異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

言論宗教の自由が保障され、ひとりひとりの人権が尊ばれ、共に生きることを喜ぶ、愛すべき日本の地であることを願う。

【再】初詣や神前結婚式や見合い結婚や天皇現人神は、日本の伝統!?みな真っ赤なウソです。〔思索の日記 武田康弘〕

2017-01-09 16:14:19 | 歴史  歴史歪曲

2017.1.8 追記
以下の記事は、昨年の今日=1月8日に出し、1万4千件の「いいね!」を頂き、その後、有名サイトで紹介されて、89万件という途方もない数の「いいね!」を頂きましたが、なぜかそのサイトから消去されたものです。

 この記事に限らず、日本の常識と言われ、思われているものは、明治維新以降に意図的につくられ、国民の信じこまされたものが大変に多いですので す。
 日本では、明治以降は、政府関係の権威者(御用学者)がつくり出した言説を調べずに「覚える」ことが学習の基本になっています。自分の頭で考えることを基盤に据えないと、明治維新史観に立つ上位者に都合のよい見方をいつの間に刷り込まれてしまいます。わが日本においても《善美に憧れ、真実を求める人間性の豊さ》をつくり出したいものです。(武田康弘)

 

 

思索の日記 http://blog.goo.ne.jp/shirakabatakesen/e/9dd82ad3aa209b7b373f141fec8f1a6eより転載

初詣や神前結婚式や見合い結婚や天皇現人神は、日本の伝統!?みな真っ赤なウソです。

2016-01-08 

初詣は伝統?
神前結婚式は伝統??
見合い結婚は伝統?
天皇現人神は伝統?

いいえ、み~~~んな明治以降のお話です。

いまのような初詣が始まったのは、ようやく明治も中期からですし、
神前結婚も明治30年代以降のことですし、
見合い結婚は、明治政府が、恋愛を邪なものとして明治中期から「見合い結婚」を強力に推進したもの。それまでの長~~~い日本の伝統は、ずっと恋愛結婚でした。
もちろん、天皇現人神などという思想は、江戸の後期国学や水戸学の思想で、一部の特殊な人のものでしかなく、ぜんぜん伝統などではありません。

みな、明治維新を成し遂げた志士たちが、自らの権力を正当化する必要から拵えた代物でしかないのです。

 

こういう類の話は、歴史家に聞けば山のようにあり、大論文になってしまいますが、
肝心なことは、安倍首相の一派や日本会議にあつまる人々の言う日本の伝統なる話は、元からデタラメで、みな明治維新政府の作成でしかない、という歴然たる事実を明晰に自覚することです。

ついでに言えば、大安とか仏滅などとカレンダーに書いてあるのは、カレンダーの制作者=販売者が、どうしたら売れるかを考えてつくり出した代物で、無根拠です。満点大笑いの話でしかないのですが、お菓子会社の「バレンタインデー」創造と同じです。

考えることなく従う、というのは、これまた明治維新以後の日本人の特徴ですが、
われわれ日本人も、そろそろ自分で考える=根拠を知るという脳作業を始めたいもの、と思います。

 
岸信介と東条英機

武田康弘

 

 

 


パールハーバーで歴史認識を問われるアベ(澤藤統一郎 2016.12.28 「ちきゅう座」ブログ)

2016-12-28 15:20:28 | 歴史  歴史歪曲

「ちきゅう座」 http://chikyuza.net/archives/68891からの転載

パールハーバーで歴史認識を問われるアベ

 

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【アブナイ】稲田氏が神話の世界の「神武天皇」を称え、青山繁晴氏は明治天皇が定めた「五箇条のご誓文こそ本来の憲法」と発言!〔ゆるねとにゅーす 2016.11.3〕

2016-11-06 22:59:43 | 歴史  歴史歪曲

http://yuruneto.com/inada-aoyama/より転載

ゆるねとにゅーす

【アブナイ】稲田氏が神話の世界の「神武天皇」を称え、青山繁晴氏は明治天皇が定めた「五箇条のご誓文こそ本来の憲法」と発言!

