これまで《不死身のカシチェイ》に登場するキャラ評を書いてきましたが、登場人物は他にもいて(イヴァン・コローレヴィチと見飽きぬ美の王女)、しかし彼等の役どころで取り立てて新しい発見は今回の公演では特にありませんでした。
イヴァン・コローレヴィチは、ある意味リムスキーのオペラでの弱点の一つと言ってもいいかもしれませんが、彼のオペラの登場人物における典型的な「何もしない」ヒーローであって、存在感がいま一つなんです。
《ムラダ》のヤロミールしかり、《皇帝の花嫁》のルイコフしかり。イヴァン・コローレヴィチも何もしていないのに、カシチェエヴナからの殺害を免れ、何もしないのに嵐の勇士の用意した空飛ぶじゅうたんで王女と再会し、フィナーレにおいても彼は何ら筋書きに関与をしていないのですね。
ここら辺がもう少し練れていれば、あるいはこのオペラ(というかリムスキーのオペラ全般にも当てはまるかもしれませんが)も今よりは世に受け入れられたのではないかとも思うのです。
見飽きぬ美の王女については、こちらもリムスキーのオペラにおける「子守唄の系譜」なるものが存在していて(《サトコ》《貴族婦人ヴェラ・シェロガ》《皇帝サルタンの物語》《パン・ヴォエヴォーダ》《金鶏》)、彼女の歌ういびつな子守唄をこの系譜上で論じるときっと面白いことがわかるのでしょうけど、ちょっと私には手に負えません。
以上の二人にはあまり発見はないといいましたが、今回の公演でイヴァン・コローレヴィチを演じたアレクサンドル・ゲルガロフ、王女役のマリーナ・シャグチともにマリインスキー劇場のソリストであるばかりか、ゲルギエフ指揮の元で録音された《不死身のカシチェイ》(PHILIPS)で同じ役で出演していましたから、配役としては申し分のないところ。
シャグチのあの立派な体格はビジュアル重視の昨今の状況では、オペラの公演ではなかなかツライものがあると思いますが、彼女のくぐもってて個人的にはあまり好きでなかった声質も、今回聞いてみると意外にクリヤーな感じで、十分に楽しむことができました。
ゲルガロフの方は一か所だけ声が割れかけてドキリとしましたが、声量も十分あって貫禄勝ち。
オーケストラの演奏の方ですが、まずは申し分のないものでした。
細かいところをいえば、せっかく用意したチェレスタの音がかき消されて聞こえにくかったとか、第2場の終わりで大太鼓とシンバルが同時に強打するところが物足りなかったとかあるのですが、まあ、録音で聴くようにはいかないのでしょう。
コンマスのブロンド美女は、《カシチェイ》の前の《シェヘラザード》では、スレンダーボディをまるで鞭がしなるようなオーバーな動作でタイミングを取っていたのが目に付いたのですが、オペラの方では私の視線はシェバチカたんの方に行ってしまっていたので、同じようにしなっていたのかどうか...。
合唱は指定のとおり舞台裏からでした。
私の好きな吹雪の場面は、通常のテンポよりもかなり速く演奏されていたのですが、合唱の方はオケよりもわずかに早く歌ってしまっていて、ここは聴いていてかなりヒヤヒヤしたところ。
私は前の方の席だったので、ステージの袖で合唱指揮者が振っている赤い光を発する指揮棒の動きもよく見えたのですが、合唱はどうもその指揮よりもテンポが速めでやや暴走ぎみだったように思います。
今回の公演はステージ形式でしたので、舞台装置も何もありませんでしたが、登場人物は実際のオペラのように出たり入ったりをしたほか、ソリスト用の譜面台には、鏡や杯、刀といった小道具も用意されていました。
演出ということでもないのでしょうけど、一応舞台上の照明は場面に合わせて色を変えたり明暗をつけたりしていました。
私が好きな第1場の終わりの管弦楽だけで奏される少し長めの間奏部分で、暗闇の中からうっすらと光が漏れてこようとしながらも、やがて元の暗黒の世界に戻ってしまう───という部分では、照明もそれに合わせて明暗をつけてくれればいっそう良かったのに...とまあ、これは無い物ねだりですね。
オペラは原語のロシア語で演奏され、舞台両側には字幕が出ておりましたので、筋を理解するのには非常に便利でした。
ただ、聴いていて思ったのですが、このオペラでは重唱のところでそれぞれの登場人物が結構重要なことを言っていたりして、それが字幕には反映しきれてない部分もあっため、字幕だけで筋を追っていた人には、何のことやらと思う場面もあったのではないでしょうか。
《カシチェイ》の録音は3種類ほど出ていますが、国内盤として日本語訳のついたものはないだけに、私なぞは字幕付きで《カシチェイ》を観れるというだけで感謝感激(感謝観劇?)だったのですが、初めて観られた方には、その点、少々不満だったかもしれませんね。
