幾多の霊場巡りを、もう一度始めから、その時の苦労らしき物を思い出そうと、御朱印帳を神棚から下ろして来ました。
私の参拝旅は戦没者慰霊も兼ねてしていました。
知覧・万世・鹿屋 慰霊
H25.11 H26.12 H29.10
京都神社仏閣 参拝
H26.10
出雲大社 参拝
H26.11
厳島神社 参拝
H27.03
四国霊場 遍路
H27.03~H27.09
高千穂 参拝
H27.10
高野山 参拝
H27.12
篠栗霊場 参拝
H28.05~H28.06
西国霊場 参拝
H28.07~H28.11
筑後霊場 参拝
H29.03~H29.04
回天館 慰霊
H29.06
沖縄姫ゆりの塔 慰霊
H29.07
呉市江田島 慰霊
H29.10
秩父霊場 参拝
H30.05~H30.06
九州西国霊場 参拝
H30.10
真言宗十八本山 参拝
H30.11・R01.06
肥前七福神 参拝
H31.02~H31.03
延べ7年間に亘る、私の参拝・慰霊・遍路の旅でしたが、何が苦しかったかと言うと、それは全てです。
でも物見遊山、遊びではないですから、当たり前の事ですが。
二カ所ほど記憶に残るお寺が有りました。
一つは鹿島のあるお寺の事です。
御朱印は布袋尊を頂きすが、詳しい方ならご存知ですが、このお寺の開祖が、真言宗中興の祖と言われる「覚鑁上人」で、誕生院と言うお寺なんですが、参拝されるお客さんが、「かくばんさん」て誰ですかとよく聞かれるらしいんです。
空海さんは知っていても、覚鑁さんは知らないと嘆かれていた事を覚えています。
浄土真宗の開祖の親鸞さんは知っていても、中興の祖の蓮如さんは知らないのと一緒なんでしょうか。
皆さん興味がないんですよね。
それと、もう一カ所は海の中に大きな鳥居が立っている神社の近くのお寺なんですが、その神社にお詣りした後に、そのお寺にも寄ってみようと伺った所、他の神社仏閣と一緒の御朱印帳には書けませんと、はっきり断られてしまいました。
前職の私共のお寺でも、それこそ織り交ぜた御朱印帳をお持ちになるお客さんが当たり前でしたので、驚きと怒りで、私の顔色が変わっていたと思います。
内心、お前の所は何様なんか!と思いました。
私の顔を見た坊守さんが、そちらに既に書いた紙がありますから、それをお持ちに下さいと言いました。
書き手が居ないならともかく、
あんたが居るやろうもんと
思いましたが、大人げないからと引き下がりました。
私どものお寺でも、やはり御朱印帳には直に書いて欲しいという、お客さんがほとんどです。
字の書けない人しか居ないならともかく、わざわざ寄って頂いたお客さんには、書いてあげたいものですよね。