分かりづらいということ。
分かりづらい文章を、分かりやすくする方法はかなりある。
箇条書きにしたり、順序を整理したり、文体とまではいかないけれど毎回一定の規則性を持たせて書いたり、伝えたいことを絞り取捨選択をしたり。
けれど、その分かりやすい文章を読んだ方の中には、
「かろうじて分かるのですが、もっと分かりやすく伝えてほしい」
という要望が出てしまうことが想像できる。
私の世代では、「読みづらい文章は、書いている方が悪い」というとんでもない考えの書籍が広まった時期がある。それも、一理あると思ってしまったことを恥じている。
古文や他の国の言葉の書籍はもちろん、「入試の問題が悪いから入れない」などという発想が出てきやしないか心配しています。
一般常識や義務教育の範囲内の平易な言葉で書くようにつとめていますが、美術的なことがやや専門的になってしまうことに反省しています。
「読みづらい文章は、書いている方が悪い」
というのは、相手の文に対してではなく、自分が書いているときに注意する心がけとしてとらえたほうがよいのかもしれません。