爺さんが伝えたいこと

寡黙に生きて来た爺さんが、一つの言葉ででも若い人達の役に立つならば、幸いです。

神々はラグナロクに向かう

2021-06-28 19:07:35 | 日記
北欧神話は、主に北ヨーロッパに住んでいた古代ゲルマン民族の神話である。

ただし、彼らの住んでいた範囲は広大であり、北欧神話はゲルマン民族の全てをカバーするものではない。

現在、北欧とは一般にアイスランド、デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドの5ヶ国を指す。

このうち、フィンランドは民族・言語ともに異なるため、除外するとして、残り4ヶ国がいわば北欧神話のおおまかな文化圏となる。

そして、それらが『古エッダ』および『新エッダ』と呼ばれる文章の形でまとめられ、完成したのは12世紀後半から13世紀にかけての事になる。

『古エッダ』は9~12世紀にかけてまとめられた叙事詩で、特定の作者はいない。

17世紀にアイスランドで最古の写本が発見されている。

『新エッダ』は別名『散文エッダ』とも呼ばれるもので、13世紀アイスランドの詩人・政治家のスノリ・ストルソンによって著された。

これは詩人たちの為に書かれた神話の解説書であった。

両者には一致しない点も多々あるが、共通点も少なくない為、現在この二つの『エッダ』が北欧神話の根本資料となっている。

北欧神話の特徴は、北欧の自然とゲルマン民族の特質を反映したものか、重々しく暗く、そして悲壮な点にある。

その世界観も複雑で錯綜している。

氷と炎がぶつかって誕生した宇宙の中心にあって、宇宙を支える巨大なトネリコである世界樹「ユグドラシル」。

そして、神々の住む世界「アスガルド」も、その敵である巨人族の住む世界「ヨツンハイム」も、死者の国「ヘル」も、すべてユグドラシルにある。

ユグドラシルには人間の住む「ミッドガルド」など、計9つの世界が散らばっているのだ。

なお、北欧神話の世界では神々には二つの種族があり、ひとつは農耕系のヴァン神族、もうひとつはオーディンに代表される、巨人族の子孫であるアース神族だ。

両者は当初、対立していたが、アース神族が勝利し、人質を交換する形で和議を結んでいる。

ところで、北欧神話の特異さは神々が不死でない点にある。

不死どころか滅んでしまうのだ。

それはある巫子が世界の創造から終末、そして再生までを、オーディンに語るという形で紹介される。

その終末こそが、事あるごとに対立を繰り返してきた神々と巨人族の最後の戦い「ラグナロク」であり、最終的に神々が敗北し、世界とともに滅びた後に、新たな世界が生まれるというものだった…。

同じヨーロッパの神話でありながら、南のギリシアとは異質の味わいをもつのが、北欧神話なのである。




太陽神信仰とオシリス神話

2021-06-28 05:12:05 | 日記
紀元前数千年の昔から紀元前後まで栄えた古代エジプトは、長大なナイル川の流域にあった。

後にローマやアラブによって征服され滅亡したが、後世の人々に残されたピラミッドや神殿などの遺跡に関心を寄せ、古代エジプト人の生活に多大な興味を感じていた。

それらについての本格的な研究が始まったのは、19世紀初めにフランスのシャンポリオンがいわゆる「ロジェッタ・ストーン」に刻まれた神聖文字の解読に成功してからの事だった。

