※木下裕也先生の「教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために」記事を連載しています。
木下裕也(プロテスタント 日本キリスト改革派教会牧師、神戸改革派神学校教師)
靖国神社問題(2)
靖国神社法案の中身について、かいつまんで見ておきます。
⑴靖国神社の目的は「戦没者及び国事に殉じた人人の英霊【注1】に対する国民の尊崇の念を表す」ため「その遺徳をしのび、これを慰め、その事績をたたえる儀式行事等を行い」「その偉業を永遠に伝えること」としています(1条)。
⑵「靖国神社」という名前を用いるのは「創建の由来にかんがみその名称を踏襲した」までであって、これを「宗教団体とする趣旨のものと解釈してはならない」としています(2条)。
⑶「戦没者及び国事に殉じた人人」は内閣総理大臣が定めるとされます(3条)。
⑷靖国神社は「法人(特殊法人)」とされ(4条)、「特定の教義をもち、信者の教化育成をする等宗教的活動をしてはならない」としています(5条)。
⑸靖国神社の活動費の一部は国が負担するとしています(32条)。
⑹靖国神社は「内閣総理大臣が監督する」としています(34条)。
靖国神社法案そのものは先に述べたように廃案になりました。そして当時は教会やキリスト者たちも、教派を超えてこの法案を阻止するためのたたかいを展開しました。改革派教会もその一翼を担いました。
靖国神社問題はいくつもの論点をはらんでいます。政教分離原則に照らせば憲法問題です。植民地支配を行っていた国々に対しては戦争責任や罪の償いということが厳しく問われる国際問題、外交問題です。しかし教会とキリスト者にとっては、何よりもこの問題は十戒の第一戒に立ち続けるための、あるいはイエス・キリストの主権を守り抜くための信仰のたたかいでした。だからこそ教会はこぞって法案阻止のたたかいを担ったのです。
靖国神社問題(それは今なおこの国における深刻な問題であり続けています)の根本的な問題は、人の生き死にの領域にまで国家が介入しようとするところにあります。人の命の価値、生と死の意味を定めるのは国家や為政者ではありません(彼らにはそのような権限はありません)。わたしたちはキリストのものです。キリストこそ、わたしたちの命の主であられます。