おととい。。。18日のこと
突然、北上町の千葉さんが創る村へいらっしゃいました。
飴屋先生の「創る村」は海のすぐそばなので、どうしたかとずっと気にかかっていたと言い、ご自分のこともいろいろとお話してくださいました。
千葉さんの集落は、3軒だけ残してほかは全て流されたのだそうです。
地震の後、千葉さんとお母さんとで家の中の倒れてしまったものなどの片づけをしていて、お父さんは山の上から津波を見ようと登って行ったそうです。
本棚を片づけようとした瞬間、窓の外を真っ黒い水が勢いよく流れてきたのが見え、次の瞬間にもう天井まで水がいっぱいになり、部屋から部屋へと水中に潜りながらなんとか外へ逃げ出し、500メートルほど流され、県道に何とか泳ぎ着いて第二波の津波を必死でガードレールにしがみついて耐えたそうです。そのうち、意識が遠のき、気が付いたときは誰かに(多分警察に)助けられた時だったとおっしゃっていました。
千葉さんはこの震災で、北上庁舎にお勤めの奥様と家の片づけを一緒にやっていたお母様とのお二人を亡くしました。
でも、じっとしているとおかしくなりそうだと、以前と変わらず、一層活発な活動をされております。千葉さんは以前からの釣石神社の広報と「北上のヨシ原を守る会」のほかに、千葉さんの作業場のある裏山の粘土と葦を燃やして釉をつくり作陶する計画と、葦を練りこんだ和紙をすいてヨシ原の和紙をつくるための準備と思いは山ほどで、着々と準備を進めていらっしゃるご様子でした。
創る村も、千葉さんを見習い、前にドンドン進んで行きたいと思います。
バケツの取り合い
ベッラ。。。シャンプーされた(@_@。