沖縄の「ひめゆりの塔」に、行ってきました。
当時、沖縄には2つの女学校が有り、2つの女学校にはそれぞれに愛称が有ったそうです。
1つは「おとひめ」もう1つを「しらゆり」といいました。
2つの愛称を組み合わせて『ひめゆり』という言葉が出来たそうです。「ひめゆり」という名の百合は無いそうです。
当時、米軍が沖縄に上陸し、女学生達は防空壕の中で、ケガをした兵士達のお世話をさせられていました。
侵攻して来る米軍に圧されて、防空壕の中も危ない状況になった時に、引率の教師から『ここも危なくなって来たから、君達も早く逃げなさい』と引率されること無く、一人ずつ洞窟の外へ飛び出して行ったそうです。
そういう状況下で、何人もの少女達が命を落として行った様です。
少年飛行兵達の特攻もそうですが、敵前にほうり出された少女達が、たくさん命を落としていきました。
この話を聞いた時に、私は何故若い青少年達が殺されねばならなかったのか、悔やまれてなりませんでした。
決して戦争をしてはならない。
未来のある若い命を奪ってはならない、とつくづく思ってしまいました。
いまは平和な日本だからこそ、過去にこんな無残な戦争をして来た先人達の行動を、私達は決して忘れてはならないと思ってしまいました。
若い君達に願うこと。
日本の将来を見据えて、しっかり現在を生きて行って欲しいと
願います。
合掌