どんなにゅーす?

・「明治の日」制定を目指す日本会議と日本会議に近い国会議員が、11月1日に行なわれた集会で明治政府や大日本帝国を礼賛した。

・稲田朋美防衛相は、(現代では想像上の人物として考えられている)「神武天皇の偉業」を語り、青山繁晴議員は(明治天皇が宣言した)「五箇条のご誓文こそが本来の憲法」と発言し、”明治時代の復古”を主張した。

 

「明治の日」制定求め、自民議員ら国会内で集会

この日の集会には約140人が参加。明治の日の実現を求める約63万8千筆の署名が自民党の古屋圭司選対委員長に手渡された。安倍晋三首相に近い古屋氏は「かつての『明治節』がGHQ(連合国軍総司令部)の指導で大きく変わることを強いられた。明治の時代こそ大切だったと全ての日本人が振り返る日にしたい」と決意を述べた。

稲田朋美防衛相も「神武天皇の偉業に立ち戻り、日本のよき伝統を守りながら改革を進めるのが明治維新の精神だった。その精神を取り戻すべく、心を一つに頑張りたい」と語った。民進党からは鷲尾英一郎衆院議員が参加した。

【朝日新聞2016.11.2.】

「五箇条の御誓文こそ本来の憲法」 国会議員の主な発言

《青山繁晴参院議員(自民)》 西洋の憲法と、日本語の憲法は全く別物だ。私たちの憲法は古代の十七条の憲法に始まり、それが近代化されたのは明治憲法ではなく、本来は五箇条(かじょう)の御誓文。御誓文こそ、私たちの本来の憲法だ。「明治の日」が制定されれば、そういう根幹に立ち返ることを子どもたちに話すこともできるのではないか。

【朝日新聞2016.11.2.】

 

Koh Nagao @KohNagao 2016年11月3日 02:36

稲田防衛相を紀元前660年(神武天皇)弥生時代にタイムワープさせたいね。神話に登場する神武天皇は古事記・日本書紀に記されその呼称は奈良時代後期につけられた。明治維新の精神は尊王攘夷=復古即革新。戦争をしていた1世紀半昔の大日本帝国時代なんて時代錯誤に良識国民はついて行かない! https://twitter.com/syouwaoyaji/status/793674549749354496 


「明治」に異常に執着するアブナイ人たち

↓明治新政府の象徴ともいえる、明治天皇による「五箇条のご誓文」を青山繁晴氏が絶賛。


出典:ウィキペディア

りのちゃん困り2ssa以前から宗教的な発言を多くすることで知られてきた稲田防衛大臣が、三原じゅん子議員に続いて、現代では「神話の世界の人物」と認識されている「神武天皇」を語りました
そして、テレビでも多くコメンテーターとして出ている青山繁晴議員も驚きの発言をしましたね

 

管理人神武天皇は、先日亡くなった三笠宮さまなどの戦後以降の歴史研究家によって、現代では想像上の人物として考えられているけど、明治時代当時は、天皇の神格化とともに神武天皇を崇め、古事記や日本書紀に記されている神武天皇の即位日を「紀元節」として制定したことが知られている。

また、新興宗教の「生長の家」なども神武天皇を実在している人物と位置づけているようで、稲田大臣もこうしたおかしな宗教の影響を受けていることが考えられる

また、青山繁晴氏も、以前から統一教会などの日本会議とゆかりのある宗教との関連が取り沙汰されてきたから、このような「言説」や「教え」は彼ら共通のものなのだろう。

そして、彼らが強烈に礼賛している対象は常に「明治」であり、明治政府樹立から敗戦までの間に栄えた「大日本帝国」と、当時の「帝国憲法」だ。

みんなも少し考えてもらうと分かると思うけど、明治時代というのは、何も日本の伝統が尊重された時代でもなんでもなく、江戸時代までの鎖国が終わり、一気に西洋の文化や宗教が入り込み、欧米の資本勢力が堰を切ったようになだれ込んで来た時代だ。

