海軍大将コルシンカの航海日誌

ロシアの作曲家リムスキー=コルサコフについてあれこれ

《ロシアの復活祭》覚書その11~禁じられた御前演奏

2021年07月13日 | 《ロシアの復活祭》
リムスキー=コルサコフの作品は、体制側からしばしば(というか結構)にらまれて一悶着を起こすことがありますが、《ロシアの復活祭》もご多分に漏れなかったようです。

作曲家の妻であるナデジダがヤストレプツェフ(リムスキー=コルサコフの伝記作家)に語ったところによると、ロシア皇帝アレキサンドル3世はリムスキー=コルサコフの作品を好んでおらず、《ロシアの復活祭》が皇帝のために演奏された後に「二度と私の前でこの曲を演奏するな」と言ったというのです(『リムスキー=コルサコフの思い出』1895年4月14日の記事)。

もともとアレキサンドル3世は、リムスキー=コルサコフのみならず、新ロシア楽派の作品に全く関心がなかったらしいのですが、その一方で彼は自らトロンボーンを吹く演奏家でもあったようで、皇太子時代にはリムスキー=コルサコフに命じて、トロンボーンとオーケストラの演奏会をさせていたとも言われています(ロシア語版ウィキペディア)。

まさか演奏禁止の理由は、トロンボーン演奏家として《ロシアの復活祭》のソロ部分が気に入らなかった、なんてことはないでしょうね(?)

《ロシアの復活祭》覚書その10~《キーテジ》に使われていた聖歌

2021年07月12日 | 《ロシアの復活祭》
《ロシアの復活祭》で用いられている聖歌の元ネタ探しで、どうにも手がかりが得られなくて手詰まり感のあった<聖歌2>「天使は嘆く」(「嘆く」は誤訳と思われますが、面倒なのでそのままにしておきます)ですが、ひょんなことから、リムスキー=コルサコフの歌劇で用いられていたことに気付きました。

それは彼の晩年の大作《見えざる町キーテジ》。第3幕第1場で、タタール軍に攻められ、大キーテジの町(城壁都市)に立てこもる人々が、凄惨な状況の中で聖母に救いを求めて合唱する場面です。

この聖歌は、はじめは男声のみの3オクターブのユニゾンで歌われますが(練習番号161の4小節目。下の譜例)、少年兵やユーリ公の台詞を挟んで、2度目(練習番号167)は女声の対旋律が加わり、3度目(練習番号)はカノン風へと形を変えるなど、表現力を増しつつ繰り返し歌われます。



《キーテジ》のこの聖歌は《ロシアの復活祭》で用いられたメロディーと比較すると、出だしの音が四分音符で刻まれていたり、音の長さが一部異なっていたりしているものの、経時的な音の上昇下降はまさに同一です。

むしろ《キーテジ》のほうが慎ましく厳かで、聖母に祈りを捧げるためのもの、まさに聖歌という雰囲気を保っており、これは想像の域を出ませんが、リムスキー=コルサコフが引用した元の聖歌もひょっとしたら上の譜例のようなものか、あるいはそのものだったかもしれません。

私は、彼の作品の中で《ロシアの復活祭》以外に「天使は嘆く」が登場しているなどとは思いもよらなかったので、この発見(?)には少々びっくりしました。

これまで「天使は嘆く」の元ネタを相当しつこく探してきましたが、なかなか突き止めることができないので、「本当にこれは聖歌なのか」という疑いも実は起きつつあつたのですが、この《キーテジ》での用例を知ったことでそれも払拭できそうです。

さて、リムスキー=コルサコフが《キーテジ》を作曲する際に、故郷チフヴィンの修道院(彼の生家からは当時この修道院がよく見えた)を思い起こしたという話があります。

私がこの生家博物館の学芸員から聞いた(と、うっすら記憶している)「リムスキー=コルサコフは、《ロシアの復活祭》での聖歌をチフヴィン修道院で歌われていたものから採った」という話と合わせると、子供の頃に聞いた「天使は嘆く」のメロディーは、生涯にわたって故郷の記憶として彼の心の中にとどまっていたということになるでしょうか。

ニ長調は黄金色?

2021年07月11日 | R=コルサコフ
リムスキー=コルサコフが「色聴」という共感覚の持ち主だったことはよく知られており、この手の話には彼のことがよく引き合いに出されています。

最近、色聴について脳科学的な視点から切り込んだ『ドレミファソラシは虹の色?~知られざる「共感覚」の世界』(伊藤浩介著・光文社新書)という新書が刊行されましたが、その驚くべき内容は本書をご覧いただくとして、こちらの本にもやはりリムスキー=コルサコフが登場。

その一つに、これも音楽関係の書籍でしばしば言及される、パリの街角でのスクリャービンとラフマニノフとの間で交わされた色聴に関する議論のエピソードがあったのですが、この話には自分の知らなかった「オチ」があったようです。

このエピソードとは、リムスキー=コルサコフとスクリャービン(両者とも共感覚所有)とが調性と色彩の関係をめぐり大論争になったのを、それに懐疑的なラフマニノフが仲裁したというもの。

チャイコフスキー亡き後のロシアの楽壇を代表する老大家リムスキー=コルサコフと、半きちがい(リムスキー評)のスクリャービン、モスクワの秀才(同)ラフマニノフの老若3人がパリのカフェでマニアックな議論で盛り上がっている光景を想像すると、なんだか可笑しくなりますが、「オチ」というのは、実は仲裁に入ったはずのラフマニノフがリムスキー=コルサコフから反撃を食らって、それには反論できずにいたらしいことなのです。

「ほら!」突然大きな声をあげて、リムスキー=コルサコフ先生が私に向き直った。「君の作品自体が、その証拠じゃないか。『けちな騎士』で、男爵が箱を開けると、金や宝石がたいまつの明かりできらきらと輝く場面があるだろ?」
 たしかに私は、その自作オペラのパッセージがニ長調であることを認めざるを得なかった。(同書p74)


色聴に否定的なラフマニノフが、他ならぬ自分の作品で調性と色彩を(無意識に)結び付けて使っているじゃないか、と言われてしまったのですね。ドヤ顔の二人を前にラフマニノフはどのような表情をしていたのでしょうか。

ちなみにリムスキー=コルサコフ本人が「黄金色」を連想させる場面でどんな調を使っていたのか調べてみると、歌劇《サトコ》第4景で「金の魚」が網にかかった場面では確かにニ長調。ほかにもあるのかもしれませんが、ほかに「黄金色」の場面が思いつかなかったので、継続調査にしておきます。