『欲しがりません 勝つまでは』
戦時中の標語を思い出しました。
「したがりません (新型コロナに)勝つまでは」に代えてみて思いました。
戦時中の規制は、今日ほど緩くはなく、国民全体が辛抱して、守っていたんだと思います。
昭和17年に某団体と新聞社が主催した「国民決意の標語」の募集がありました。32万通以上の応募があった様です。
その入選作10作の中に11歳の少女の作品がありました。
芝居の台本や落語の脚本を、趣味で書いていた、父親の代作でした。少女の名前で投稿したのです。
マスコミが押し寄せ、少女に執拗に作意を聞いたんだと、思います。やがて小さな嘘は、世間に広がって行きました。
標語が一人歩きを、はじめたんです。歌謡曲やポスターになったりと。少女はその歌で標語を覚えたとかも。
これもマスコミの作り事かも!?
この小さな嘘が、少女をいつまでも、大人になってからでも、自分を苦しめたのではないかと、思ってしまいます。
幼い時に負った心の傷は、大人になってからでも、心のどこかに残っているものです。
ましてや、少女が自分の意思で投稿してないのであれば、国内で有名になればなるほど、生涯忘れられない「心の傷」として残ったのではないでしょうか。
その傷、少し悲しいです。