香湧水(澤口 宏行)

近況や意見、呼びかけ、個人の研究成果など。

聖書の親しみ  「『ヨブ記』を読みなおす」から

2015年09月15日 21時05分25秒 | Weblog
こんばんは!


今晩は、特にローマのフランシスコ教皇様、ベネディクト16世教皇様、USAの皆さん、この地の教会の司祭・信徒たちに、お伝えいたします。



 この「『ヨブ記』を読みなおす」を選んだのは、前にも書いたとおり、

私の目にも、明らかに生きる希望を捨てた苦しい母(私は医師・職員・他の入居者達と彼らの家族の態度が原因と思う

・・・おかげで、亡くなる一か月前の一週間は、私を母は、心から憎んだ)を、

いかにして、希望を持ってもらうかを深く悩んだ末に選んだ書物で、

まさかの「飲まず・食わず」一月後(10代のアイドル歌手達みたいに、きれいに、かわいく痩せました)なのに、

うなずきと会話する意思が復活し、現実に、会話になった記念に、心ある皆さんに共有してもらうためです。



 今日までの転記では、まだ不思議に思えるこの本の、まだ初期の文章ながら、・・・

私は、母の前で、これらを3日間で、(だと思ったが)後書きの前(実際の最後まで)まで読んで聞かせた。



もちろん、後書きの前まで、読み終わった時、母は、良く判った顔をして、私に自然な母の愛情が、見える顔で、

うなずき、小さな声で短く話した。



そのために、喜んだ私が、『きっと教皇様のご威光』、・・・だから「良くなる」と信じた。


次の日の夜、居室に行くと、母は、NHK(TV)を見ていて、私としては、「『日本仏教に固執するNHKは、かなり心配』」な反面、

前日の感動覚めやらぬ私は、「きっと元気になったのだ」と信じて「それじゃー今日は帰るよ」と言うと母が、うなずいた。



思えば、少しさびしそうでもあったが、私が、日中の介護職の疲れで(私が就職した病院職員全員が、新制度や信仰を無理解な中で、

派遣社員で就職した私にとっては、ひどい苦しみの職場(事実、中傷ばかり行われた)であった。・・・もっとも、

私が勉強した介護福祉士の学校の教員達自体が、全然、新制度の意味を、理解していなかったが、

彼らは、勝手に自信をもって授業をしたので、私は学生として聞き続けるしかなかった)苦しかった。



母は、それを、最後に、母親らしく、深く愛情で想い、うなずいたのだと思う。


私も少し一緒に泊まった方が良いかとも思ったが、ひどく疲れもあり、信じて帰った。

次の日の早朝に電話が入って、血圧が下がって危篤・・・亡くなったと2回の連絡だった。


当直職員が誰かを多少知った・・・そして、同居中の他の患者の様子も知った。これが今の私の全てだ。



多くの災害で亡くなった皆さんにも判って頂きたい。私もその苦しみを知った事を。



こうして母は、私に、膨大な量の教えを、残す事ができた。神に感謝すべきことなのだろう。

母は、今天国で、きっと幸せな状態に違いないと信じられる。

全ての人類の問題を、神に委ねつつ、私も全力で、神の平和と愛と正義と繁栄のために生き抜こうと思う。



神に心から感謝。



教皇様(パパ・フランチェスコ教皇様及びベネディクト16世教皇様)に日々の働きを、お許しくださり、

いつも心に神を思う幸せを、お許しくださるようお願い致します。


確かに、私に、31歳までに、何度もイエス様ご自身が、私に、人間の姿で現れ、

お声をかけ・・・いつもやさしい短い言葉だけだった・・・私の心は癒しと喜びに充たされた事を証します。



ただ、NTTの仕事では、大人への勧誘と説明なので、多くの「アダルトビデオ」と言われるものを見て、

他人から、子ども扱いされるのを避けました・・・実際は、今では、その行動自体が、考えすぎだったと信じられますが、


それでも、確かに良い効果・・・つまり、変な、間違った評価を、他人が、勝手にしていた私への評価を、

気にしなくなった良い面もあった。・・・しかし、イエス様も私を自立させたのだと思います。



そのために、今の理性に生きる私が、形成された反面、感情は抑えられ、熱血漢が無くなって、

祈りも、無駄に多くは、祈らなくなったのです。

今後の私自身の霊的な調整をお待ちくださいますようにお願い致します。



  また、このような日本の現状を、ご理解くださり、家庭を持って、正しく子育てしたり、社会活動したり、

日常の全ての富の必要を充たしつつ、教会活動に限りなく正義と愛と赦しと発展を築く事をお赦しください。



そして、どうか、遅くなったが、それらが、実現するように、お祈りくださいますように、お願い致します。



この世界に、神の愛と平和と正義と慈しみとが豊かに注がれますよう心からお祈り致します。



