香湧水(澤口 宏行)

近況や意見、呼びかけ、個人の研究成果など。

聖書の親しみ  「『ヨブ記』を読みなおす」

2015年09月18日 09時36分57秒 | Weblog
おはようございます。

昨日も多少早く書いたので、見ていただけた方が多かったのでしょうか?それとも機械的なものでしょうか?

人数が多く書いてあった。

それはともかく自分のためにも書き続けたい。今日は朝から日光がさして、すがすがしいようです。

夜まで晴れない予報だったので、少し得した気分。

チリ地震の影響は、まだ起きて朝食まもなく、まだ確認していない。

なんにしても、何とか頑張ってほしい・・・どうやって、私個人が、彼らを助けられるのか知恵が無い・・・と言うより急がし過ぎかも。

今回の国民年金の仕事は、その意味でも期待できそうだ。

昨日は勢いで、東京都内の仕事に、インターネットで応募してしまったが、冷静になれば、父を見守る必要があるからそれは無理だ。

もっと早くここまでの知恵があったなら、母も楽だったろうにと大いに反省したい。

せめて早く、しっかりとした結婚をしなければと気を引き締める。

地域教会にも、日本人女性や男性とも話せるようになってきたように思える。

早く本当に助け合いつつがんばって、生きて行ける家庭を見つけて、自分の家庭(妻子)を持ちたいと思う。

そうでなければ、やはり現行の社会では、あまり役立っていない人生を送ることになる。

心して、これからの時間を過そうと思う。

もう自衛官には無理な年齢だし、唯一つ考えられるとすれば、防衛大学校の人文社会コースの教職ならば、貢献できそうだ。

理科系、文科系に、あまりこだわらずに、これからも学習研究を続けて、教職を可能にする論文を書きたいと思う。

その意味では、やはり、自然と環境コースを早く卒業して、人間発達科学を選ぶのが順当かもしれない。

臨床心理士のコースでは限定的になりすぎるかもしれないし、自然環境科学のコースでは、さらに理論に特化して、

限定的になってしまう。人々の必要性が、急を要することなので、キリスト教を初めとした世界中の宗教と、

政治的な安定を狙った政治システム上の問題点と、人間生活上の人間そのものの発達の度合い、深度の異なりを、

世界中の個人個人が、深く参考にしつつ、しかも、普通の学習上で考えながら、各人を深めつつ、生きてゆける学問領域を形成する必要があると

私は思う。そして、きっと私には出来るし、ちょうど、そのくらいの生きる時間が残されている。

家庭を持って、自身の子育てをしながら、収入を確保して、教育研究する生活を構築してゆこうと思う。

出来ればアルバイトしないで、転職しないで、国民年金の仕事をベースに、このまま素直にそこまで、出来ることを、心から願い信じたい。

※文の修正追加をする。

  ※特に、ローマ法皇のパパ・フランチェスコ様に追加します。

日本が、未開国であることに変わりなく、日本軍を事実上復活することに対して、肯定するつもりは私にはないことを明記しておきます。

それに、時が時ならば、現在のようには簡単に、国内も国外も移動できないことを考えれば、どんなに苦労しても、

放送大学の二回目の卒業後は、福島県立医科大学医学部に進学すべきと思います。私ならば、精神科を初めとした研究がいいでしょう。

時間をかけて準備します。それが私の出身高校が長年さげすまれてしまった事への癒しとなることを願いつつ。

もちろん大学は、一度は卒業しておりますので地域の格差や争いには無関心ですし、まして地域の土地の問題については公正であり、

不正にされ続けた問題について受け容れるつもりはありません。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti

*******************「『ヨブ記』を読みなおす」続きから****************

「神は兄弟をわたしから遠ざけ  知人を引き離した。   親族もわたしを見捨て  友だちもわたしを忘れた。

わたしの家に身を寄せていた男や女すら、わたしをよそ者と見なし、敵視する。  僕を呼んでも答えず、

わたしが彼らに憐れみを乞わねばならない。  息は妻に嫌われ、子供にも憎まれる。

幼児にも憎まれる。  わたしが立ち上がると背を向ける。  親友のすべてに忌み嫌われ、

愛していた人々にも背かれてしまった。

骨は皮膚と肉とにすがりつき、皮膚と歯ばかりになって、わたしは生き延びている」(19・13-20)


  しかし、このように、親しい人々の背きによって、恐ろしい孤独に苦しんだのは、ヨブだけではありませんでした。

ダビデも「わたしを嘲る者が敵であれば、彼を避けて隠れもしよう。だが、それはお前なのだ。

わたしと同じ人間、わたしの友、知り合った仲。楽しく、親しく交わり、神殿の群衆の中を共に行き来したものだった。」(詩55・13-14)

と嘆いています。


**************本日の転記はこれまで**************