香湧水(澤口 宏行)

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聖書の親しみ 「『ヨブ記』を読みなおす」から

2015年09月08日 19時39分27秒 | Weblog
こんばんは!

今日は、昨日、今日、明日とゴミの日なので、朝からゴミを出したり、明日の出す準備に追われ、

祈るのも忘れて過していた事を先ほど思い出した。

これは年をとったというべきか?それとも、これもまた母から頂いた当たり前の行動に過ぎないのか?

いずれにしても、さらにこの家もきれいになった。

なんだか、頭の回転も、久しぶりで昔のようになってきた感じがある。

100パーセント自分の力を発揮できるまで、もう少しかもしれないと少し安堵するも

人間的には、まだ結婚できていない畏れの心が多少頭をもたげてくる。

いつも書くように、ここで恐れの心に負けてしまっては、きっと決して良くない。

神の忌み嫌うところとなる。

ここが踏ん張りどころで、十分に心身、霊肉ともに、より健康に、健全に、充実させて、最後の締めくくりをしなければならない。

それでこそ、神の御心のままにと相応しい祈りと喜びが待っていると信じたい。

「言葉」は初め神とともにあった。曇りがある女性の心の羅針盤を頼りとして、性に異常固執するのではなく、

その心の曇りを、まず自分の心から取り除いて、その良くなった羅針盤に言葉で正しく答えられる良い羅針盤を持った女性と結婚したいと思う。

心からその業を神に委ねつつ、感謝して、今日の記事を終えたい。

Pietro Francisco Xavier Francisco

Hiroyuki Sawaguti

***************「『ヨブ記』を読みなおす」***************

こうして彼は、ついに友人たちまでも失ってしまいます。

それは、あたかも雪解け期には流れが大きくなるが、暑い夏には完全に枯れ果てる砂漠の川のように、いとも簡単に

人を欺くように思えたからです。

ヨブにとって、今までの親友たちは皆、裏切り者に過ぎなくなります。

  ヨブが特に嘆くのは、かつては彼の世話になり、彼に助けられた人々や、その若い子孫たちが、ヨブをあざ笑い、

軽蔑するようになったことです。

*************本日の転記はこれまで*************