もちろん、私たちが、母と子としての勤めが、認められ、母が、改めて洗礼を受けられるように、

元気に完全な姿で、生き返れるなら、それはそれで、受け容れて頑張りたいと思う。

それでもきっと、「未開の日本」には、私の家庭が必要で、皆と正しく歩む努力が、必要でしょう。

Pietro Francisco Xavier FRancisco

Hiroyuki Sawaguti


**************「『ヨブ記』を読みなおす」から**********

  3 ヨブの苦悩

 わたしが今から25年前に、サンパウロ社から、拙著「『ヨブ記』を読む」の初版を出版したとき、

当時長崎大司教区長だった島本要大司教に、当書を推薦していただくために「まえがき」の執筆をお願いしましたが、

大司教はその中で、「読者の中には、『ヨブが神を呪った』という著者の表現に戸惑う方、抵抗をおぼえる方がいるかもしれない」、

と危惧されて、『広辞苑』から、「呪う」という言葉の意味を説明し、それは「ヨブの絶望的、痛々しい心情を伝えようとしている

のである。そしてそれはヨブの真相であった」(本文4-5頁)、と書いておられます。

*************本日の天気はこれまで*************


聖書の親しみ  「『ヨブ記』を読みなおす」

2015年09月14日 21時01分21秒 | Weblog
こんばんは!

自民党でないと、日本社会を治められないと思っている単純馬鹿(私もそうだったが)が、多いのかもしれない。

それも結構。現状では、明治維新並みの実体が出来上がると思う危惧を証明しているに過ぎない。

私は私なりに、真摯に「治世に何が必要なのか」を、良く見極めつつ、教育や社会運営に、反映させる力を、養うだけだから。

若い私も、錯覚していた。しかし、天皇家に対する心引き締まった気持ちは、私自身ならば、むしろ今のほうが、賢く深い洞察がある。

自らを、「天才」と思いたいならば、勝手に思えばいい。社会を巻き込まず、地道にその力を、使い続ければいいだけのこと。

「人間は、たかが人間」されど、「人間」であると思う。

自らを、心引き締めて、十分に、実力を付けたならば、きっと、必ず、正しい社会運営を、出来るに違いないと私は信じる。

皮肉なもので、やっぱり、今度の豪雨によって、福島県内の設置されている放射線量計「モニタリングポスト」の値は、かなり下がった。

私には、大きく身動きする収入が、全く無くて、何も出来ないが、今尚、困っている皆様が、一日も早く生活を回復できる事を心から願う。

私もここで、「USA医薬品・サプリメント」の個人輸入代行を、行うことが出来るようになった事を、書き記しておきたい。

心ある皆さんの、私への謝礼を、含めた御利用を、心からお待ちしたい。自分の生活ばかりではなく、今後の公的な非営利活動に使いたい。

もちろん真摯に「国民年金案内」を生業としつつ、しかし、自信回復とともに他者の励ましや住まい改修や海外訪問に使いたいと思う。

良い輸入取引が出来る事を信じつつ、私の助けを必要な方と出会える事を信じたい。

また、一日も早く、ともに生活できる結婚をしたいと思う。

Pietro Francisco Xavier Francisco

Hiroyuki Sawaguti

************「『ヨブ記』を読みなおす」から***************

  さて、わたしたちに、もしヨブのように苦悩している友人がいるとすれば、

わたしたちははたして、どのように教え、諭してあげられるだろうか、と

自問自答するとき、わたしたちが果たして、ヨブの友人たち以上に説得力のある答えを

提示できるかどうか、極めて懐疑的です。

いずれにせよ、彼らの恩果応報論的勧告は、ヨブを納得させることはありませんでした。

だからヨブは、だれも自分の苦しみの重さを理解してくれない、と嘆きます。

彼はエリファズに、「わたしの苦悩を秤にかけ、わたしを滅ぼそうとするものを、

すべて天秤に載せるなら、今や、それは海辺の砂より重いだろう。わたしは言葉を

失うほどだ」(6・2-3)と激白しています。

こうしてヨブは、財産だけではなく、もっとも親しかった友人たちさえも失い、

文字通り、天涯孤独な人になります。苦悩する人々がわたしたちに相談するとき、

彼らが、わたしたちに本当に求めることは、理論的に正しい解答よりも、

むしろ自分の苦しみに対する同情や理解ではないでしょうか。そうだとすれば、

ヨブの三人の友人たちの慰めや勧告の言葉は、ヨブには全く功を奏してはいません。

***************本日の転記はこれまで*****************

聖書の親しみ  「『ヨブ記』を読みなおす」から

2015年09月13日 19時22分06秒 | Weblog
こんばんは!

