連してですが、《ロシアの復活祭》のユニークなほかの動画を三つご紹介しておきましょう。

Russian Easter Festival, Op. 36 (Arranged for Solo Piano by Paul Gilson)
https://www.youtube.com/watch?v=-hR865vN5lM

《ロシアの復活祭》のピアノソロ版です。
《シェヘラザード》や《スペイン奇想曲》は作曲者自身によるピアノ四手連弾のアレンジがあり、録音もありますが、《ロシアの復活祭》は作曲者ではなく別人の手によるものであるせいか、演奏される機会があまりないようです。
こちらはポール・ジルソン(1865-1942)によるソロ・ピアノ版。ジルソンはリムスキー=コルサコフとほぼ同時代のベルギーの作曲家で、《ロシアの復活祭》以外にも《シェヘラザード》のピアノ・ソロ用の編曲を手掛けております。
演奏は所々「ん?」というような箇所がありますが、珍しいピアノ・ソロを弾いてくれただけでもありがたいと思うことにしましょう。


N. Rimsky-Korsakov - Russian Easter Festival Overture
(Daria Burlak, organ - own transcription)
https://www.youtube.com/watch?v=1emJaOH5kSE

続いてはオルガンによる《ロシアの復活祭》。
演奏者自身によるアレンジとのことですが、この作品の曲想とオルガンの相性が良いようで面白く聴けます。
出だしの部分はオーケストラの演奏の雰囲気ととてもよく似ていますね。


Н.А. Римский Корсаков - Светлый праздник
https://www.youtube.com/watch?v=iGdebO0xyN8

最後はロシア民族楽器オーケストラによる演奏。
この種の楽団はアンドレーエフやオシポフのものが有名ですが、この動画のオーケストラはエフゲニー・トリシン記念となっていて詳細は不明。