異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

言論宗教の自由が保障され、ひとりひとりの人権が尊ばれ、共に生きることを喜ぶ、愛すべき日本の地であることを願う。

教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために㉕  靖国神社問題(2)

2015-08-15 16:07:11 | ヤスクニ 靖国神社 慰霊 

木下裕也先生の「教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために」記事を連載しています。

木下裕也木下裕也(プロテスタント 日本キリスト改革派教会牧師、神戸改革派神学校教師)

教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために
 

靖国神社問題(2)

靖国神社法案の中身について、かいつまんで見ておきます。

 

⑴靖国神社の目的は「戦没者及び国事に殉じた人人の英霊【注1】に対する国民の尊崇の念を表す」ため「その遺徳をしのび、これを慰め、その事績をたたえる儀式行事等を行い」「その偉業を永遠に伝えること」としています(1条)。

 

⑵「靖国神社」という名前を用いるのは「創建の由来にかんがみその名称を踏襲した」までであって、これを「宗教団体とする趣旨のものと解釈してはならない」としています(2条)。

 

⑶「戦没者及び国事に殉じた人人」は内閣総理大臣が定めるとされます(3条)。

 

⑷靖国神社は「法人(特殊法人)」とされ(4条)、「特定の教義をもち、信者の教化育成をする等宗教的活動をしてはならない」としています(5条)。

 

⑸靖国神社の活動費の一部は国が負担するとしています(32条)。

 

⑹靖国神社は「内閣総理大臣が監督する」としています(34条)。

 

 

 

靖国神社法案そのものは先に述べたように廃案になりました。そして当時は教会やキリスト者たちも、教派を超えてこの法案を阻止するためのたたかいを展開しました。改革派教会もその一翼を担いました。

 

 

 

靖国神社問題はいくつもの論点をはらんでいます。政教分離原則に照らせば憲法問題です。植民地支配を行っていた国々に対しては戦争責任や罪の償いということが厳しく問われる国際問題、外交問題です。しかし教会とキリスト者にとっては、何よりもこの問題は十戒の第一戒に立ち続けるための、あるいはイエス・キリストの主権を守り抜くための信仰のたたかいでした。だからこそ教会はこぞって法案阻止のたたかいを担ったのです。

 

 

 

靖国神社問題(それは今なおこの国における深刻な問題であり続けています)の根本的な問題は、人の生き死にの領域にまで国家が介入しようとするところにあります。人の命の価値、生と死の意味を定めるのは国家や為政者ではありません(彼らにはそのような権限はありません)。わたしたちはキリストのものです。キリストこそ、わたしたちの命の主であられます。

2015年6月29日 10:18

 

 


教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために㉔ 靖国神社問題(1)

2015-08-15 15:55:36 | ヤスクニ 靖国神社 慰霊 

木下裕也先生の「教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために」記事を連載しています。

木下裕也木下裕也(プロテスタント 日本キリスト改革派教会牧師、神戸改革派神学校教師)

教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために
 

 

靖国神社問題(1)


日本国憲法20条は「信教の自由」の規定です。

「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」(1項)

「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない」(2項)

「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」(3項)

このように20条は宗教を信じることの自由とともに政教分離、すなわち特定の宗教が国や政治と結びつくことがあってはならないことも定めています。そこには戦前の国家神道体制のもとで宗教が国家に、また国家の行った侵略戦争に利用されてしまったことへの反省があります。

 

ただ覚えておかなければならないことは、戦後となり、憲法もあらたまったからといって、国のありかたががらりと変わったわけではないということです。戦後の日本にも近代天皇制と国家神道の尻尾が残っていることを見なければならないのです。それは、今にいたるまで神社非宗教論が残り続けているということにほかなりません。

 

1945年12月の神道指令によって国家神道が廃止され、国家と神道との関係は断ち切られましたが、神道を政治に利用しようとのもくろみは敗戦から数年もたたないうちに活発となります。いわゆる靖国神社問題です。

靖国神社はもともと「東京招魂社」と呼ばれ、明治維新にともなう戦争のときに天皇の側に立って戦い、命を落とした人々の霊を慰めるため、明治天皇が建てたという由来をもちます。以後「数々の戦争において、天皇の軍隊に所属し、天皇のためにいのちをおとしたことが認められた人々の『霊場』とされてき」【注2】たとされています。

 

1952年に、日本遺族厚生連盟【注1】が靖国神社で催される慰霊行事を国の費用でまかなうとの決議をなし、1960年代のなかば頃から自民党の中に靖国神社を国家として護持【注3】することの検討が始められます。

そして1969年6月30日【注4】、自民党議員241名による議員立法【注5】として最初の靖国神社国家護持法案が国会に提出されます。以後70年4月、71年1月、72年5月にも提出されますが、いずれも廃案となります。73年4月、5度めの法案提出がなされ、翌年5月に強行採決によって衆議院を通過しますが、参議院で審議未了廃案となりました。

 

【注1】のちの日本遺族会。

【注2】『国家と宗教に関する問答集』(大会世と教会に関する委員会(現宣教と社会問題に関する委員会)、1996)58ページ。

【注3】大切に守っていくこと。

【注4】靖国神社創立100周年祭の翌日。

【注5】政府(内閣)でなく、国会議員の側から提出された法案。

2015年6月5日 8:50