以降、パピルス文庫などの解読へと研究は進んだのである。

エジプトには、ギリシャ神話や北欧神話などの様な、体系だって残された神話はない。

彼らの信仰は、約3000年にもわたる長い間に、多くの神々が何度も変化を繰り返してきた為、とうてい一つにまとめきれる物ではないのである。

それでも現在「エジプト神話」とくくる場合は、下エジプト(ナイル川下流)のヘリオポリスで信仰されていたヘリオポリス神話を指す事が多い。

ヘリオポリスは現在のカイロの東北郊外にある古代都市で、その名は「太陽の都」を意味する。

むろん、名前の示す通り、信仰の中心は太陽神であるアテン(後に一時期を除き、単なる天体としての太陽に転落)やラー(後にアトゥムに集合)である。

だが、これ以外にもエジプトでは各地に神殿が建てられ、それぞれ異なる神々が崇拝されていた。

やがて彼らは多くの力を増したラーや、ナイル川上流の上エジプトにある後のエジプトの首都テーベの地方神アメンと習合を望む様になった。

そして、中・新王国時代には、この二人が結合したアメン・ラーがエジプトの最高神となったのである。

これらは、断片的に残された碑文やパピルス文書から明らかになった物だが、エジプトには強いて言えば、一つだけ体系化された「オシリス神話」と呼ばれるものがある。

ただし、これは1世紀ギリシアの哲学者プルタルコスによって紹介された、冥界の王オシリスとその一族をめぐる一連のエピソードで、ファラオ(王)の実際の権力にも密接に関わってくる、ある意味卑俗的なものだ。

「死者の書」と呼ばれるものもある。

これは棺の中にミイラとともに副葬品として入れられた文書で、神への賛歌、死後の復活に必要な教えなど書かれている。

これもまた、エジプトの神々について知る重要な手がかりである。

また、エジプトの神々には頭部が動物になった物が多い。

これは当時の人々が、動物たちを含めた自然を愛する民族だった事を、物語っているといえよう。


 



愛の為に全てを捧げる神々

2021-06-28 03:30:19 | 日記
ギリシア神話と言えば、まず古代ギリシアの詩人ホメロスによる二大叙事詩「イリアス」と「オデュッセイア」が思い浮かぶ。

ご存じの通り、前者はトロイア戦争最後の10日間を描いたもので、後者はそのトロイア戦争の勇者オデュッセウスの放浪の物語である。

実際、現在に伝わるギリシア神話はこの2作と、同じく古代ギリシアの詩人ヘシオドスの手になる、神々の起源や系譜を描いた叙情詩『神統記』および神話を通じて仕事の大切さを語る『仕事と日々』がベースになっていると言っても過言ではない。

これらの四つの叙情詩は、ともに同じ時代の紀元前八世紀ごろに成立したものである。

しかし、登場する神々や神話は、ホメロスやヘシオドスが創作したものではない。

彼ら二人の詩人によって叙情詩が成立する遥か以前から、古代ギリシアの人々によって尊崇され、親しまれてきたものだったのである。

ホメロスやヘシオドスは、それらを体系的にまとめただけなのだ。

ギリシア神話の本来的なルーツは、紀元前2000年ごろにその最盛期を迎えた、クレタ島を中心とするミノア文明、同じく前1600年ごろにに栄えた、ギリシア本土のミュケナイを中心とするミュケナイ文明など、エーゲ文明の時代にある。

