皆様おはようございます。
今日は、知らずに早朝ミサに出かけて休みだった。
雨も降っていたので、今日も休もうかとも思ったが、当てが外れてしまった。
しかし、ある意味、なんとなく、心の曇りが晴れてきたようにも感じる。
弟は今、社会的弱者でもあるので、可能ならば、無理のないアルバイトをしてでも、
早くお金を返してやろうと思うようになった。
もちろん、本業にしていただいた(つまり神が選んでくださったと思われる)
国民年金案内の仕事で、そうなれたら最も良いことだが、今後に期待しつつも冷静に日々を過そうと思う。
急にですます調を離れたけれども、これからは、こうして適切な表現を追い求めて、自分の定番の表現を
形成したいと思う。
さて、今日は、その様な訳で、心配の絶えない地域教会ながら、まだまだ、実力不足を思い、
日常生活の安定と興隆に尽くしたいと思う。今誤って、司祭への道を歩み始めても
今までの様々な努力が、道をそれさせると思われるからだ。
ここは冷静に、多少心が狭くとも、公共の福祉の仕事をしつつ、放送大学二回目の卒業を無事に迎え、
仕事と交遊と学習・研究、そして福島県立医科大学医学部への進学を果たしたいと思う。
いつも心に正直にしつつ、しっかりとした結婚も志したいと思う。それは一日も早く実現したい。
博士を取れたら尚良いけれど、やはり最近の経験から、開業医を目指したい。
年を取り過ぎたという事は無いと思われるし、むしろ必要であったと考えられる。
何にしても、キリスト教の本質を分かってもらい現実的に平和や平安な厳格な日常生活の実践が、
実に平和で、正しく、優しく生きられ、科学的でもあることが理解されることを期待したい。
この世界に、神の慈しみと愛と平和と恵みがありますようにと祈りたい。
私の母の上にも同様にそれらに充たされ、天国での安らぎを得るよう祈りたい。
Pietro Francisco Xavier Hiroyuki Sawaguti
*******************************「『ヨブ記』を読みなおす」から続き*************************************
そしてヨブはついに、「どうか、過ぎた年月を返してくれ、神に守られていたあの日々を」(29・2)
とさえ主張し、「なぜ、神は愛する者が、神の目を見ることができないのか」(24・1)と、神の不正を
批判しています。少なくともこの点に関して、わたしたちはヨブに賛同することはできません。
たとえわたしたちが、どのような過酷で、厳しい試練に直面しているとしても、しかし、だから
「わたしたちは神に嫌われている」とか、「神がわたしに懲らしめを与え」、「神がわたしの人生を
台無しにした」などとは、決して言ってはならないことです。
*************************************本日の転記はこれまで****************************************
今日は、知らずに早朝ミサに出かけて休みだった。
雨も降っていたので、今日も休もうかとも思ったが、当てが外れてしまった。
しかし、ある意味、なんとなく、心の曇りが晴れてきたようにも感じる。
弟は今、社会的弱者でもあるので、可能ならば、無理のないアルバイトをしてでも、
早くお金を返してやろうと思うようになった。
もちろん、本業にしていただいた(つまり神が選んでくださったと思われる)
国民年金案内の仕事で、そうなれたら最も良いことだが、今後に期待しつつも冷静に日々を過そうと思う。
急にですます調を離れたけれども、これからは、こうして適切な表現を追い求めて、自分の定番の表現を
形成したいと思う。
さて、今日は、その様な訳で、心配の絶えない地域教会ながら、まだまだ、実力不足を思い、
日常生活の安定と興隆に尽くしたいと思う。今誤って、司祭への道を歩み始めても
今までの様々な努力が、道をそれさせると思われるからだ。
ここは冷静に、多少心が狭くとも、公共の福祉の仕事をしつつ、放送大学二回目の卒業を無事に迎え、
仕事と交遊と学習・研究、そして福島県立医科大学医学部への進学を果たしたいと思う。
いつも心に正直にしつつ、しっかりとした結婚も志したいと思う。それは一日も早く実現したい。
博士を取れたら尚良いけれど、やはり最近の経験から、開業医を目指したい。
年を取り過ぎたという事は無いと思われるし、むしろ必要であったと考えられる。
何にしても、キリスト教の本質を分かってもらい現実的に平和や平安な厳格な日常生活の実践が、
実に平和で、正しく、優しく生きられ、科学的でもあることが理解されることを期待したい。
この世界に、神の慈しみと愛と平和と恵みがありますようにと祈りたい。
私の母の上にも同様にそれらに充たされ、天国での安らぎを得るよう祈りたい。
Pietro Francisco Xavier Hiroyuki Sawaguti
*******************************「『ヨブ記』を読みなおす」から続き*************************************
そしてヨブはついに、「どうか、過ぎた年月を返してくれ、神に守られていたあの日々を」(29・2)
とさえ主張し、「なぜ、神は愛する者が、神の目を見ることができないのか」(24・1)と、神の不正を
批判しています。少なくともこの点に関して、わたしたちはヨブに賛同することはできません。
たとえわたしたちが、どのような過酷で、厳しい試練に直面しているとしても、しかし、だから
「わたしたちは神に嫌われている」とか、「神がわたしに懲らしめを与え」、「神がわたしの人生を
台無しにした」などとは、決して言ってはならないことです。
*************************************本日の転記はこれまで****************************************