今日は待ちに待った新車が届いた。(トヨタのピクシスエポック・・・実に良い)

まずはじめに行ったことは、母の遺骨を、お寺に預かってもらうこと。

弟と一緒に、父の希望なので、お寺での葬儀であったためだ。

葬儀等に、高額かけてまで・・・と思う。

知らないとは困ったものだった。

やっと家族だけで事を進めるようになった。

いままでは、たくさんの親族が関わった・・・。

うれしいことなのだが、福音的には、非常に困った・・・。

全て任せてくれたなら・・・そもそもケアーのあり方も含めて・・・。20年近くの問題だ。

そして、元気だった頃から、頑張る私に、新車を買ってやりたくて、うずうずしていた母を思い出す。

本当に、母の言う事を聞いて、喜んでもらうべきだった。

きっと突然全ての皆さんから賞賛された頃で、困惑してしまったに違いない私であった。

それが無ければ、健康なまま、まだまだ元気な母であったに違いない。

こんな、苦しむ姿を写真に残す必要など無かったのだ・・。無念。完全な健康体で復活してほしいと切に思う。

全てにおいて、イエス様の喩えの奥深さと新約聖書の真理を通じた旧約聖書の完全な資料・・・私たちは幸せだ。

日本人としての労働を伴う人としての困惑が、最後の最後、真に現れたイエス様を見失ったのかもしれない。

そのくらい人々の妬みのようなものも、極限値であった。(4人家族全員が健康で勢いがあった頃・・・

私達の困惑した緊張が原因だ)




早く幸せな家庭を創って、両親を安心させたいし、自分自身も重荷を下ろしたい。

神が全てを導いて下さいますように。

Pietro Francisco Xavier Francisco

Hiroyuki Sawaguti

************「『ヨブ記』を読みなおす」************

  ヨブの三人目の友人であるナアマ人フォファルもヨブに、「あなたも正しい方向に思いをはせ、

神に向かって手を伸べるなら、また、あなたの手からよこしまなことを遠ざけ、

あなたの天幕に不正をとどめないなら、その時こそ、あなたは晴れ晴れと顔を上げ、

動ずることなく、恐怖を抱くこともないだろう」(11・13-15)、とヨブに、自分の罪を認めて改心するように、

と勧めています。

***********本日の転記はこれまで***********


聖書の親しみ  「『ヨブ記』を読みなおす」から

2015年09月12日 13時44分08秒 | Weblog
こんにちは!

本当に大きな被害になった今度の台風。

いつもだと西日本のニュースを、比較的遠くに感じていたが、改めてしっかりとした心身・知識・力・行動の自己管理の一貫として、

学習・研究に、また、経済的な貯えや業務的にも、しっかりとした仕事をする必要性を思う。

年齢が往けば往くほど「馬鹿」みたいな、現在の教科書の書き方は、全て改めてほしいものだ。

正々堂々と前向きな活動をする気概を持ってほしい。

そもそも、年齢を理由に不採用になったり、管理職を外す等、もってのほかと思うのは、何がいけないというのか?

自民党は、そもそも、他人のお金を集めて活動することに慣れているが、そんな階層構造を正しいと思う時代は過ぎていると思う。

事実その結果として、少子高齢化、正規外雇用の時代になってしまいそうだ。

単なる洪水収束に一喜一憂せず、ゆとりのある地域の人々は、この機に、知恵を出して力を合わせてほしいものだ。

私の母も人災と思う。私も一緒になって、母子共倒れになってはいけないと心引き締めて頑張る。

願わくは、もう一度その揚げ足をとられた問題からやり直すために、元気な体で生き返ってほしいと心より神に願う。

願わくは、神の目に、もっとも適切な結婚を、私自身が、遂行できる確かな生きる全ての知恵と力が、与えられるよう、神に願う。

これからの全てを神とともに歩み、進めてゆくよう自らが、心から引き締まりたい。

Pietro Francisco Xavier Francisco

Hiroyuki Sawaguti


**************「『ヨブ記』を読みなおす」から*************

  ヨブのもう一人の友人であるシュア人ビルダドは、もっと厳しく、

「神が裁きを曲げられるだろうか。全能者が正義を曲げられるだろうか。」

もしヨブ自身が罪を犯していないとしても、

「あなたの子らが、神に対して過ちを犯したからこそ、彼らをその罪の手にゆだねられたのだ」と

言明し、それゆえに、「あなたが神を捜し求め、全能者に憐れみを乞うなら、また、

あなたが潔白な正しい人であるなら、神は必ずあなたを顧み、あなたの権利を認めて、

あなたの家を元通りにしてくださる」(8・3-6)と、彼もまた、ヨブが自分の罪の責任を認めて、

神に助けを求めるように、と諭しています。

*************本日の転記はこれまで***************


聖書の親しみ  「『ヨブ記』を読みなおす」

2015年09月11日 23時10分09秒 | Weblog
こんばんは!

