爺さんが伝えたいこと

寡黙に生きて来た爺さんが、一つの言葉ででも若い人達の役に立つならば、幸いです。

縁結び・縁切りも叶う神社

2021-06-26 07:11:08 | 日記
訪れると恋がかなう、良縁に恵まれるというスポットは世界中にある。

京都市東山区にある安井金比羅宮もその一つだが、ここは名高い縁結びの神と同時に悪縁切りのご利益があるからだ。

安井金比羅宮に祀られている主神は崇徳天皇だ。

崇徳天皇は平安時代末期、複雑な人間関係と権力争いに巻き込まれた末にクーデターに失敗し、讃岐国(現・香川県)に島流しにされた幸薄い人物として知られている。

凄まじい怨念を背負い、讃岐の金比羅宮にこもった崇徳天皇は、罪が許される様にと一切の欲を断ち切った。

この事から、みずからの力では断ち切れない物を断ちたい時には、崇徳天皇の霊にすがろうと信仰を集める様になったのだ。

そんな安井金比羅宮の境内で、異様な雰囲気をかもし出しているのが、「縁切り縁結び碑」である。

もともとは絵馬の形をした大きな岩だというが、その表面には「形代」というお札が何千、何万と貼り付けられているのだ。

形代は願掛けする人の身代わりなのだ。

形代に願いを書いたら、それを念じながら神の力が注がれているという碑の中央の穴をくぐるのだ。

碑の表から裏にくぐると悪縁が断たれ、裏から表にくぐると良縁に恵まれるとされている。

ここは花街である祇園に近い事も有ってか、願い事には男女の縁切りも目立つのだ。

「縁は異なもの味なもの」とは言うものの、悪縁でがんじがらめになると身を滅ぼしかねない。

自分の力が及ばなくなった時、人はここに足を運ぶのだろう。




常世国

2021-06-25 21:17:03 | 日記
古代日本で信仰された、海の彼方にある異世界。

永久不変の神仙境。

それが常世国(とこよのくに)だ。

この楽園にいれば永久不変、不老不死を約束されるのだ。

『古事記』や『日本書紀』『万葉集』『丹波国風土記』などの記述にこの名前が見られる。

スクナビコナ神が国造りの途中で去ったのもこの常世国である。

この時スクナビコナは粟の茎に登り、この茎に弾かれて海の彼方へ消えたという。

また『万葉集』には、浦島太郎の原形となった浦嶋子という人物の体験を詠んだ歌がある。

その体験とは、次のようなものだ。

漁に出た浦嶋子は常世国に流れ着き、海底宮殿でワタツミ神の娘とともに、楽しい日々を過ごした。

だが、常世国にいれば不老不死でいられたのに、ある時浦嶋子は望郷の念に駆られる。

止めるワタツミの娘を振り切って浦嶋子が帰郷してみると、そこには自分の家はすでになかった。

衝撃を受けた彼は、ついに開けてはならぬ玉手箱を開けてしまうのだ。

外界とは時間の流れの異なる世界である常世国だ。

当時の人々に永遠のあこがれをもたらした常世国には、ただ単に海の彼方にある異世界、というだけでなく、スクナビコナが穀物の神でもあったため、穀霊の故郷と呼ばれたという。





祓詞にある飛び抜けた聖地

2021-06-25 18:01:41 | 日記
神社でお祓いの時に、神主が奏上する祓詞(祝詞)の冒頭に「かけまくもかしこく伊邪那岐大神(いざなぎおおかみ)、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原(あわぎがはら)に禊祓えたまいし時に」というフレーズがある。

この阿波岐原は実際に存在する地名で、そこは日本の原点ともいえる聖地がある。

宮崎県の阿波岐原にある江田神社は、伊邪那岐(いざなぎ)と伊邪那美(いざなみ)という日本国の生みの親を祀った神社だ。

『日本書紀』によると、伊邪那岐と伊邪那美は、天の橋に立ち、矛で混沌をかき混ぜて島をつくった。

それが日本の始まりだというのが国生みの神話である。

江田神社の存在は、数年前まであまり知られてはおらず、訪れる人も少なかった。

状況が一変したしたのは、パワースポットに関する本で紹介されてからだ。

とくに、ご神木のクスノキは「けた違いのパワーがある」と紹介され、参拝客が後を絶たない。

あまりにも沢山の参拝客が撫でて行くため、木肌は茶色く変色してしまったほどだ。

さらに、本殿の裏手にあるみそぎ池も強力なパワースポットだ。

伊邪那岐は伊邪那美を追いかけ黄泉の国へ行き、逃げ帰ってきた時にみそぎ池で体を洗った。

その時、左目を洗うと天照大神(あまてらすおおみかみ)が、右目を洗うと月読命(つきよみのみこと)が、そして鼻を洗うと素戔嗚尊(すさのおのみこと)が生まれたという。

江田神社は日本最古の神々の生誕の地であり、日本や皇統の発祥地でもある。

慎ましく小さな佇まいの社殿ではあるが、その聖性が飛び抜けていることは疑う余地がないのだ。




古代人の巨石の聖地

2021-06-24 23:55:34 | 日記
岐阜県下呂市にある金山(かなやま)巨石群は「岩屋岩蔭(いわかげ)遺跡巨石群」と「東の山巨石群」そして「線刻石のある巨石群」の3ヶ所からなる巨石群なのだ。

