皆様おはようございます。
前回に引き続き、今回も教皇様とオバマ大統領へのお知らせをかねています。
そして、天皇陛下・皇后陛下への、お見舞いと、ご回復を、お祈り申し上げます。
安倍総理もお見舞い申し上げますが、3年前、既に、私は、オバマ大統領に、ホワイトハウスが、
望む、自衛隊の他国との日本領土外での戦闘的な活躍は、無理と説明しました。
安易な考えでは、明治維新同様の結果になるしかなくなります。お忘れでしょうか?
さて、やっと、新しい仕事の最低限の手続きが、済んだとことです。
一枚の書類が、もう一度戻ってきて、訂正印を押して、会社に保管されれば、入社手続き完了です。
収入が、限られており、低賃金?とは言え、生まれ育った地区・自分と家族の家で、落ち着いて、
公共の福祉の仕事を、できることは、本当に、すばらしいと思います。
母の、緊張しつつも、一生懸命な様子を、思い出したり、
父の、この地域の葬儀に、こだわる気持ちも、大きく感じ取っています。
私も実際に、自分自身の年齢相当の生活暦の記憶には逆らえず、カトリック墓地の危うさを、心から心配し、
従来の葬儀に、委ねる気持ちも判ります。
そして、地域教会のリスクで、指摘したとおり、貪欲で困った信徒関係が続き、友人と言える人は、
フィリピン人の日本人妻で活躍中の一人ぐらいです。
しかし、このことで、皆さんに、言いたいのは、
いつ?あるか?判らない、葬儀の手順や列席者リストなどに縛られて、お互いのコミュニケーションを、
断絶してしまうことは、良くないことです。
今回、困っているのは、孤独感なのか?葬儀にのみ、こだわった生活になったことです。
勿論、私の親族のように、列席者リストの人々は、互いに、ある程度気遣ったり、コミュニケーションを図ったり、
良いところもありますが、私からコミュニケーションを、閉ざしたと言うよりも、継続できない会話が続いています。
それでも、一番の理由は、私に、経済力が、なくなってしまったことでしたので、今後に、期待します。
また、日本仏教最古の部類に属した宗派なので、檀家は、日本仏教でも、歴史的に、その後の宗派への、新しい対応が難しく、
一方的 ?で、相互のコミュニケーションでは、困ったコミュニケーション状態です。
愚痴は、このくらいにして、
まずは、お二人に対して、最初から、生活環境と、家庭環境を見直して、
基本から、重要な日本キリスト者たちと先人の知恵を、受け容れるために、オリエンス宗教研究所の
カトリック通信講座を、まじめに受けていることを、お伝えします。
また、年齢的には、医・理・工・化学者デビューには、厳しい事を考慮して、教育・研究・または、政治に、進む可能性を、残すため、
今後、空き時間で、基礎的な高校と大学教養課程程度の全部の復習を、する予定です。
それから、放送大学二回目の卒業の為の単位取得可能な内容の授業出席は、当然します。
可能ならば、来年9月に、卒業を、早めるかもしれません。仕事と生活費の充実度によります。
勿論、仕事ですから、年金についてと、その他、様々な手続き、厚生労働省のホームページや
メールマガジンを、精一杯に学んで、応用や、今後の政治・行政・生活を、考えつつ創造してゆきます。
USA(ワシントンD.C)やローマやロンドン、には、訪問したいと思っています。
今後の生活を、どう工夫するか?でその費用が、出来たら良いのですが・・? とにかく、がんばってみます。
もう少し、平穏な考え方で、人を互いに受け容れる環境があれば、母にも、早くから、良い平安があったのにと残念です。
それでは、しばらく、また休養してから、更新を、連続したいと思います。
私も、神父になる気は、まったく無く・・と言うより、神父の仕事を、理解していないし、何も知らない。
ただ、自分で、様々な学習研究を、進めつつ、聖書読書やミサ、教会の礼拝に出席して、長い間、祈りの生活を、学んだだけ。
それは、興味のある人の友人としては、適切でも、職業に出来ると言うのとは、違うものです。
それでも私は、神父や牧師や信徒達に話しかけて、少しは、教えてもらうための努力を、しました。
だからこそ、この時代に、イエス様本人が、人として、姿を、見せてくださり、話しかけてくださった。
何の不思議も無いことです。
今の、根っこの無い世界中の生活に、根っこを、生えさせるためにも、私は、自分の家庭を、持てるよう、
切に、神に、祈り求めています。皆様、宜しく、お願いします。
Pietro Rnabcisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti.
**********「『ヨブ記』を読みなおす」から***********
後のクレオパトラを彷彿とさせるような贅沢な生活をおくっていたヨブは、
またすべての人々からも認められ、それだけに人々からの尊敬と賞賛を、
当然なことのようにうけていました。
この点について、彼は次のように述べています。
「わたしが町の門に出て
広場で席に着こうとすると
若者らはわたしを見て静まり、
老人らも立ち上がって、敬意を表した。
おもだった人々も話すのをやめ
口に手を当てた。
指導者らは声をひそめ
舌を上顎に付けた。
わたしのことを聞いた耳は皆、祝福し
わたしを見た目は皆、賞賛してくれた」(6-11)
**********以上、本日の転記は、これまで********
前回に引き続き、今回も教皇様とオバマ大統領へのお知らせをかねています。
そして、天皇陛下・皇后陛下への、お見舞いと、ご回復を、お祈り申し上げます。
安倍総理もお見舞い申し上げますが、3年前、既に、私は、オバマ大統領に、ホワイトハウスが、
望む、自衛隊の他国との日本領土外での戦闘的な活躍は、無理と説明しました。
安易な考えでは、明治維新同様の結果になるしかなくなります。お忘れでしょうか?
