
夢って本当に変なこと考える。
覚めると掴み難いし、ほとんど奇怪な思考とも言えるのだけど、どうしても気になってしまう。
早寝早起きしはじめると、睡眠時間が随分減って、しかも夢を観る。
夢見はもともと体質で、それも遺伝的要素もあるみたいだから仕方がないけど、
私はちゃんと眠っているのだろうかと疑わしい。
今朝は夢で怒り狂ってる。アホ丸出しの良い怒りっぷりでギャグとして気持ちがいい。
(現実でも、ストレートにバカとして、しかも完全に間違って怒ってる人は、時に気持ちが良くて
愛しい)
怒る夢は何度も観ていて、来ると面白く観察している。夢の中で夢を観ながら考えているのが
興味深い。
何故かと言うと、行動や思考に意識的な制約を行うのが覚めている時よりも難しいから
自分自身の根深い条件づけや、逆にそれの薄いものが感じられる時があるから。
ここ最近は感情や思考の受け手としての対象を自分から切り離してしまったらどうなる?などと
かなり変なことを考えているから、夢で怒る私と、その対象との心内部の関係性を見ていた。
やっぱり…と発見なのか、再確認なのか、あるいはそういう事にしたいだけか、思うことがある。
私の怒りと、その対象とされるもの、この二つは実は関係が無い。
どんなに口や態度で関連付けようと夢の私がしていても、夢を客観している私には
心中の関連付けがどこにも探せない。
なんつか「誰々がこういう事をしたから私は怒っている」というのは、一つの条件反射みたいな
一般的ストーリーであって、誰が何をしたからと、ある個人がどう受け取った上で怒るか笑うかは
その人の自由だからだ。
私個人で抱えきれない感情が起こると、条件反射のようにどこかに、その感情の大きさに比例する
何かをした犯人や事件がいないといけないと、愚かにも思い込んで結果創り出してしまっている。
勿論何かしらの因果関係はそこにあるのだけど、私の感情そのものとは、何も関係が無い。
(関係の無い事にもできる、という意味において)
こんな事は理屈で言えば馬鹿馬鹿しいほど当たり前だけど、正に怒りや悲しみの最中に
そこを見るのは難しい。
で、夢うつつの私は転化の対象の無い私の怒りを感じることになる。それは私の内部だけにある。
赤い火の玉みたいだ。抱えながら笑ってみる。自然に愛しくなってくるようで。
ただ「元気」とでも呼べるような、無垢なシロモノに思えてくる。
怒りは益々フィクションになる。
こういう発想は、夢と現を行き来する、あくまで私個人のみの心内部との付き合いみたいなもので、
私個人のみのカン違いの逆恨みや責任逃れや無駄な感情と創造力の消耗時に気づくために
役立ったり逆に迷走することであり、変人の金のかからない孤独な遊びでもあり、
それ以外の、特に他人の事情には殆ど応用できるものでは無いでしょう。
画像は男
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