香湧水(澤口 宏行)

近況や意見、呼びかけ、個人の研究成果など。

聖書の親しみ  「『ヨブ記』を読みなおす」から

2015年09月28日 08時17分55秒 | Weblog
皆様おはようございます!!

今日は、久しぶりで、早朝ミサに出かけた。

久しぶりと言っても、結構時々、出ているけれど、昨日は、偉そうに書いたものの、

インターネットでニュースを見ているうちに、大人情報?に目が行ってしまい、

夜遅くまで、基本的に興味も無い?変な写真をいつまでも見てしまって、心の良心の働きで、

大いなる反省を促されているから、「久しぶり」と書いたのだ。我ながら困ったものだと思う。

(とは言え、長いこと男女?の友人がいないから、彼らの行為は魅力的に見えるし、

実際に、理想に近い太祖アブラハム夫婦のように、・・・ただし、私ならば神に信頼して、妻を妹などとは、

どんな場合でも、言えないし、言ってはならない、むしろ果敢に、

力あるものに負けないための信仰を持つのが正しい・・・実際に肉体的なことで、

結婚した男女が、楽しめるならば、極めていいことだ思うし、心をしっかり持つことで、

他の力ある者や上位の聖職者に対して、不徳にはならず、むしろ、それらの責任を持つことで、

社会的にも信頼を得られると自分自身、考える)

冷静に考えて、UK、USA、の一部の人が「結婚は邪悪だ」との意見に対して

「私はそうは思わない」と書いたとおり、冷静な愛を持ち合わせているけれど、

近年の日本の「性の解放」としか言いようの無い無造作な性活動と、反面、

女性達の「行き過ぎに感じるプライド」との板ばさみで、私は、自分自身の結婚相手を

決めるために、情報を集めるために女性達と話すのが怖いほどだ。

そんな年月が、30年続いてしまった。

今まであったことは、自分自身に自信がついてきたから、もう無いと思うけれど、

しかしながら、今まであった事は、これからだって、同じ可能性を否定できないから

私がいつも書く「神は何よりも神を信じないことによる恐れを忌み嫌う」に反した、

しばしばある、大人情報の過剰な鑑賞時間に明け暮れることに繋がっている。

それは自分自身の理論の正しさの自信と共に、人間ゆえの非常な弱さに自分を

巻き込んで、しっかり自分自身に立っていないことを思い知る。

日本の学歴序列に、巻き込まれているのかなとも思う。

そう考えると、しっかりと気を引き締めて、日々の暮らしで、祈りや、仕事と学習研究に

励まなければと、もう一度、正義と愛と神の力を頂きつつ、結婚して、

それらの社会的責任を持つ思いを強くする。

日本社会的には、東京大学医学部で、人をも寄せ付けないほどのプライドで、高度な研究と

その成果を人々に還元しながら生きてほしいのだろうけれど、人間は、ひとりで生きるものではないから、

自分自身をしっかり引き締めて、聖書や信仰に立ちながら、人々との厳粛な関係と

親しみのある関係を築きながら、あらゆる学問研究に根ざして、居住地の福島県立医科大学

医学部に進学して、頑張るのが、私には、正しいことだと思われる。

もちろん、しっかりと時が来るまで、公共の福祉の仕事として、国民年金案内の仕事を頑張らなければならない。

長くなってしまった。皆様お許しください。

この世界に神の愛と恵みと慈しみと平安がありますよう心から祈り求めます。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti

**********************************「『ヨブ記』を読みなおす」から続き*****************************************

  しかし、これにはそれだけの理由があります。

この詩編作者は、自分自身のことを、「わたしは虫けら、とても人とはいえない。人間の屑、民の恥」と公言しています。

彼自身の言葉を借りると、彼を見る人々は皆、「嘲笑い、唇を突き出し、頭を」振って、「主に頼んで救ってもらうがよい。

主を愛しておられるのなら、助けてくださるだろう」、などと嘲ります。

彼らの言葉は、そのままヨブに向けられたそれであり、後で、十字架のイエスに容赦なく投げかけられるそれでした。

  しかしこの詩編作者が、このように自分の苦悩を具体的に、生々しく表現するその意図は、野獣のように激しく

自分に襲いかかる悪や悪人から救ってくださるように、と神に祈るためでした。

だから彼は、「主よ、あなただけは、わたしを遠く離れないでください。わたしの力の神よ、今すぐにわたしを助けてください。

わたしの魂を剣から救い出し、わたしの身を犬どもから救い出してください。・・・・。」(20-21参照)、と

声を限りに祈り続けます。そしてこの詩編作者は、神への感謝と、絶対的な信頼の言葉で、この詩を終わっています。

この詩編の作者の意図は、初めの熾烈な言葉とは異なって、神への深い感謝と、篤い信頼の詩です。

この点が、ヨブには見られない、詩編作者の、深い信仰の表現です。

  とは言っても、わたしは、ここでヨブの信仰を、詩編二十二の作者のそれと単純に比較して、後者の信仰が、

前者のそれに勝っている、などと言おうとしているのではありません。


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