今日は久しぶりで、一日中外で過した日になった。

なんとなく、台風の大きな被害の後なので、真っ黒い雲が恐ろしげにも感じた。

しかし、その背景には、この地では、青空が出ていて、ある程度すがすがしい一日であった。

まさしく神に感謝したい日となった。

原発事故を含めての環境放射能がどれほどかわからないまでも、何も気にしないで過せる一日だった。

母の年齢ならば、私への圧力で、大きなマイナスもたくさん興せたのだから、

安らかな死を迎えただけでも、神に感謝すべきであったのかもしれない。

そう思うと少し心が安らぎ、明日の自分自身の生きる力がわいてくる。

多くの他者の疑問点は、まさにソドム・ゴモラ並かそれ以上であったものの、

全ては神の御心によると信じて、今後の様々な起こる問題や喜びを受け容れる勇気を持とうと決心する。

きっとまだ暫くは詳細を思い出して、詳しい分析を頭の中でするので、頭と体が疲れるも

きっと安らかな平安な日々と力強い私の日常が帰ってくると確信できた。

日々精一杯に真摯に生き、愚かさを決して自分の身に帯びないよう自分自身の心と他者の心を深く洞察したいと思う。

そして、その力を神に心から願い与えられると信じよう。

キリストの愛と慈しみと知恵と力を帯びた残りの私自身の人生の力強さを心から信じる。

そして、冷静な結婚の準備と人選と職業と学業研究を行ってゆく力を与えられ続けると信じる。

Pietro Francisco Xavier Francisco

Hiroyuki Sawaguti.

************「『ヨブ記』を読みなおす」から***********

  このような恐ろしいほどの孤独、まさに四面楚歌な状況の中で、ヨブは苦しみます。

もちろん彼の三人の友人たちは、手を変え、品を変えして、ひたすらヨブの説得に努めます。

たとえば、ヨブを慰めるために来た三人の友人の一人、テマン人エリファズは、ヨブに、「考えても見なさい。

罪の無い人が滅ぼされ、正しい人が絶たれたことがあるかどうか。

わたしが見てきたところでは、災いを耕し、労苦を蒔く者が、災いと労苦を収穫することになっている」(4・7-8)と

諭し、ヨブに、神に立ち返るように、と強く勧めます。

そして彼は、「わたしなら、神に訴え、神にわたしの問題を任せるだろう。計り難く大きな業を、

数知れぬ不思議な業を成し遂げられた方に」(5・8-9)と、神に助けを求めるようヨブに強く勧告しています。

***********本日の転記は、これまで************




聖書の親しみ  「『ヨブ記』を読みなおす」から

2015年09月10日 19時02分08秒 | Weblog
 こんばんは!

今日は少しは晴れるであろうか?と書いた昨日とは違って、大変な台風による水害になった。

自宅やその他を失った人々に心からお見舞い申し上げたい。

「威張るのは嫌いだ」と言って地域や地域教会との距離を保って静かに祈っていた私を神が支えて下されていたか?

その頃は、(つい先日まで母の生きている間中)少なくとも福島県は、いつも奇跡的にどんな嵐も難なく消えていったものの、

今回はそうは行かないようだ。

やはり、多くの、今までの母との生活を、地域ぐるみでよく思い出しては、分析、反省、非難の心を起こしているためなのかもしれない。

普段の自分の存在価値を感じる一方で、今回の出来事の大きさ重要さを指摘せざるを得ない。

全く元気一杯の母を返してほしくなる・・・。やっぱり悲しい問題だ。

私の信仰が進み、教皇様の行動を、より正しく理解できて来たからでもある。

この辺で、悔やむことは切り上げよう。

今日は、事実上母が買ってくれた新車の保険の手続きを全て終えた。

なんとなく心が温まってうれしくなってきた事をお伝えしておこうと思う。

母が完全な形で生き返るなら、なんと幸せなことかと心からそう思う。

一日も早く、仕事、結婚、学習・研究、政治力が与えられる事を神に願って、今日の記事を終える。

母に、父に、兄弟に、神に感謝。

Pietro Francisco Xavier Francisco

Hiroyuki Sawaguti

*************「『ヨブ記』を読みなおす」から*************

だから彼らは、今こそ父に代わって、ヨブに感謝するべき人々です。

ところが彼らは今、全く逆の行動をとっている、とヨブは言います。

「ところが今は、わたしが彼らのはやしの歌の種、嘲りの言葉を浴びる身になってしまった」と、

ヨブは嘆いているからです。「彼らはわたしを忌み嫌って近寄らず、平気で顔に唾を吐きかけてくる。

彼らは手綱を振り切り、わたしを辱め、くつわを捨てて勝手にふるまう・・・・」とも言います。(30・1-15)


***********本日の転記はこれまで*********

聖書の親しみ  「『ヨブ記』を読みなおす」から

2015年09月09日 19時25分16秒 | Weblog
こんばんは!

