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JC和歌山ブロック大会で矢野燿大さん(元阪神)講演 〈2015年9月8日〉

2015年09月08日 08時30分00秒 | 記事

講演後、地元の野球少年から花束を受けた矢野さん


 元阪神タイガースの正捕手で野球解説者の矢野燿大さん(46)が6日、日高川町で行われた公益社団法人日本青年会議所の第46回和歌山ブロック大会で講演し、自らの野球人生を振り返りながら、失敗を重ねても、夢をあきらめずに成長していくことの大切さを訴えた。矢野さんは、2003年にセ・リーグ優勝をともに経験した星野仙一監督や野村克也監督らとのエピソードを交えながら、裏話なども披露し、訪れた野球ファンら満員の聴衆を楽しませた。

 小学2年生で野球を始めた頃から「プロになりたい」という夢を抱いていたと話を始め、中学時代には体育教師を志すようになり、大阪府下の公立校では一校だけ体育科のあった桜宮高校に進学。高校では先生になるよりも甲子園への思いが強くなり、勉強より野球中心の生活になったが、思うような成績が残せず「野球しかやっていなくて燃え尽きてしまったが、完全燃焼できなかった。プロの夢にケリをつけようと大学進学を決めた」と振り返った。
 強豪だった東洋大のセレクション(入部テスト)は不合格になる挫折を味わったが、一般入試で東北福祉大へ。大学3年の時には日本代表に選ばれ、ドラフト指名が確実な選手に成長し、巨人と阪神のスカウトから上位指名の約束をもらったが、2位で巨人と中日が競合。中日の指名は頭になく「ウソやろ…中日は余計なことするな」と当時の心境を暴露。抽選で巨人の交渉権獲得を祈っていたが、中日が引き当て「行きたい方向に行けない人生。全くうれしくなかった。2歳年上には正捕手の中村選手がおり、何より星野監督への恐怖感で、監督の下では無理だから行きたくないという気持ちだけだった」と話して会場を笑いに包んだ。
 プロ入り後も挫折の連続で試合に出るのが怖く、言われた練習を繰り返す日々が続いたが、同期の選手や先輩が解雇される姿を見て「このままでは後悔しか残らない。やるだけやったけどプロで通用しなかったと思えるまでやらないと、もったいない」と目覚め、深夜まで公園でバットを振り続けた。「やらされる練習から、自分でやる練習に変わることで、試合に出たいと気持ちが前向きになった」という。
 ところが、1997年のオフに阪神に突然のトレード。移籍後は、トレードに出した中日と星野監督を見返すことしか頭になかったが、2001年に星野監督が阪神へ。「僕をトレードに出した人で、また『要らん』と言われるかもしれない。また一緒に…」と当時の複雑な心境を語ったが、「プロ入りもトレードも、初めて優勝を経験したのも星野監督。自分の人生には欠かせない存在で、内面的に大きな影響を受けた人であり、熱さと優しさを持った人。現場に戻ることがあれば、星野イズムで燃えるような選手を育てたい」と語った。
 野村監督の下では能力の高い選手に負けない頭脳で勝つ野球を学んだことも紹介し、「野村さんと出会わなければ今の自分はなかった」と。そんな野球人生を振り返り、「良いことばかりではなく、失敗することでパワーをもらうことが多い。成功ばかり続くのは良いことがない。波があり、夢を持ち続けてそれを乗り越えて成長していくことが大切」と締めくくった。
 筋ジストロフィー患者・児童養護施設の子どもたちを応援するため、自身の背番号にちなんだ「(サンキュー)矢野基金」に協力を呼びかけ、質問コーナーに手を挙げた野球少年らにサインボールを贈った。


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