江戸時代以前の頃から日本に目を付け、日本を乗っ取ることを企てたロスチャイルドなどの欧米資本勢力は、武器商人グラバーを日本に派遣
グラバーらは、江戸幕府に冷遇されていた朝鮮系の長州の下級武士をそそのかし、彼らに武器を分け与えながら長州にクーデターを引き起こさせて、江戸幕府を倒幕
長州の下級武士に新政府の実権を握らせつつ、その見返りに日本の富を欧米勢力に横流しする仕組みを作ったというのが、明治以降の日本の政治情勢の実情だ。

住友や三菱などの財閥に欧米資本が入り込んでいたのもよく知られた話で、江戸時代以前を礼賛するならまだしも、稲田氏らがこうした「明治」に異常に固執するのは、どう考えてもおかしい

靖国神社も、長州や明治政府に尽くした人間を称えるという意味で同じようなものだし、つまりは、彼らは「日本」を礼賛しているのではなく、「長州」や「欧米資本勢力」を賛辞しているものと考えたほうがいいんだよ。

 

りのちゃん怒りssaつまりは、安倍総理のご先祖様を含めた、江戸幕府にクーデターを仕掛けた「長州の朝鮮系下級武士」と、彼らに手を貸した「欧米シオニスト勢力」を称える運動ということですね。

これらの活動に、得体の知れない宗教団体も多数入り込んでいることからも、私たちはこの動きにかなり警戒した方が良さそうですね。

 

管理人「日本の力や伝統を再び」なんて言っているけど、そんなことは全く関係のない「ただのカルト」ということだ。

そもそも、国家というのは強制されて愛するものではないし、その国家が国民の心身や暮らしが豊かになるような政策をし、国民の平和や安全を保障する社会を作ってくれるからこそ、国民は自発的にその国を愛し、大切にするようになるんだ。
そうしたプロセスもまるで無く、まるで絶対神のように「国を愛せよ」と強制されたり、闇雲に「日本が大好き!」なんて叫ぶのは、ただのカルト宗教と同じだね。

こうしたアブナ過ぎる思想を持った人たちが日本の政治の頂点にいること、マスコミをも徹底的に牛耳っていることにもっと危機感を感じ、これらの勢力をなんとしてでも日本の政治から徹底的に追い出す必要があるとボクは思うよ。

 

りのちゃん困り3ssaこのままでは憲法改正も行なわれてしまい、「長州&明治&欧米軍事資本勢力礼賛」の世界が出来上がってしまいます。
こうした構図や安倍政権の実態を、より多くの日本国民が理解する必要がありますね。

 

 

 


②島薗進×小林節「靖国参拝を“日本人なら当然の常識”と考える『日本会議』には歴史の反省がない」

2016-06-22 23:34:56 | 歴史  歴史歪曲

http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=141&from=voice&id=4049567より転載

宗教学者・島薗進×憲法学者・小林節 「靖国参拝を“日本人なら当然の常識”と考える『日本会議』には歴史の反省がない」

2016年06月18日 06:21  週プレNEWS

週プレNEWS

写真憲法改正を背後で操る「日本会議」のルーツとは? 宗教学者の島薗進氏(右)と憲法学者の小林節氏が迫る!
憲法改正を背後で操る「日本会議」のルーツとは? 宗教学者の島薗進氏(右)と憲法学者の小林節氏が迫る!

安倍首相の悲願である「憲法改正」に大きな影響力を持つといわれる保守系市民団体「日本会議」。

彼らはなぜこれほどまでに改憲に熱心なのか? この国を誰から「取り戻し」、どのような「美しい国」を目指しているのか?

日本会議の背景にある「国家神道」や「新宗教」に詳しい宗教学者の島薗(しまぞの)進・東京大学名誉教授と、日本を代表する憲法学者で慶應義塾大学名誉教授の小林節(せつ)氏のふたりが「立憲主義の危機と宗教」について語る。

前編の『自民党の改憲案は「個性を持った個人の尊重」という原則を捨て去ろうとしている』に引き続き、戦前回帰的な考えを持つ「日本会議」のルーツに迫る!