今日もほとんど雨。昨日頑張りすぎたためか?今日はせっかくのゴミ収集車に間に合わなかった。ちょっと無念。

さて気を取り直して、さらに、今後の準備を進めてゆこう。

頑張って、一日も早く仕事と生活と学業研究の発展的な確立をしなければならない。

そうする事により、異常に遅くなった結婚も少しは早まると思われる。

そして、一々時間が経つと全てを忘れてしまうような民に惑わされず、しかし自分の民として正しく愛してゆかねばならない。

この民にその愛の実は厳しいことを理解するであろうか?一方的な要求は100パーセント呑むことは出来ない。

紳士的な態度を常に養わせる必要がある。

さて自分自身もまだまだ発展途上でもあるから、真摯にがんばってゆこうと思う。

明日は少しは晴れるであろうか。

Pietro Francisco Xavier Francisco

Hiroyuki Sawaguti

*************「『ヨブ記』を読みなおす」から************


ヨブは、「わたしより若い者らが、わたしを嘲笑う」と嘆いています。

この「若い者ら」とは、何の気力も無く、何の役にも立たず、かえって世間から追われ、

荒涼とした砂漠や沼地をさ迷い、身震いさせるような谷間や土の穴、岩の裂け目に宿り、

泥棒呼ばわりされ、国からたたき出されていたので、かつてヨブの援助によって助けられた

人々の子孫たちでした。

***************本日の転記はこれまで***********

聖書の親しみ 「『ヨブ記』を読みなおす」から

2015年09月08日 19時39分27秒 | Weblog
こんばんは!

今日は、昨日、今日、明日とゴミの日なので、朝からゴミを出したり、明日の出す準備に追われ、

祈るのも忘れて過していた事を先ほど思い出した。

これは年をとったというべきか?それとも、これもまた母から頂いた当たり前の行動に過ぎないのか?

いずれにしても、さらにこの家もきれいになった。

なんだか、頭の回転も、久しぶりで昔のようになってきた感じがある。

100パーセント自分の力を発揮できるまで、もう少しかもしれないと少し安堵するも

人間的には、まだ結婚できていない畏れの心が多少頭をもたげてくる。

いつも書くように、ここで恐れの心に負けてしまっては、きっと決して良くない。

神の忌み嫌うところとなる。

ここが踏ん張りどころで、十分に心身、霊肉ともに、より健康に、健全に、充実させて、最後の締めくくりをしなければならない。

それでこそ、神の御心のままにと相応しい祈りと喜びが待っていると信じたい。

「言葉」は初め神とともにあった。曇りがある女性の心の羅針盤を頼りとして、性に異常固執するのではなく、

その心の曇りを、まず自分の心から取り除いて、その良くなった羅針盤に言葉で正しく答えられる良い羅針盤を持った女性と結婚したいと思う。

心からその業を神に委ねつつ、感謝して、今日の記事を終えたい。

Pietro Francisco Xavier Francisco

Hiroyuki Sawaguti

***************「『ヨブ記』を読みなおす」***************

こうして彼は、ついに友人たちまでも失ってしまいます。

それは、あたかも雪解け期には流れが大きくなるが、暑い夏には完全に枯れ果てる砂漠の川のように、いとも簡単に

人を欺くように思えたからです。

ヨブにとって、今までの親友たちは皆、裏切り者に過ぎなくなります。

  ヨブが特に嘆くのは、かつては彼の世話になり、彼に助けられた人々や、その若い子孫たちが、ヨブをあざ笑い、

軽蔑するようになったことです。

*************本日の転記はこれまで*************

聖書の親しみ  「『ヨブ記』を読みなおす」

2015年09月07日 22時13分44秒 | Weblog
こんばんは!

今日は、ずいぶん書類を整理して、いつでも仕事に出かけられそうです。

なんとなく仕事のイメージが、出てきました。

相変わらず雨が多い文字通りの秋の長雨でしょうか?

雨といからのしずくが頭に落ちると、その後入浴まで不快です。

わざわざ放射線量を測りませんが、放射線量が高くても不思議が無いのですから困ったものです。

早く安全な自然環境に戻したいものです。

こう書くと、「風評被害」と言われそうですが、自分の環境は、良くすることも続ける必要があると思います。

農作物や、山菜、海産物や空間放射線量の心配を過剰にしているわけでも、売れなくしているわけでもなく、

率直に正常値まで戻ってほしいと思っているだけです。

言葉尻を取られて、「(まるで逆切れの)・・・現在は十分に正常値になりました。でたらめを言うな」と

言われそうですね。

しかし、私は、基準を、心の中で十分に厳しく持っていたいと思います。

その結果はどうあれ、安心は、努力して作り出してゆく必要があるのですから。

Pietro Francisco Xavier Francisco

Hiroyuki Sawaguti

**********「『ヨブ記』を読みなおす」から********

 このように自分の生まれた日を呪うということは、少なくとも間接的には、命の源である神に、

不平と不満をぶちまけることでもある、と言えます。

そうなると、自分の回りは真っ暗になり、何も見えなくなります。

それゆえにヨブは、「全能者の矢に射抜かれ、わたしの魂は毒を吸う。神はわたしに対して脅迫の陣を敷かれた」(6・4)

とさえ思い込むようになります。

ここまで来ると、ヨブの心は荒れ果て、糸の切れた凧のように、強力な感情の嵐に操られた人間となって、

従来の純粋で、直な心は曇り、すべてを色眼鏡で見るようになります。

*********本日の転記はこれまで**********


聖書の親しみ 「『ヨブ記』を読みなおす」

2015年09月06日 16時24分15秒 | Weblog
 こんにちは!