当時の遺跡や遺物から、すでに現在も知られるギリシア神話の主要な神々が、人々から祭祀を受けていた事が判明しているのである。

こうして、二人の詩人によって一つの「文字」としてまとめ上げられたギリシア神話が、ポリス時代のギリシア、そしてローマに伝わり、ひいてはルネサンスを引き起こした。

そして、現在にいたるまでヨーロッパ諸国の美術や文芸に、つよい影響を及ぼした事は言うまでもないだろう。

さて、そのギリシア神話の主要な神々と言えば、やはり天上の高みから地上を睥睨する、オリュンポス12神である。

ゼウスを筆頭に、ヘラ、ポセイドン、デメテル、アルテミス、アポロン、アテナ、アフロディテ、アレス、ヘファイストス…。

しかも、ゼウスとポセイドンの兄弟は、自らの親の世代にあたるティタン神族との10年におよぶ戦いに勝利したすえに、この栄光を得たのだ。

だが、12神のみならず神々の多くは、オリュンポス山に建つ宮殿に、鎮座している訳ではない。

事ある毎に下界に降りてきては、人間と関わりたがる。

人間に恋をし、恨み、肩入れをする。

そして、その結果生まれた、愛憎半ばする数々のエピソードこそが、ギリシア神話の真髄であり、醍醐味と言えるのかも知れない。




祟りをもたらすご神木

2021-06-27 16:15:49 | 日記
聖なるものと崇められているものを、勝手に動かしたり手を加えたりすると、祟られるという話は昔からよくある。

山梨県にまさにそうした場所がある。

それは、甲州市大和町初鹿野(はじかの)の山間にある諏訪神社だ。

神社そのものは何の変哲もないが、問題はすぐ脇を走るJRの線路に覆い被さる様にして立つ、見事なホオの木である。

これはこの神社のご神木なのだが、これこそが「祟りの木」だと言うからただ事ではない。

事の始まりは、1953(昭和28)年にこの木の枝を切った作業員6人が相次いで不審死した事だった。

この一件でご神木の祟りを恐れた関係者は、線路の拡張工事ではお祓いをして臨んだ。

ところが、その祈りも虚しく、ほどなくしてご神木の近くでバス事故が起こり、乗車していた学生が死亡したのだ。

この時、奇しくも前回と同じ6人の命が奪われたのだ。

神社にある案内板では、このホオの木は日本武尊(やまとたけるのみこと)が杖代わりにした枝が、発芽したものだと伝えている。

樹齢は二千数百年を超えており、幹が何度か枯れては根本から新しい芽が出て、現在に至るという。

この木をおろそかにすると、不慮の事故が起こると、古くから信じられているそうだ。

これに頭を痛めているのが、ご神木を切るに切れないJRである。

JRは信号の位置を変えたり、木が架線に触れない様にフェンスを立てたり、ネットを張ったりと、ご神木に最大限の配慮をしている。

まさに触らぬ神に祟りなしの心境だろうか。





神の楽園と人の冥界

2021-06-27 05:53:41 | 日記
世界各地の神話には、ほぼ「楽園」と「冥界」が描かれている。

もちろん神話そのものが、人間の想像力と潜在意識が結実したものである限り、そこに現れる楽園や冥界のイメージも、人間の願望あるいは恐怖が具体的な描写を伴って、表現されることになる。

だが、それは一体どこにあるのだろうか。

たとえば楽園の場合、神話によっては、それは天上であったり、海の彼方であったり、地下であったり…。

時には次元が異なる世界であったりもする。

そして各神話に見られる楽園は、夢が溢れる楽しい場所であり、心身ともに平安を保てる空間である。

しかしそこには、往々にして神々の領域であり、通常の人間の手には届かないものだ。

そこで暮らせる人間は多くの場合、現世を離れた者、すなわち霊魂に他ならぬのだ。

人間は神々の自由奔放な暮らしぶりに思いを馳せ、少しでもその生活にあやかろうと、永遠の楽園を思いがけず描いてきた。

だが、そこへ行くという事は、現世に於ける生活をすべて切り捨てねばならないのだ。

ただ、霊魂とならずとも訪れる事の出来る楽園もある。

理想郷と呼ばれる存在がそれである。

だが、この異世界で暮らす者は年を取らない者が多いという。

現世との時の流れが異なる場合が多いのだ。

ここを訪れた人間は、確かに夢の様な時を過ごす事ができる。

しかし、本人はそこで数年過ごしただけの積もりでも、もとの世界では数百年が経過しているのだ。

故郷に戻った時、その人間はやはり全てを失った事になるのだ。

そしてもう一つ、生きとし生けるものがいずれは、すべて訪れなければならない異世界。冥界なのだ。

多くの民族の神話群の中で、死や冥界にまつわる物は、創世神話や人類の紀元神話とともに、極めて重要な位置を占めている。

そしてその場所はほとんどの場合、暗くじめじめした地下世界にあるのだ。

さらに、死者の国や冥界を司る神は、どの民族の神話にも登場する。

それら死の神は、その多くが天界の主導権争いに敗れたか、または天界を支配する神々の縁続きというのが特徴だ。

ただ、冥界=地獄を連想しがちだが、一概にそうとは言い切れない。

確かに、生前の罪に応じた恐ろしい罰を、永遠に与え続ける地獄もあるが、ただ影のような存在になって空間をたゆたうだけの冥界もあるのだ。