西御坊駅の名とともにさまざまな駅名が書かれた硬券切符
(左下が準常備片道乗車券)
26日を最後に無人化する西御坊駅の窓口
日本一短いローカル線で知られる紀州鉄道の西御坊駅が今月26日を最後に完全無人化されることになり、二度と手に入らない可能性がでてきた同駅発売の切符を買い求めようと全国各地から多くの鉄道ファンや切符コレクターらが訪れている。紀州鉄道では、現在ではあまり見られなくなった硬券切符を取り扱っており、「西御坊から」と印字が入った多くのJR連絡の切符のほか、昭和40年代の色あせた歴史を感じさせるレアなものまであり、鉄道ファンや長年の駅利用者らが名残を惜しんでいる。
長年にわたり地域住民の足として“りんこう”の名で知られている紀州鉄道。西御坊駅は1932年(昭和7年)に松原口駅として開業した。2年後に鉄道は日高川駅まで距離を伸ばし、半世紀以上にわたり御坊駅-日高川駅間3・4キロで運行していたが、89年(平成元年)に西御坊駅-日高川駅間を廃止し、営業距離を2・7キロに短縮、西御坊駅は同鉄道の終点駅になった。
ピーク時の64年(昭和39年)には鉄道の年間乗降客は約105万人(現在は約18万人)を数え、西御坊駅も多くの乗降客が利用、売店も設置し、多くの映画看板が立ち並ぶなど中核駅としてにぎわったが、道路整備の完備(車社会への移行)や人口減少(過疎化の進行)などの影響で鉄道利用者が減少。西御坊駅も利用者が減るなか、開業以来、全日始発から最終まで窓口営業していたが、事業の合理化に伴い今年6月から土曜・日曜・祝日の午前6時から午後11時までのみに変更。今月26日を最後に完全無人化することになった。
同社が5月上旬に駅の完全無人化を発表して以来、全国の鉄道ファンや切符コレクターらの間で話題になった。切符販売を行っている窓口閉鎖を前に、多くのファンらが買い求めようと駅に駆けつけるようになり、営業時間帯には電車が到着する度に切符を購入する利用客の姿が見られる。現在はJR普通列車が乗り放題になる「青春18切符」の利用期間ということもあり、1日十数人が全国から切符購入に訪れている。
紀州鉄道で取り扱っているのは、自動改札の普及に伴い、現在では一部私鉄でしか利用されなくなった硬券。西御坊駅には「西御坊から」と書かれた紀州鉄道の切符や同駅の入場券をはじめ、「新宮」や「湯浅」など駅名が印字されたJR連絡の切符や、降りた駅名の印字部分で切符を切り落とす準常備片道乗車券などある。中には昭和40年代の発行でこんがり日焼けした切符や現在の運賃と大幅に違う運賃改正前の切符など、鉄道ファンやコレクターにはたまらない硬券がずらり。「広川ビーチ」など変わった駅名の切符を買う人や、きのくに線の「和深」や和歌山線の「大谷」など路線ごとの駅をピックアップして購入する人などさまざま。同駅発売の北は「大阪」から南は「新宮」までの41種類の切符と2種類の入場券合わせて全43種類、約4万円相当の切符を買う人も。多い時には営業日のわずか5時間で7~8万円の売上げがあるという。
“ラスト7日”に迫った5日にも多くの鉄道ファンらが訪れた。埼玉県杉戸町の会社員男性(26)は「紀州鉄道はノスタルジックな雰囲気でとてもいい。窓口がなくなるのを前に買うことができてよかった。うれしいです」と述べ、兵庫県小野市から来た会社員の男性(58)は「国鉄時代の運賃改正前の切符を買うことができ感激しています。西御坊駅発行の切符がなくなるかもしれないので宝物にします」と名残を惜しんだ。
紀州鉄道の大串昌広さん(53)は「時代の流れとはいえ、かつて多くの人でにぎわった西御坊駅の窓口がなくなるのはさみしい。いつか再開することができれば」といい、「多くの人に西御坊駅の切符を買っていただき感謝している。西御坊駅の思い出としていつまでも大切にしていただければ」と話している。
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