 相変わらずの怖い雨が、たくさん降っています。

放射能汚染が、どの程度か判らないにしても、少なくとも表面についている

放射能物質については、流されて、海に帰ってゆきます。

それでも自然に、除染される効果は、大いに期待でき、私達、キリスト教徒としては、心から神に感謝したいところでもあります。

あまり外国人を意識した句読点では、かなり、日本人には読みにくくなるので、これからは、最小限の気遣いで、互いに学習したいと思います。

来週(次の日曜日)には、母に買ってもらったことと同じ新車が、納車になるようです。感謝な事です。

私もようやく、ローマの教皇庁と教皇様の働きについては、落ち着いて認識していて、

教皇職のすばらしさには、感動しています。

しかし、私が昔からそうであるように、段階を踏んだ成長重視の教会全体ひいては、

世界全体の相互に成長することに、十分に気を使うことが重要との

考え方は良くないものであるのか?疑問が残るところではあります。

つまり、イエス様も洗礼者ヨハネから洗礼を受けた事実は、重要な示唆であると思うのだけれど・・。

あせって、教職者を期待するよりも、全てに良いことであると思うのは、私だけなのでしょうか?

神に委ねて祈ります。

そして、私が結婚しないと理屈はどうあれ醜い人生の終わりにしてしまいます。しっかりと頑張りたいと思います。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti

***********「『ヨブ記』を読みなおす」続きから*********


 事実、見分けもつかないほどに変わり果てた姿で地面に座り、激しい苦痛に耐えていたヨブを励まそうとしてきた、

三人の友人を見たとたん、ヨブは、堰を切ったように、口を開き、自分の生まれた日を呪って、次のように言っているからです。

   「わたしの生まれた日は消えうせよ。

男の子をみごもったことを告げた夜も。

その日は闇となれ。

神が上から顧みることなく

光もこれを輝かすな。

・・・・・・・・・

なぜ、わたしは母の胎にいるうちに

死んでしまわなかったのか。

せめて、生まれてすぐ息絶えなかったのか。

なぜ、膝があってわたしを抱き

乳房があって乳を飲ませたのか。

それさえなければ、今は黙して伏し

憩いを得て眠りについていたであろうに。・・・・」(3/3-26参照)

**************本日の転記はこれまで***************




聖書の親しみ  「『ヨブ記』を読みなおす」

2015年09月05日 21時58分19秒 | Weblog
こんばんは!

今日も、なんとなく忙しく、こんな時間。

しかし、弟の協力もあって、掃除も進み、仕事の雰囲気も出来てきた。

そして、色々人とポジティブに話せる時間が、増えてきた。

人は、本当に、良い人間関係を、維持することは、重要なことだ。

改めて、友や、同僚など、志を共にする人々が、大切であることに、今更ながら、気付く。

まさに、神の愚かさは、人よりも賢い。

この世の子らは、光の子らよりも賢い。

なのだ。

いつも、謙虚に、謙遜になることが、必要なのは、やはり、自分自身であることを、深く思う。

焦りを呼び起こす愚かな人々が、存在することは、確かでも、自分の力を、過信せず、

素直に、そのような人々から、離れ逃れることも重要なのだ。

彼らにとっても、何か、そうする重要な理由が、あるのだし、

きっと神は、彼らをも、正しい方向に導くために、苦心されているのだろう。

結局のところ、心配しないで、正しく身を守ること、自分のことは、自分しかわからないのだから、

決して、無理を、しないで、爽やかに生きることが大切だと思う。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti

私の、この文章は、外国人の読者のために、わざわざ句読点を、多用しています。いつか従来の日本語にしたいかな?

***********「『ヨブ記』を読みなおす」から続き**********

  しかし、ヨブのこのような試練は、彼のその後の長い、過酷な苦しみの日々を考えると、

まだ「序の口」に過ぎませんでした。

 その後、ありとあらゆる苦しみが、次々と彼を襲うからです。

まずは、ヨブ自身が、「頭のてっぺんから足の裏まで、ひどい皮膚病」にかかります。

その時、彼の妻はヨブに、「どこまで無垢でいるのですか。神を呪って、死ぬほうがましでしょう」と

言いますが、ヨブは妻に、「お前まで愚かなことを言うのか。わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、

不幸もいただこうではないか」と答えています。

感動的な「答え」です。

 しかし、『ヨブ記』の著者は、「このようになっても、彼は唇をもって罪を犯すことはなかった」、と

付言しています。

「唇をもって罪を」犯さなかった、という微妙な表現の裏には、彼の内面的な動揺が、

少なくとも間接的には示唆されているように思えます。(2・7-10参照)

****************本日の転記はこれまで******************

聖書の親しみ  「『ヨブ記』をよみなおす」から

2015年09月04日 20時23分35秒 | Weblog
こんばんは!

