香湧水(澤口 宏行)

近況や意見、呼びかけ、個人の研究成果など。

聖書の親しみ  「『ヨブ記』を読みなおす」から

2015年09月27日 12時36分03秒 | Weblog
皆様こんにちは!!

今日は主日ミサ。

先週の「福島県カトリックの集い?」をサボって?(実際に主任司祭は、郡山に残って、地域ミサの司式してくれたし、私も侍者をした)

と言うより、サボったのではなく、家のかたずけに急がしかったので、

申し込みをしないでしまっただけだ。ただ、母の急変からこの方、特に、このような意識のズレが多い。

もちろん、教会を取ってみれば、初めから意識はずれていたが、「私の公式の洗礼は1989年」などと

公表する以前に、沢山の努力と教会に慣れる生活体験を持っていて、(実際に洗礼も何回も経験してしまった)

記憶は、そのハイレヴェルなところばかりを、つなげるとゼロ歳からになるのだけれど、

それらの内で、他の信徒の人々との交わりについては、本当に薄い関係としか感じていない。

それほどに、日常の私の生活は、父母やその他の近しい皆から、大事にされてきたし、何よりも

その中には、神ご自身とイエス様・マリア様が含まれる。

話は飛ぶけれど、安倍総理も、実際に「気さくで良い人」と言いたい人々も居ようが、これまでの政治の進め方を、

振り返って、概観すると、決して本人が言うほど完璧なものではなく、むしろ、高レヴェルで、反論以前の問題で、

今後、確実に必要かもしれないものを、かなり無謀に推し進めた感じが強い。少なくとも私はそう判断している。

とは言え「日本軍」(高度な自衛隊業務・国防技術は、必要と思う)は、いらないように思うけれど。

私たち家族ならば、生まれ育った地域だからこそ、何とか受け容れる事ができた「人々の冷酷」にめげないで

社会活動をし、「母と共に、また私と共に苦しむ母」と父と弟、そして、母と子の努力の結果であったと思う。

決して、安倍総理やUSA・UK市民の中でも、楽観視した人々が書いたような日本の社会情勢ではないようだし、

日本の科学技術も、私が、世界の全ての人々に対して自信を持ってお勧めできる「私の心理分析」的に私が考えると、

かなり危うい日本の科学界だし、一方では、私たち親子に対して、協力的に外部から見えたとしても、

決して、そんなことはない親族関係者達であったと思う。科学的な思考が、今、危ういのは、

日本だけの弱点では、ないかもしれないが、かなり厳しい判断をすると、偶然(実は神が与える)の科学技術、政治手法の発達意外には、

今後の、世界の発展は、望めないかもしれないと、心から思う。

それだけに、私自身も、今後、精一杯に努力するけれど、人々の中の良い部分まで摘み取らないように、

前回書いたように、どんなに苦労しても、今の国民年金の仕事を主体に生活しつつ、福島県立医科大学医学部への

進学を果たして、日本の、世界のカトリックの深い教えを、生かしつつ、

医学者として、大成できるよう、全ての、それらに関わる人々との連携を、強めて行きたいと思う。

早く放送大学二回目の卒業や私自身の結婚をしたいと思う。

母の奇跡の生還を期待しつつも天国での憩いを信じつつ奇跡を待ちたい。

私に、早くこれらの基礎として、カトリック墓地の取得や結婚、医学部進学が、成し遂げられることを、

約束し、神にも、全ての皆様にも願い求めます。

もちろん、国民年金案内等の成果は、しっかり働いて、出します。

この世界に、神の愛と慈しみと恵みと平安が、満ち足りるよう、心から祈ります。

教皇フランシスコ(パパ・フランチェスコ)一世様、天皇陛下におかれましても、

どうか、お心に留め置きくださいますようお願い致します。

私も皆様のためにもお祈り致します。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti

******************「『ヨブ記』を読みなおす」から続き***********************

  4 ヨブの信仰

  旧約聖書に登場するほとんどの預言者たちも、ヨブに勝るとも劣らないほどの、

熾烈な試練や、激しい迫害を受け、苦悩し、そのときの心情を、ありもまま神に向けて訴えています。

しかし彼らは、けっしてヨブのように、自分の無罪を主張したり、

神を厳しく攻め立てたりするような言葉を言ってはいません。

たとえばその一例として、詩編二十二に目を通して見ましょう。この詩編は、

十字架上のイエスご自身が、ご自分の祈りとして唱えられた有名な詩編ですが、

まさに苦悩する詩編作者自身の、代表的な詩です。

  作者はまず、「わたしの神よ、わたしの神よ、なぜわたしをお見捨てになるのですか。

なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず、呻きも言葉も聞いてくださらないのか。

わたしの神よ、呼び求めても答えてくださらない。夜も、黙することをお許しにならない」(22・1-3)

という悲壮な言葉を神に向けています。

*****************************本日の転記はこれまで*******************************