イヴァン・コローレヴィチは、ある意味リムスキーのオペラでの弱点の一つと言ってもいいかもしれませんが、彼のオペラの登場人物における典型的な「何もしない」ヒーローであって、存在感がいま一つなんです。
《ムラダ》のヤロミールしかり、《皇帝の花嫁》のルイコフしかり。イヴァン・コローレヴィチも何もしていないのに、カシチェエヴナからの殺害を免れ、何もしないのに嵐の勇士の用意した空飛ぶじゅうたんで王女と再会し、フィナーレにおいても彼は何ら筋書きに関与をしていないのですね。
ここら辺がもう少し練れていれば、あるいはこのオペラ(というかリムスキーのオペラ全般にも当てはまるかもしれませんが)も今よりは世に受け入れられたのではないかとも思うのです。
見飽きぬ美の王女については、こちらもリムスキーのオペラにおける「子守唄の系譜」なるものが存在していて(《サトコ》《貴族婦人ヴェラ・シェロガ》《皇帝サルタンの物語》《パン・ヴォエヴォーダ》《金鶏》)、彼女の歌ういびつな子守唄をこの系譜上で論じるときっと面白いことがわかるのでしょうけど、ちょっと私には手に負えません。
以上の二人にはあまり発見はないといいましたが、今回の公演でイヴァン・コローレヴィチを演じたアレクサンドル・ゲルガロフ、王女役のマリーナ・シャグチともにマリインスキー劇場のソリストであるばかりか、ゲルギエフ指揮の元で録音された《不死身のカシチェイ》(PHILIPS)で同じ役で出演していましたから、配役としては申し分のないところ。
シャグチのあの立派な体格はビジュアル重視の昨今の状況では、オペラの公演ではなかなかツライものがあると思いますが、彼女のくぐもってて個人的にはあまり好きでなかった声質も、今回聞いてみると意外にクリヤーな感じで、十分に楽しむことができました。
ゲルガロフの方は一か所だけ声が割れかけてドキリとしましたが、声量も十分あって貫禄勝ち。
オーケストラの演奏の方ですが、まずは申し分のないものでした。
細かいところをいえば、せっかく用意したチェレスタの音がかき消されて聞こえにくかったとか、第2場の終わりで大太鼓とシンバルが同時に強打するところが物足りなかったとかあるのですが、まあ、録音で聴くようにはいかないのでしょう。
コンマスのブロンド美女は、《カシチェイ》の前の《シェヘラザード》では、スレンダーボディをまるで鞭がしなるようなオーバーな動作でタイミングを取っていたのが目に付いたのですが、オペラの方では私の視線はシェバチカたんの方に行ってしまっていたので、同じようにしなっていたのかどうか...。
合唱は指定のとおり舞台裏からでした。
私の好きな吹雪の場面は、通常のテンポよりもかなり速く演奏されていたのですが、合唱の方はオケよりもわずかに早く歌ってしまっていて、ここは聴いていてかなりヒヤヒヤしたところ。
私は前の方の席だったので、ステージの袖で合唱指揮者が振っている赤い光を発する指揮棒の動きもよく見えたのですが、合唱はどうもその指揮よりもテンポが速めでやや暴走ぎみだったように思います。
今回の公演はステージ形式でしたので、舞台装置も何もありませんでしたが、登場人物は実際のオペラのように出たり入ったりをしたほか、ソリスト用の譜面台には、鏡や杯、刀といった小道具も用意されていました。
演出ということでもないのでしょうけど、一応舞台上の照明は場面に合わせて色を変えたり明暗をつけたりしていました。
私が好きな第1場の終わりの管弦楽だけで奏される少し長めの間奏部分で、暗闇の中からうっすらと光が漏れてこようとしながらも、やがて元の暗黒の世界に戻ってしまう───という部分では、照明もそれに合わせて明暗をつけてくれればいっそう良かったのに...とまあ、これは無い物ねだりですね。
オペラは原語のロシア語で演奏され、舞台両側には字幕が出ておりましたので、筋を理解するのには非常に便利でした。
ただ、聴いていて思ったのですが、このオペラでは重唱のところでそれぞれの登場人物が結構重要なことを言っていたりして、それが字幕には反映しきれてない部分もあっため、字幕だけで筋を追っていた人には、何のことやらと思う場面もあったのではないでしょうか。
《カシチェイ》の録音は3種類ほど出ていますが、国内盤として日本語訳のついたものはないだけに、私なぞは字幕付きで《カシチェイ》を観れるというだけで感謝感激(感謝観劇?)だったのですが、初めて観られた方には、その点、少々不満だったかもしれませんね。