さて、やっと、新しい仕事の最低限の手続きが、済んだとことです。
一枚の書類が、もう一度戻ってきて、訂正印を押して、会社に保管されれば、入社手続き完了です。
収入が、限られており、低賃金?とは言え、生まれ育った地区・自分と家族の家で、落ち着いて、
公共の福祉の仕事を、できることは、本当に、すばらしいと思います。
母の、緊張しつつも、一生懸命な様子を、思い出したり、
父の、この地域の葬儀に、こだわる気持ちも、大きく感じ取っています。
私も実際に、自分自身の年齢相当の生活暦の記憶には逆らえず、カトリック墓地の危うさを、心から心配し、
従来の葬儀に、委ねる気持ちも判ります。
そして、地域教会のリスクで、指摘したとおり、貪欲で困った信徒関係が続き、友人と言える人は、
フィリピン人の日本人妻で活躍中の一人ぐらいです。
しかし、このことで、皆さんに、言いたいのは、
いつ?あるか?判らない、葬儀の手順や列席者リストなどに縛られて、お互いのコミュニケーションを、
断絶してしまうことは、良くないことです。
今回、困っているのは、孤独感なのか?葬儀にのみ、こだわった生活になったことです。
勿論、私の親族のように、列席者リストの人々は、互いに、ある程度気遣ったり、コミュニケーションを図ったり、
良いところもありますが、私からコミュニケーションを、閉ざしたと言うよりも、継続できない会話が続いています。
それでも、一番の理由は、私に、経済力が、なくなってしまったことでしたので、今後に、期待します。
また、日本仏教最古の部類に属した宗派なので、檀家は、日本仏教でも、歴史的に、その後の宗派への、新しい対応が難しく、
一方的 ?で、相互のコミュニケーションでは、困ったコミュニケーション状態です。
愚痴は、このくらいにして、
まずは、お二人に対して、最初から、生活環境と、家庭環境を見直して、
基本から、重要な日本キリスト者たちと先人の知恵を、受け容れるために、オリエンス宗教研究所の
カトリック通信講座を、まじめに受けていることを、お伝えします。
また、年齢的には、医・理・工・化学者デビューには、厳しい事を考慮して、教育・研究・または、政治に、進む可能性を、残すため、
今後、空き時間で、基礎的な高校と大学教養課程程度の全部の復習を、する予定です。
それから、放送大学二回目の卒業の為の単位取得可能な内容の授業出席は、当然します。
可能ならば、来年9月に、卒業を、早めるかもしれません。仕事と生活費の充実度によります。
勿論、仕事ですから、年金についてと、その他、様々な手続き、厚生労働省のホームページや
メールマガジンを、精一杯に学んで、応用や、今後の政治・行政・生活を、考えつつ創造してゆきます。
USA(ワシントンD.C)やローマやロンドン、には、訪問したいと思っています。
今後の生活を、どう工夫するか?でその費用が、出来たら良いのですが・・? とにかく、がんばってみます。
もう少し、平穏な考え方で、人を互いに受け容れる環境があれば、母にも、早くから、良い平安があったのにと残念です。
それでは、しばらく、また休養してから、更新を、連続したいと思います。
私も、神父になる気は、まったく無く・・と言うより、神父の仕事を、理解していないし、何も知らない。
ただ、自分で、様々な学習研究を、進めつつ、聖書読書やミサ、教会の礼拝に出席して、長い間、祈りの生活を、学んだだけ。
それは、興味のある人の友人としては、適切でも、職業に出来ると言うのとは、違うものです。
それでも私は、神父や牧師や信徒達に話しかけて、少しは、教えてもらうための努力を、しました。
だからこそ、この時代に、イエス様本人が、人として、姿を、見せてくださり、話しかけてくださった。
何の不思議も無いことです。
今の、根っこの無い世界中の生活に、根っこを、生えさせるためにも、私は、自分の家庭を、持てるよう、
切に、神に、祈り求めています。皆様、宜しく、お願いします。
Pietro Rnabcisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti.
**********「『ヨブ記』を読みなおす」から***********
後のクレオパトラを彷彿とさせるような贅沢な生活をおくっていたヨブは、
またすべての人々からも認められ、それだけに人々からの尊敬と賞賛を、
当然なことのようにうけていました。
この点について、彼は次のように述べています。
「わたしが町の門に出て
広場で席に着こうとすると
若者らはわたしを見て静まり、
老人らも立ち上がって、敬意を表した。
おもだった人々も話すのをやめ
口に手を当てた。
指導者らは声をひそめ
舌を上顎に付けた。
わたしのことを聞いた耳は皆、祝福し
わたしを見た目は皆、賞賛してくれた」(6-11)
**********以上、本日の転記は、これまで********