ようやく何ヶ月ぶりかで、祈りの日課を、果たせるようになった。

何ヶ月と言うよりも、事実上は、何年ぶりかで・・・。

やはり、人間の脳は、弱い・・・努力を、していても、様々な悪事情で、祈りや聖書読書をしないと

ごく普通の?コンビニにあるアダルト?(本当に大人の意味)雑誌や週刊誌で、過激でないように見えても、その影響を強く受けて、

今ならば、問題なく、「それらは、神の前に、全く、相応しくない」と判断できるのに、全く不倫が、不倫に見えなくなり、恐ろしかったと思った。

実際に、興味本位から、記述や、画像を、自分自身に置き換えてしまう・・・これは、そもそも、政治、風俗、様々な、特別記事に於いて、

出版社が、意とし、購入読者も、意とするところでもあろうとやっと気付く・・・。

かつては、業務遂行の推進力のためと、苦渋の選択のつもりが、自分自身の霊性には、一番良くなかったと思える。

過ぎた数年が、残念であるにしても、様々な職業遂行上、勉学遂行上、対人的な会話のすれ違いを、恐れた自分自身が、悪かったと思う。

やはり、私が、思うに、神は、「人としての、恐れによる不合理な考え・行為」を忌み嫌う事が、

実際の神の御心の現実として、真実として存在する事を、悟らなければならないと思う。

これからは、全てにおいて、知的に、さわやかに生き、人々との関係も、さわやかであるように、神に、自分の力を、いただくよう願いたい。

そして、結婚すること、家庭を築くこと、そして、子供と共に、仕事と祈りと公教会活動に貢献することを、祈り求めて、信じたい。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hroyuki Sawaguti

(名前の後ろには、ピリオドを、付けないとの事、英語の時間が、昔のため、長い間の変則に、気付かなかった許しを、願いたい)

**********『ヨブ記』を読みなおす***********

2  不幸のどん底につき落とされたヨブ

  幸福の絶頂にあったヨブにも、不気味で不幸な試練が、徐々に彼にせまっていました。

まず彼は、豊富な財産を次々と失います。

しかしそれでも彼の信仰は、まだ微動だにしませんでした。

財産をすべて失っても、ヨブは、毅然とした態度で、「わたしは裸で母の胎を出た、裸でそこに帰ろう。

主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」と公言しけっして神を非難することはありませんでした。

*******本日の転記はこれまで********

聖書の親しみ 「『ヨブ記』を読みなおす」

2015年09月03日 11時34分53秒 | Weblog
こんにちは!

さすがに自宅拠点の仕事、この家を、どうやって、かたずけようかと

思い悩んだ日々が、嘘のように、毎日少しづつ、掃除したり、きれいにしたり、

本当に、良い職業を、選んだと思います。

何とか、しっかり、頑張ります。

さて、この地上世界に、平和が、続く事を、祈りつつ、日々の学習・研究も、怠らないようにしたい。

全ての人々が、神について、興味を、持ってほしいと思いつつも、現実の生きる厳しさを思う。

まずは、自分の人生が、30年近くも無駄にしてしまうことの無いよう、自分自身の努力と知恵と力と勇気と希望と恵みを、神に求め、感謝したい。

落ち着いた生活の中で、母のためにも、早く結婚し、妻子と共に、今後の世界を、見守れるよう、切に祈りもとめる。

今日からは、毎日の生活に根ざして更新するよう試みたい。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti

*********「『ヨブ記』をよみなおす」から続き***********


  ヨブが、このように神に祝福され、人々に尊敬されていたのは、

神の前でも、人々の前でも、「正しい人」として生きていたからだ、と

彼自身は信じていました。だから、彼は当然、「わたしは家族に囲まれて死ぬ。

人生の日数は海の砂のように多いことだろう。わたしは水際に根を張る木、

枝には夜露を宿すだろう」(同18-19)、と信じ切っていただけに、

状況が完全に逆転したとき、彼は意気消沈し、目の前が真っ暗闇になり、

何も見えなくなってしまいます。

********本日の転記終わり*********


聖書の親しみ 「『ヨブ記』を読みなおす」から

2015年09月01日 08時43分16秒 | Weblog
  皆様おはようございます。

前回に引き続き、今回も教皇様とオバマ大統領へのお知らせをかねています。

そして、天皇陛下・皇后陛下への、お見舞いと、ご回復を、お祈り申し上げます。

安倍総理もお見舞い申し上げますが、3年前、既に、私は、オバマ大統領に、ホワイトハウスが、

望む、自衛隊の他国との日本領土外での戦闘的な活躍は、無理と説明しました。

安易な考えでは、明治維新同様の結果になるしかなくなります。お忘れでしょうか?