■大日本帝国憲法の立憲主義的な考えが変わった転換点

島薗 今のお話に出てきた「日本人なら当然の社会常識」という言葉には、明治維新以降、戦前の国家神道がいかに国家主義、全体主義に結びつき、この国を不幸な戦争に導いたかという、重要な鍵が隠されています。

実は戦前の大日本帝国憲法でも「信教の自由」というのは認められていました。ところが、穴がある。天皇崇拝を中心とした「国家神道」は宗教とは見なされていなかった。そのため、国家神道は信教の自由の枠外で、「国民すべてが共有すべき当然の前提」として、教育勅語などを通じて人々に刷り込まれたのです。

小林 それと同じ仕組みが自民党の改憲草案にも組み込まれていますね。草案の前文で「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち」と強調し、「国民統合の象徴である天皇を戴(いただ)く国家」と定義している。これを頭に置いて、草案20条〈信教の自由〉を見ると、第3項で国や地方自治体が宗教的行為を行なうことを禁じつつ、「ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない」と例外を設けている。

つまり、靖国神社の参拝は「宗教行為」ではなく社会的儀礼、あるいは百地氏(※)の言葉を借りれば「日本人なら当然の常識」なのだから、憲法に定められた政教分離の原則にも、信教の自由にも反しないという理屈です。だから、自民党改憲草案は怖い。
 ※日本会議系の「美しい日本の憲法をつくる国民の会」幹事長を務める憲法学者の百地章(ももち・あきら)日大法学部教授

島薗 これがまさに国家神道体制の復活につながりかねない。戦前の話に戻すと、「社会常識」として国民に広く刷り込まれた「宗教ナショナリズム」が、昭和に入ると次第にコントロールできなくなり、結果的に軍部の暴走に引きずられる形で日本は不幸な戦争に引きずり込まれてゆくことになる。

その大きな転換点が1935年で、それまでスタンダードだった「天皇も立憲君主として憲法に縛られている」という立憲主義的な考え方、これを「天皇機関説」と呼ぶのですが、それがこの年、右翼的な宗教ナショナリズムに後押しされた人々から激しく糾弾されて、「国体明徴(こくたいめいちょう)運動」に発展した。

小林 これで戦前の立憲主義は一気に崩壊してしまうことになります。日本の憲政史にとって一大事件です。

島薗 宗教史にとっても同様です。その過程で、「国体論」を取り込まない宗教団体は弾圧を経験しました。弾圧を逃れるため、あるいは国家神道を内面化した民衆のつくる空気に抗(あらが)えずに、天皇崇敬(すうけい)を軸とした国家神道の流れへと組み込まれていく宗教団体も多かった。

日本会議との強いつながりが指摘される「生長(せいちょう)の家」の教祖であった谷口雅春(まさはる)の思想も、そうした国家神道の影響を色濃く反映していて、そのため彼は戦時中も宗教弾圧の対象にはなりませんでした。

現在、日本会議を支える新宗教の多くがこの時期に生まれていることは注目に値します。彼らが戦前の体制に対して強い抵抗感を持たないのも、戦時中にそうした宗教弾圧を経験しなかったということがあるかもしれません。

―「教育勅語」に象徴される戦前の教育を受けた日本人が、天皇崇敬の「国家神道」に染まっていったのはある程度理解できる気がします。しかし、それとは全く異なる「戦後教育」を受けたはずの人たちが、なぜ「日本会議」のように戦前回帰的な流れへと取り込まれつつあるのでしょうか?