いくつもの巨大な岩が絶妙なバランスで配置されている様子は、イギリスのストーンヘンジを思い起こさせる。

それもそのはずで、ストーンヘンジは古代の天文台だという説があるが、この金山巨石群も古代に太陽観測を行っていた場所ではないかと言われているのだ。

つまり、自然に点在している巨石ではなく、人為的に配置された可能性が高いのである。

その証拠の一つが、それぞれの巨石の残留磁化方向だ。

火山岩は冷えて固まる過程で磁化されて、永久磁石となるが、これを残留磁化という。

金山巨石群の岩石も、火山噴火の時の火砕流堆積物からできた火山岩だ。

各巨石ができた当初のままの場所に有るなら、残留磁化の方向は揃っているはずなのだが、調査の結果は各巨石の残留磁化は異なる方向を示している事がわかった。

これは何者かによって巨石が移動・配列された可能性を暗示している。

しかも、巨石の隙間から差し込む太陽光の位置によって、春分・秋分や夏至・冬至といった特定の日を観測できる仕組みになっている事も明らかにされているのだ。

金山巨石群の周辺からは、縄文時代の土器などが見つかっている。

縄文時代の日本で太陽観測所が作られ、すでに太陽暦まで存在していたという事なのだろうか。

謎の研究のため、調査は現在も続いているようだ。




国の始まり

2021-06-24 11:06:00 | 日記
これまで日本神話は『古事記』上・中・下3巻のうちの上巻と、『日本書紀』30巻のうちの1・2巻に記された神代の物語、および『古事記』中巻の初めと『日本書紀』3巻に記された神武天皇の建国の物語である。

その他、出雲(現島根県東部)、日向(現宮崎県)などの各地の『風土記』の部分や『古語拾遺』に記録されたものなども含まれる。

だが、ここで確認しておかなければならない事は『古事記』や『日本書紀』の記述は6~7世紀に国家を統一した大和朝廷〔天照大神(あまてらすおおみかみ)を中心とする天津神(あまつかみ)〕の神聖にして偉大な正当性を地方権力〔大国主神(おおくにぬしのかみ)を中心とする国津神(くにつかみ)〕に主張する為の「正しい歴史」として編纂されたものであることだ。

これまで見てきた他国の神話とは異なる建国神話であり、国家の主導によって編纂が行われた、相当に政治色の強いもので有ると言える。

なかでも『日本書紀』にはその傾向が強く表れている。

それに比べ『古事記』の神話世界は、物語性の強い「八岐大蛇退治」や「因幡の白兎」なども載せられていて、かなり馴染みやすい物となっている。

『古事記』は天武天皇(在位673~686年)が、舎人(とねり)の稗田阿礼(ひえだのあれ)にこれまでの皇室の系譜や神話などを暗記させたものだ。

さらに元明天皇(在位710~715年)の時代に官人・大安万侶(おおのやすまろ)によって撰録され、712年に天皇に献上されたのである。

また『日本書紀』も同様に天武天皇の発案と見られ、その編纂も『古事記』とほぼ同時期に行われたものと思われる。

こちらは中国の歴史書を強く意識したものの様であり、天武天皇の皇子・舎人親王によって編纂され、720年に完成した。

『古事記』があくまで日本最初の歴史書であるのに対し、こちらは日本最初の勅撰の歴史書、すなわち「正史」である。

また『風土記』も元明天皇の時代に各地方で記録されたものだが、完本は『出雲風土記』のみで、他の地方のものは断片的に残っているに過ぎない。

なお『日本書紀』は『古事記』と神話的な根幹の部分に大きな違いはない。

しかし『古事記』とは異なり、本文のほかに一書と異説も併記されていることがある。

さらに『風土記』にはその地方特有の神々も見られるし、『記紀』に表れる有名な物語がまったく載っていないこともある。

807年に成立したとされる『古語拾遺』にもその傾向がある。

すなわち『記紀』の神話だけが日本神話ではないのだ。

それらの事も頭に入れておけば、より一層神話世界を楽しむ事が出来るだろう。