さて、やっと、新しい仕事の最低限の手続きが、済んだとことです。

一枚の書類が、もう一度戻ってきて、訂正印を押して、会社に保管されれば、入社手続き完了です。

収入が、限られており、低賃金?とは言え、生まれ育った地区・自分と家族の家で、落ち着いて、

公共の福祉の仕事を、できることは、本当に、すばらしいと思います。

母の、緊張しつつも、一生懸命な様子を、思い出したり、

父の、この地域の葬儀に、こだわる気持ちも、大きく感じ取っています。

私も実際に、自分自身の年齢相当の生活暦の記憶には逆らえず、カトリック墓地の危うさを、心から心配し、

従来の葬儀に、委ねる気持ちも判ります。

そして、地域教会のリスクで、指摘したとおり、貪欲で困った信徒関係が続き、友人と言える人は、

フィリピン人の日本人妻で活躍中の一人ぐらいです。

しかし、このことで、皆さんに、言いたいのは、

いつ?あるか?判らない、葬儀の手順や列席者リストなどに縛られて、お互いのコミュニケーションを、

断絶してしまうことは、良くないことです。

今回、困っているのは、孤独感なのか?葬儀にのみ、こだわった生活になったことです。

勿論、私の親族のように、列席者リストの人々は、互いに、ある程度気遣ったり、コミュニケーションを図ったり、

良いところもありますが、私からコミュニケーションを、閉ざしたと言うよりも、継続できない会話が続いています。

それでも、一番の理由は、私に、経済力が、なくなってしまったことでしたので、今後に、期待します。

また、日本仏教最古の部類に属した宗派なので、檀家は、日本仏教でも、歴史的に、その後の宗派への、新しい対応が難しく、

一方的  ?で、相互のコミュニケーションでは、困ったコミュニケーション状態です。




愚痴は、このくらいにして、

まずは、お二人に対して、最初から、生活環境と、家庭環境を見直して、

基本から、重要な日本キリスト者たちと先人の知恵を、受け容れるために、オリエンス宗教研究所の

カトリック通信講座を、まじめに受けていることを、お伝えします。

また、年齢的には、医・理・工・化学者デビューには、厳しい事を考慮して、教育・研究・または、政治に、進む可能性を、残すため、

今後、空き時間で、基礎的な高校と大学教養課程程度の全部の復習を、する予定です。

それから、放送大学二回目の卒業の為の単位取得可能な内容の授業出席は、当然します。

可能ならば、来年9月に、卒業を、早めるかもしれません。仕事と生活費の充実度によります。

勿論、仕事ですから、年金についてと、その他、様々な手続き、厚生労働省のホームページや

メールマガジンを、精一杯に学んで、応用や、今後の政治・行政・生活を、考えつつ創造してゆきます。

USA(ワシントンD.C)やローマやロンドン、には、訪問したいと思っています。

今後の生活を、どう工夫するか?でその費用が、出来たら良いのですが・・?  とにかく、がんばってみます。

もう少し、平穏な考え方で、人を互いに受け容れる環境があれば、母にも、早くから、良い平安があったのにと残念です。

それでは、しばらく、また休養してから、更新を、連続したいと思います。

私も、神父になる気は、まったく無く・・と言うより、神父の仕事を、理解していないし、何も知らない。

ただ、自分で、様々な学習研究を、進めつつ、聖書読書やミサ、教会の礼拝に出席して、長い間、祈りの生活を、学んだだけ。

それは、興味のある人の友人としては、適切でも、職業に出来ると言うのとは、違うものです。

それでも私は、神父や牧師や信徒達に話しかけて、少しは、教えてもらうための努力を、しました。

だからこそ、この時代に、イエス様本人が、人として、姿を、見せてくださり、話しかけてくださった。

何の不思議も無いことです。

今の、根っこの無い世界中の生活に、根っこを、生えさせるためにも、私は、自分の家庭を、持てるよう、

切に、神に、祈り求めています。皆様、宜しく、お願いします。

Pietro Rnabcisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti.

**********「『ヨブ記』を読みなおす」から***********

 後のクレオパトラを彷彿とさせるような贅沢な生活をおくっていたヨブは、

またすべての人々からも認められ、それだけに人々からの尊敬と賞賛を、

当然なことのようにうけていました。

この点について、彼は次のように述べています。

「わたしが町の門に出て

広場で席に着こうとすると

若者らはわたしを見て静まり、

老人らも立ち上がって、敬意を表した。

おもだった人々も話すのをやめ

口に手を当てた。

指導者らは声をひそめ

舌を上顎に付けた。

わたしのことを聞いた耳は皆、祝福し

わたしを見た目は皆、賞賛してくれた」(6-11)

**********以上、本日の転記は、これまで********