島薗 ひとつには「敗戦後、占領軍に押しつけられた憲法」が日本をダメにしたから大日本帝国憲法に戻るんだ、という考えがあります。太平洋戦争の末期、日本はすでに敗戦が明らかな状況にありながら、最後まで「国体の護持(ごじ)」にこだわり続けた。その結果、沖縄戦や特攻作戦、度重なる本土爆撃や2度の原爆投下によって多くの国民の命が失われることになりました。

戦後も天皇制は維持されたけれど、その「国体」が「米国に押しつけられた憲法」のせいで本来の形で護持されていないという不満が、現行憲法への敵意や戦前回帰的な考え方につながっているのでしょう。

小林 そういう考えの人たちに念を押しておきたいのは、主権国家・大日本帝国の決断として、ポツダム宣言にある終戦の条件、つまり民主主義的傾向の復活強化、人権の補強と軍国主義の除去を受け入れたということですよ。基本的人権を保障し、民主主義に基づく平和憲法を持つという条件を主権国家として受け入れているのだから、「押しつけ憲法」だというのは言い訳です。

それに、日本会議系の人々の「大日本帝国憲法に帰るんだ」という思い込みには、あの出来の悪い憲法が軍部の暴走を招き、この国を戦争の泥沼に引きずり込んだという反省がない。

島薗 もうひとつ迂遠(うえん)なようで見逃せないポイントがあります。それは世界的な「新自由主義」の広がりです。80年代の中頃から、市場経済の自由な競争を無条件に肯定する新自由主義が世界的に浸透する中、格差が拡大し、国民同士の信頼関係が失われ、人々の不安が増大した。

そうした社会の変化や心が虚(うつ)ろになった原因を「日本人が伝統的な価値観を失いつつあるからだ」とか「天皇崇敬という日本人のアイデンティティを失ったからだ」などと言われると、それになんとなく説得力を感じてしまう。そうやって多くの人たちが戦前回帰的な考え方になびいているという側面があります。

小林 先ほども触れましたが、まるで戦前の教育勅語のように改憲草案は道徳を押しつけてくる。例えば、草案24条には「家族は、互いに助け合わなければならない」と道徳観念に触れる規定がある。家族は大事かもしれないけれど、「法に道徳は踏み込まず」というのは近代法の大原則。道徳が法に入り込むと、思想統制の根拠になってしまう。

ところが、日本会議系の議員はそれをわかっていない。2013年に参議院の憲法審査会に参考人として出席した時、山谷えり子議員にこう言われたのを覚えています。「日本人は道というものを求めて生きてきた国民でございます。日本人はどう生きたら美しく生きられるかということをずっと考えてきたと司馬遼太郎さんもおっしゃっていた」と。

道って、要は道徳じゃないですか。確かに司馬小説を読めば明治期のエリートは凜々(りり)しく書かれている。しかし、その一方で明治憲法下では思想統制も激しかった。法と道徳の混同は危険ですよ。


※この続きは、明日配信予定! 日本会議が世間の注目を集めるにつれて、所属政治家が脱会する動きも? 

(構成/川喜田 研 撮影/岡倉禎志)


●島薗進(しまぞの・すすむ)
1948年生まれ。宗教学者。東京大学大学院人文社会系研究科名誉教授。上智大学神学部特任教授、グリーフケア研究所所長。専門は日本宗教史。日本宗教学会元会長。主な著書に『国家神道と日本人』(岩波新書)、『愛国と信仰の構造 全体主義はよみがえるのか』(中島岳志氏との共著・集英社新書)など

●小林節(こばやし・せつ)
1949年生まれ。憲法学者、弁護士。慶應義塾大学名誉教授。モンゴル・オトゥゴンテンゲル大学名誉博士。元ハーバード大学ケネディ行政大学院フェロー。著書に『「憲法改正」の真実』(樋口陽一氏との共著・集英社新書)など。政治団体「国民怒りの声」を設立、参院選比例代表に出馬する考えを表明


 

 

 

 


代々の天皇は伊勢神宮に参拝してこなかった!ゼロからわかる「宗教」の謎~時代によって「神」も変わる?

