香湧水(澤口 宏行)

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聖書の親しみ 「『ヨブ記』を読みなおす」

2015年09月06日 16時24分15秒 | Weblog
 こんにちは!

 相変わらずの怖い雨が、たくさん降っています。

放射能汚染が、どの程度か判らないにしても、少なくとも表面についている

放射能物質については、流されて、海に帰ってゆきます。

それでも自然に、除染される効果は、大いに期待でき、私達、キリスト教徒としては、心から神に感謝したいところでもあります。

あまり外国人を意識した句読点では、かなり、日本人には読みにくくなるので、これからは、最小限の気遣いで、互いに学習したいと思います。

来週(次の日曜日)には、母に買ってもらったことと同じ新車が、納車になるようです。感謝な事です。

私もようやく、ローマの教皇庁と教皇様の働きについては、落ち着いて認識していて、

教皇職のすばらしさには、感動しています。

しかし、私が昔からそうであるように、段階を踏んだ成長重視の教会全体ひいては、

世界全体の相互に成長することに、十分に気を使うことが重要との

考え方は良くないものであるのか?疑問が残るところではあります。

つまり、イエス様も洗礼者ヨハネから洗礼を受けた事実は、重要な示唆であると思うのだけれど・・。

あせって、教職者を期待するよりも、全てに良いことであると思うのは、私だけなのでしょうか?

神に委ねて祈ります。

そして、私が結婚しないと理屈はどうあれ醜い人生の終わりにしてしまいます。しっかりと頑張りたいと思います。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti

***********「『ヨブ記』を読みなおす」続きから*********


 事実、見分けもつかないほどに変わり果てた姿で地面に座り、激しい苦痛に耐えていたヨブを励まそうとしてきた、

三人の友人を見たとたん、ヨブは、堰を切ったように、口を開き、自分の生まれた日を呪って、次のように言っているからです。

   「わたしの生まれた日は消えうせよ。

男の子をみごもったことを告げた夜も。

その日は闇となれ。

神が上から顧みることなく

光もこれを輝かすな。

・・・・・・・・・

なぜ、わたしは母の胎にいるうちに

死んでしまわなかったのか。

せめて、生まれてすぐ息絶えなかったのか。

なぜ、膝があってわたしを抱き

乳房があって乳を飲ませたのか。

それさえなければ、今は黙して伏し

憩いを得て眠りについていたであろうに。・・・・」(3/3-26参照)

**************本日の転記はこれまで***************