人は精神から老いていく。 ねえ、何歳から老人というんだろう。新しいシニアを目指して素敵に老いる力を

新しいシニアを目指して素敵に老いる。高齢社会というけれど、高齢者が何を考えているかわかりますか?老いる力と幸せを考える

光の管

2020-03-09 14:45:00 | 高齢文化 高齢者の学び シニアライフ
頭を切り開いて、光の管を入れてみたい

心の奥にすむ邪気や毒に光の矢を射ってみたい

身体全体を光の箱に入れて、光の海に飛び立ちたい

それが、私の願い


もしかしたら、あなたの願いかもしれない


暗く苦しいことが続いても

今日も生きる

負けない 泣かない 逃げない






シニアの学び その1

2020-03-09 12:56:00 | 高齢文化 高齢者の学び シニアライフ
シニアの集団というのは、難しい。


集団の中に青年期の人たちが混ざっていれば、集団の躍動感をつくったり、未知への挑戦を醸し出したりすることは、それなりに可能なのだろうが、シニアオンリーの集団というのは、それがとても難しい。


シニアの集団をつくって、学びの方向や内容をコーディネートして9年が経った。


もうそろそろ(私自身の中で)これまでの歩みを総括してもいいだろう。


総括の結果、3月末というキリのよいところで、お終いにするかもしれないし、解散して私自身の打ち出す方向に共鳴してくれる新集団をつくって新しい活動を始めるかもしれない。


いずれにしても、疲れた。


(私の目指す)シニアの学びの集団は、仲良し会ではない。


もし仲良し会でもいいという基調の上に集団があるとすれば、それは私の目指す学びの集団ではない。


私は、無償ボランティアでずっと学びのコーディネートをしてきた。無償という言葉やボランティアという言葉に差し障りを感じる人もいるかもしれないが、


無償で『シニアの学びのコーディネート』をずっとしてきた、というのは事実である。


シニアの学びの集団づくりと運営のために膨大な時間を費やしてきた。


本を読みまくり、講師の選定や依頼に人間関係のすべてを動員し、お金を使い、睡眠時間を減らしてきた。


それは、仲良し会をつくるためではない。


平たく言えば、《チャレンジし続けるシニア集団》を創り出すためだ。


止まってもよいけれど、後ろ向きに止まってはいけないのだ。