Kumaのトライアスロン・シニアライフ My Big Challenge, Road to Kona

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MY TRIATHLON MEMORY Vol. 7- 1985年 初トライアスロン レース・スイム編 

2011-10-02 01:57:32 | 昔の思い出・レース備忘録 1983-2007

(レース前日の話から、途中IM70.3セントレア大会参戦の前後であわただしく、ずいぶん途切れてしまってました。 話を再開しますね。)  

いよいよ、未知の世界へ、トライアスロン・レース当日の朝。 

昔を思い出しながら。。。

 

起床3時30分、旅館の1階の広間に選手とその家族が集まり、朝食4時頃には済ませ、

窓から外を覗き、まだ真っ暗で外の様子がよく分からない。

「大会大丈夫ですかね?」「水泳できんのかなあ~?」

折しも台風6号が紀伊半島に接近中で、はたしてレースは行われるのか?

スイムはできるのか?  今年の佐渡、セントレア以上に厳しい切迫した状況だったかも。

その後、何時頃だったか、予定通り大会を実施と分かりホッと一安心。

(後で聞いたところではぎりぎりまで水泳の中止を検討していたとか)

 

同じ旅館に泊まっていた方も皆トライアスロン初挑戦組。

当日の準備、何をどうしたら良いのか、全て手探り。。。とりあえずスイムバッグとバイクの空気入れを持って、

5時30分頃?大会が用意したバスに乗り込み、彦根プリンスホテルへ。

彦根プリンスホテルの裏側の湖岸にスイムゴールし、ホテルの駐車場からバイクスタートとなる。

 

プリンスホテルの駐車場に並らべられたバイクから自分のバイクを見つけ、最終セット、

空気を入れただけ、補給食なんかの知識も無く、準備は何も無し。

バイクの最終チェック後、徒歩でスイムスタート地点の松原水泳場へ、およそ10分。

天気は曇天、まだ雨は降り出していない。

最終選手登録~ボディマーキング、初めて体験、両腕と両ふくらはぎにでっかくマジックで 243 なぜか誇らしい気分。

マジックの色は2色。   通常は黒.  でも僕は赤マジックで。 

これはメガネをスタート時に預けた選手用の色だった気がする。

びわ湖の水は冷たいぞ!

の事前情報から パールイズミからベスト型のウエットスーツが緊急発売。

レース会場でも前日販売していました。 (サイズはS.M.L.のみ)

出発前、まだこのウエットスーツ、お店に出回ってなく、両国だったかな、パールイズミへ直接行って

小さな町工場のような問屋のような、ドアをガラガラと横に 「ウエットスーツ、買えますか?」

金城さんと言う方が対応してくれました。 彼もトライアスリートでした。

「びわ湖ですか?僕も出ます。 レース会場に持って行って販売しますけど」

「ロゴがなくてよかったら、お売りできますよ」

で、パールイズミのロゴ無しを購入。 サイズはL、色は赤、赤しか無かった、1万円くらいだった。

ロゴが無くて申しわけないということで、ハワイのアイアンマンのTシャツをおまけしてくれた。 超ラッキー!

 

曇天、今にも雨が降り出しそうな天気にも関わらず、スタートの1時間以上も前から、日本で初めての”鉄人レース”を見ようと

多くの観客がつめかけ、選手と大会ボランティア、大会関係者、報道陣でごったがえし熱気はムンムン。

家族や仲間と和やかな会話をするリラックス派、終始無言のまま闘士を内に秘め、黙々と柔軟体操する‥

選手の表情はさまざま。 僕は一人参加だったのでどちらかというと後者。

 

びわ湖の水温は21℃と発表された。 実際はもっと冷たかったような、コースの場所にもよるだろうが。

 

午前7時、約5000人の観衆が見守るなか、彦根鉄砲隊の号砲一発、スイムスタート。

(トライアスロン・ジャパンの記事です)

 

スイムに自信の無い僕はかなり後方からスタートすることに。

トップ集団のスタートをしっかり見届け、

ちょっと水冷たすぎない?  水位が腰のあたりになるまでゆっくり歩き、それからおもむろに

コースロープを超えて

あきらめて覚悟して「さあ行くか!」みたいな。。。ゆっくりクロールの格好で上半身を湖面に浸け

泳ぎだした途端、いきなり冷たい水がブクブクッて感じでウェットのお腹のあたりから侵入、

冷たい!もうどうにでも成れッて感じで、やっとレーススタート!

あとは自分を信じ、ベストを尽くしスイムゴールを目指すしかない。

スイムコース3.9kmは沖に浮かぶブイを目指して1.7km直進、右に30度くらいの角度で曲がり2.2Km

彦根プリンスホテル裏の仮設ゴールを目指すというもの。

当時は平泳ぎの選手も多く、スイムバトルもひどかった、平泳ぎに周りを囲まれ脱出不能な状態になったり、

実際、顔面を平泳ぎのキックで蹴られ、ゴーグルがズレルというアクシデントも。 幸い大事にいたらず、

コースをどう泳いだか、ブイは遠く霞み確認できません。

目が悪くゴーグルしていては尚更、進行方向があてずっぽです。

 

その内に湖面に雨がポツ、ポツ、ついに降り出しました。

でも泳いでいる選手にはもうどうでもよいこと。。。僕はそう感じました。

 

やっと自分のペースで泳げるようになる頃には折返し地点に。

折返しは難しい、まだこの頃テクニックもなく、かなりぎこちなくブイを回って方向転換。

ここからはかなり選手もばらけだし、ぶつかり合うこともなく、でもひとりボツンと広い湖面に浮かんでいると不安にも。。

水の冷たさからか少し手先の感覚が無くなり、頭も段々痛くなり、体力も消耗。。。。

時々前方を確認、目標となるホテルの建物が次第に大きくなり、それがうれしく、心強く感じらえれ、

きっと溺れるようなに無茶苦茶なフォームで泳いでいたんだろうな。

やっとスイムゴールの彦根プリンスホテルに辿りつきました。  本当、やっとという感じです。

今覚えば、無茶、無謀、それなりに練習したけど、全然トレーニング期間が短かった。

 

後ろです。 上半身を上げたところです。

いや~、疲れた!寒かった!

立ち上がるとヨロケル、ヨロケル、スロープを真っ直ぐ上れません。

ダッシュして駆け上がるなんて程遠い状態、長時間泳いで、身体を横にしていたせいか、平衡感覚を取り戻せていないような感じだったかな?

     水温の低さが思いのほか選手を苦しめ、1kmを過ぎたあたりから救助船に収容される選手が増え、43人がリタイアしたそうな。

スイムをトップで上がったのはMR.IRONMANことDAVE SCOTT, 54分39秒、そのすぐ後にSCOTT MOLINA

僕はというとその後約1時間後、やっとゴール, ヤッタぜ!

最後までクロールで泳ぎきれたぞ。 頑張った自分を褒めてあげたい気分。 

SWIM: 1:51:11

後ろの方でのゴールです。 それでも制限時間2時間30分なので、僕の後ろにもまだまだ泳いでいる選手がたくさん。

陸に上がればなんとかなるぞ!

いや、いや大変だったのはこれから、スイムはほんの準備運動程度。

次はバイク編です。

アイアンマンの大変さを思い知らされることに。バイク編へ

SEE YOU NEXT TIME!

 

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