2016-06-17 14:35:43 | 歴史  歴史歪曲

現代ビジネス  http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48774より転載

2016年06月16日(木) 島田裕巳

ゼロからわかる「宗教」の謎~時代によって「神」も変わる?日本人が知らない多神教の原点

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〔PHOTO〕gettyimages

文・島田裕巳(宗教学者)

日本の神様はあいまいな存在

日本は多神教の国であると言われる。

これは、西欧やイスラム圏と対比して言われることで、キリスト教やイスラム教が一神教であるのに対して、日本は八百万の神々が信仰される多神教の国だというわけである。

一神教については、それが日本とは異質な信仰のあり方であるということで論じられることが少なくない。一神教の伝統は、基本的にユダヤ教からはじまり、キリスト教、そしてイスラム教へと受け継がれていった。唯一絶対の創造神に対する信仰がそうした宗教の根幹にあることは広く認識されている。

ところが、多神教については議論の対象になることはほとんどない。一神教の世界でも、それ以前は多神教であったはずだし、インドのように今でも多くの神々が信仰の対象になっている国や地域はいくらでもある。中国も、最近ではキリスト教が台頭しているとはいえ、基本は多神教である。

私たちは一神教の特徴についてはそれを列挙することができるが、多神教ということになると、多くの神々が信仰の対象になっていて、そこでは唯一絶対の神は存在しないといったことしか、その特徴をあげることができない。

せいぜい、テロや宗教対立が起こったときに、一神教が寛容ではないのに対して、信仰対象が一つに限定されない多神教は寛容を特徴としていると指摘される程度である。

つまり、私たちは、自分たちがその世界に生きてきたにもかかわらず、多神教というあり方について十分に考えをめぐらせてはこなかったのだ。

あるいはそこには、日本人が幕末維新期から西欧文明にふれ、一神教というあり方に対してコンプレックスを感じてきたことが関係するのかもしれない。

しかし、それ以上に、「神道は言挙げせず」ということばがあるように、神道の伝統においては、その信仰を言語化することが少ないという点が重要である。神道はあくまで祭祀が中心であり、神学は発展を見せていない。

仏教ありきの神道

私は、そうした神道の特徴を「ない宗教」というところに見出してきた。神道においては、世界の創造神が存在しないだけではなく、開祖もいなければ、その教えもなく、したがって教典も存在しない。これは、今回刊行した『「日本人の神」入門』(講談社現代新書)でも詳しくふれているところだが、神社の社殿さえ存在しない時代が長く続いたのだ。

これは、日本人にとって神道と同様になじみの深い仏教と比較してみればいい。仏教は「ある宗教」で、創造神こそ存在しないものの、開祖、教え、教典がすべて揃っており、その施設である寺院も長い伝統をもつ。法隆寺は世界最古の木造建築にほかならない。

日本では、「ない宗教」としての神道と「ある宗教」としての仏教が融合し、中世から近世にかけては「神仏習合」という事態が生み出された。この神仏習合を象徴するのが「本地垂迹説」で、これは、日本の神は仏教の仏が仮に姿を現したものだという説である。その説の内容から考えて、仏教優位の考え方であり、それは、神道の世界ではなく、仏教の世界から生み出されてきた。

そこに示されているように、神道の世界、日本の神々の世界において神学を打ち立ててきたのは、神道内部においてではなく、仏教の僧侶たちであった。有力な神社には必ず神宮寺と呼ばれる寺院があり、そこに住まう僧侶たちが社前で読経するなど、神社を守ってきた。

そして、仏教の思想をもとにしながら、神道についての理論を築き上げてきた。神道の世界で、独自の神学が生まれるのは、江戸時代になって「復古神道」、「国学」の試みがはじまってからのことである。

復古神道を信奉する神道家や国学者は、仏教の影響を排除した純粋な神道、仏教伝来以前の古代の神道のあり方を取り戻そうと試み、それが、明治維新に際しての「神仏分離」に発展する。これは、仏教を排斥する「廃仏毀釈」をも伴い、それ以降、神道の世界と仏教の世界は截然と区別されるようになる。

