香湧水(澤口 宏行)

近況や意見、呼びかけ、個人の研究成果など。

聖書の親しみ  「『ヨブ記』を読みなおす」から

2015年09月15日 21時05分25秒 | Weblog
こんばんは!


今晩は、特にローマのフランシスコ教皇様、ベネディクト16世教皇様、USAの皆さん、この地の教会の司祭・信徒たちに、お伝えいたします。



 この「『ヨブ記』を読みなおす」を選んだのは、前にも書いたとおり、

私の目にも、明らかに生きる希望を捨てた苦しい母(私は医師・職員・他の入居者達と彼らの家族の態度が原因と思う

・・・おかげで、亡くなる一か月前の一週間は、私を母は、心から憎んだ)を、

いかにして、希望を持ってもらうかを深く悩んだ末に選んだ書物で、

まさかの「飲まず・食わず」一月後(10代のアイドル歌手達みたいに、きれいに、かわいく痩せました)なのに、

うなずきと会話する意思が復活し、現実に、会話になった記念に、心ある皆さんに共有してもらうためです。



 今日までの転記では、まだ不思議に思えるこの本の、まだ初期の文章ながら、・・・

私は、母の前で、これらを3日間で、(だと思ったが)後書きの前(実際の最後まで)まで読んで聞かせた。



もちろん、後書きの前まで、読み終わった時、母は、良く判った顔をして、私に自然な母の愛情が、見える顔で、

うなずき、小さな声で短く話した。



そのために、喜んだ私が、『きっと教皇様のご威光』、・・・だから「良くなる」と信じた。


次の日の夜、居室に行くと、母は、NHK(TV)を見ていて、私としては、「『日本仏教に固執するNHKは、かなり心配』」な反面、

前日の感動覚めやらぬ私は、「きっと元気になったのだ」と信じて「それじゃー今日は帰るよ」と言うと母が、うなずいた。



思えば、少しさびしそうでもあったが、私が、日中の介護職の疲れで(私が就職した病院職員全員が、新制度や信仰を無理解な中で、

派遣社員で就職した私にとっては、ひどい苦しみの職場(事実、中傷ばかり行われた)であった。・・・もっとも、

私が勉強した介護福祉士の学校の教員達自体が、全然、新制度の意味を、理解していなかったが、

彼らは、勝手に自信をもって授業をしたので、私は学生として聞き続けるしかなかった)苦しかった。



母は、それを、最後に、母親らしく、深く愛情で想い、うなずいたのだと思う。


私も少し一緒に泊まった方が良いかとも思ったが、ひどく疲れもあり、信じて帰った。

次の日の早朝に電話が入って、血圧が下がって危篤・・・亡くなったと2回の連絡だった。


当直職員が誰かを多少知った・・・そして、同居中の他の患者の様子も知った。これが今の私の全てだ。



多くの災害で亡くなった皆さんにも判って頂きたい。私もその苦しみを知った事を。



こうして母は、私に、膨大な量の教えを、残す事ができた。神に感謝すべきことなのだろう。

母は、今天国で、きっと幸せな状態に違いないと信じられる。

全ての人類の問題を、神に委ねつつ、私も全力で、神の平和と愛と正義と繁栄のために生き抜こうと思う。



神に心から感謝。



教皇様(パパ・フランチェスコ教皇様及びベネディクト16世教皇様)に日々の働きを、お許しくださり、

いつも心に神を思う幸せを、お許しくださるようお願い致します。


確かに、私に、31歳までに、何度もイエス様ご自身が、私に、人間の姿で現れ、

お声をかけ・・・いつもやさしい短い言葉だけだった・・・私の心は癒しと喜びに充たされた事を証します。



ただ、NTTの仕事では、大人への勧誘と説明なので、多くの「アダルトビデオ」と言われるものを見て、

他人から、子ども扱いされるのを避けました・・・実際は、今では、その行動自体が、考えすぎだったと信じられますが、


それでも、確かに良い効果・・・つまり、変な、間違った評価を、他人が、勝手にしていた私への評価を、

気にしなくなった良い面もあった。・・・しかし、イエス様も私を自立させたのだと思います。



そのために、今の理性に生きる私が、形成された反面、感情は抑えられ、熱血漢が無くなって、

祈りも、無駄に多くは、祈らなくなったのです。

今後の私自身の霊的な調整をお待ちくださいますようにお願い致します。



  また、このような日本の現状を、ご理解くださり、家庭を持って、正しく子育てしたり、社会活動したり、

日常の全ての富の必要を充たしつつ、教会活動に限りなく正義と愛と赦しと発展を築く事をお赦しください。



そして、どうか、遅くなったが、それらが、実現するように、お祈りくださいますように、お願い致します。



この世界に、神の愛と平和と正義と慈しみとが豊かに注がれますよう心からお祈り致します。



もちろん、私たちが、母と子としての勤めが、認められ、母が、改めて洗礼を受けられるように、

元気に完全な姿で、生き返れるなら、それはそれで、受け容れて頑張りたいと思う。

それでもきっと、「未開の日本」には、私の家庭が必要で、皆と正しく歩む努力が、必要でしょう。

Pietro Francisco Xavier FRancisco

Hiroyuki Sawaguti


**************「『ヨブ記』を読みなおす」から**********

  3 ヨブの苦悩

 わたしが今から25年前に、サンパウロ社から、拙著「『ヨブ記』を読む」の初版を出版したとき、

当時長崎大司教区長だった島本要大司教に、当書を推薦していただくために「まえがき」の執筆をお願いしましたが、

大司教はその中で、「読者の中には、『ヨブが神を呪った』という著者の表現に戸惑う方、抵抗をおぼえる方がいるかもしれない」、

と危惧されて、『広辞苑』から、「呪う」という言葉の意味を説明し、それは「ヨブの絶望的、痛々しい心情を伝えようとしている

のである。そしてそれはヨブの真相であった」(本文4-5頁)、と書いておられます。

*************本日の天気はこれまで*************