香湧水(澤口 宏行)

近況や意見、呼びかけ、個人の研究成果など。

聖書の親しみ  「『ヨブ記』を読みなおす」から

2015年09月21日 14時46分15秒 | Weblog
こんにちは!

日中は、いい!  一種類の挨拶語だけで、何にも気を使う必要がない。

さて、ようやく秋の長雨もおさまったようだ。

きれいな、ほど良い雲の青空が、朝から広がっている。

この間の弟の反抗は、私に改めて生きる難しさをテーマ付けた。

チュウハイを持って行って、飲ませたからだったのか?酔っ払いのたわごとに近かったのかもしれない。

それでも、家族の代表と思い、毎日母のところに出かけたわたしに向かって言う言葉ではないと思っていたので、

昨日のミサは危うく出そびれそうになるまで、気分が低下していた。しかも、何かといえば「死にたくなる」

なるほど、こうして一生懸命に、貴重な文章を発信しようと思う努力は、人によっては意味がない。

それでも我々の信仰の手引書ならば、そういう無関心がその人を不幸にしていると判るものの

小さな時から同じ繰り返しに近い様子を、思い出されると、かなり心が冷え切ってしまっていた。

さて、もうそんなことは神のみ旨に委ねつつ一からがんばってゆこうと思い直した。

不思議な心の働き・・・これこそ神の救いともいえるのだろう。

しかし、実際に、多くの人々の期待にお金が無いために答えられなかった日々を思うと、

高額な収入になる仕事に就くべきなのではないかと、やはり考えが甦る・・・。

いったい、どうすべきなのか?心して祈ってみようと思うし、ぜひ多くの、私を必要とし、愛していただけている皆さんの

祈りの結果を期待したい。ぜひお祈りいただけたらと切にお願いする。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti

***********************「『ヨブ記』を読みなおす」続きから*****************************

しかも、ヨブが把握していた神は、容赦なく、そして厳しく罰する神でした。

だからヨブは神に、「わたしの上から御手を遠ざけてください。御腕をもって脅かすのをやめてください」と祈り、

「風に舞う木の葉のようにわたしをなお震えさせ、乾いたもみ殻のようなわたしを追いまわされる」、と

嘆いています。ヨブのこのような嘆きと祈りの背景には、「罪と悪がどれほどわたしにあるのでしょうか。

わたしの罪咎を示してください。なぜ、あなたは御顔を隠し、わたしを敵とみなされるのか」(13・21-24)という、

自分が神に見捨てられ、見放されているという潜在意識が大きく働いています。つまりヨブは、

常に神からの被害妄想に苦悩してもいたのです。

**********************本日の転記はこれまで*************************