それは、日本人の宗教のあり方に根本的な変化をもたらすことになるが、同時に、神社から「社僧」と呼ばれた僧侶たちが一掃されることによって、神道の信仰世界を言語化する試みが著しく衰退したことを意味する。

その後、天皇とその祖神である天照大神を中心とした「皇国史観」が確立され、それにもとづいて神道の体系化ということが推し進められるが、それは決して伝統に則ったものではなかった。

無知のまま神を信じる日本人

具体的には、祭神が変更されるような神社も出てきた。京都の八坂神社は、現在では素戔嗚尊を主たる祭神としているが、明治に入るまで、そこで祀られていたのは、その正体を明らかにすることが難しい牛頭天王であった。

出雲大社においてさえ、最初大国主命が祀られていたものの、神仏習合の時代には素戔嗚尊に祭神は変わり、大国主命に戻ったのは、神仏分離以降のことである。

このように、日本における神の祀り方には変化があり、つまりは歴史がある。私たちはそのことについて、あまりに無知であり、神道のことについても、神々のことについても深くそれを考えてみようとはしてこなかったのだ。

そこに大きな、また根本的な問題がある。私が、『「日本人の神」入門』を書こうと考えたのも、そうしたことが関係する。一度、日本人が信仰してきた神々がどのような存在であり、その祀り方にどういった歴史があるのかを明らかにする必要があると感じたのである。

たとえば、皇祖神である天照大神について、私たちはそれが伊勢神宮に祀られていることは知っている。あるいは、全国各地にある神明社などと呼ばれる神社に祀られ、さらには皇居にある宮中三殿の一つ、賢所で祀られていることは認識しているだろう。

しかし、代々の天皇が伊勢神宮にほとんど参拝してこなかったことについては、その事実を知る人も少ない。まして、その意味を考えようとしてきた人はほとんどいないのではないだろうか。

伊勢神宮では古代から中世にかけて「斎宮」の制度がとられ、天皇に代わって皇室の女性が祭祀の役割を担ってきた。それだから天皇は参拝しなかったのだという説を唱える人もいるが、果たしてそれだけが天皇が参拝しなかった理由なのだろうか。

持統天皇は参拝した可能性があるが、それ以降、代々の天皇は伊勢に行幸することはなく、はじめて伊勢神宮に参拝したことが明らかになっているのは明治天皇なのである。

実は、鎌倉時代の日蓮は、伊勢神宮に祀られた神が蔑ろにされていたことを証言している。むしろ、応神天皇と習合することによって第二の皇祖神の地位を獲得した八幡神の方に、皇室の信仰は傾いていたというのだ。

この八幡神も、実に不思議な神である。渡来人が祀っていた八幡神は、歴史の舞台に忽然と登場し、瞬く間に第二の皇祖神の地位を獲得した。

日本における神の祀り方には、歴史的な変化があり、それにともなって数多くの謎が生まれた。その謎は容易に解けるものではないが、本来、放置しておいてはならないもののはずである。

いったい日本の神々とはどういうものなのか。日本人はそうした神々とどうかかわってきたのか。神仏分離によって見えなくなってしまったものがあるのではないか。それを考えることは、日本人の信仰の本質を考えることに結びついていくはずなのである。

 

 
しまだ・ひろみ/1953年東京生まれ。宗教学者、文筆家。76年東京大学文学部宗教学科卒業。同大学大学院人文科学研究科修士課程修了。84年同博士課程修了(宗教学専攻)。東京大学先端科学技術研究センター客員研究員。著書に『創価学会』『世界の宗教がざっくりわかる』(以上、新潮新書)、『日本の10大新宗教』『葬式は、要らない』『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか』『靖国神社』(以上、幻冬舎新書)『宗教消滅――資本主義は宗教と心中する』(SB新書)、『0葬――あっさり死ぬ』(集英社)『戦後日本の宗教史』(筑摩書房)などがある。

読書人の雑誌「本」2016年6月号より