八代市、宮原町から東に4キロ程行くと、立神峡があります。
昔・・・といっても30年以上前の話ですが、立神峡は水は冷たくて、涼しかったので夏のキャンプには持ってこいの場所でした。
夏休みになると河原は大勢の人で賑わっていました。
ここはいつの間にか県立自然公園立神峡になっていますねぇ。
今でもキャンプとか出来るのでしょうか
おおっ色々な施設が出来ているみたいです
管理棟、ログハウス、キャンプ場、里地屋敷、ディスクゴルフ?場、周遊道等々
範囲も随分広がっています
下の駐車場に来てみました
氷川沿いの涼しい風が吹いています
おおっ!?吊り橋?が見えます
対岸の施設に渡れるようです
川には飛び石も作ってあって川遊びをするのには持って来いですね
あ、近くに飛び込みようの岩がありました
いやぁ~懐かしいです
八代市の東陽町(旧東陽村)にある石匠館を訪ねました。
五木方面に山女魚を釣りに行く時に近くを通る際、気になっていたので、土曜日の山女魚釣りの疲れを癒す散歩がてら行って来ました。
ここには熊本の霊台橋・通潤橋・明八・明十橋や、東京の万世橋・浅草橋・蓬莱橋・江戸橋・京橋を架けた故橋本勘五郎さんの資料等が沢山展示されています。
この石匠館の建物は熊本アートポリス構想のひとつとして三角町の「海のピラミッド」や津奈木町の「つなぎ美術館」と並んで建てられました。
中国湖北省より三人の石工を招いて、採石から加工、石積みまで共同作業によって、進められたそうです。
そのため入口には唐獅子が飾られていました。
門も変わっていますね、中国式なのでしょうか
明治初期の写真と思われ.る橋本勘五郎さんの写真です・・・この時代の写真は大変でした。同じ恰好で1時間ほど掛かって撮られていたと記憶しています
写真自体が残っている事だけでも凄い人だったということが分かりますね
当時の橋を架ける方法のシュミレーションが出来ましたので遊んでみました
枠に沿って石に見立てたゴムのブロックを順に積んでいきます
上まで積み上げたら・・・
アーチ下降ボタンを押すと自動で下がって行きます
残ったのはアーチ型になったブロックだけです
なるほど・・・フムフム・・・納得・・・と解ったような顔をして帰って来ました。
石匠館の道路を挟んだ反対側には、橋本勘五郎さんの生まれた家が残っていました。
種山石工 橋本勘五郎生誕の地
橋本勘五郎は、ここ東陽村(旧種山村)の西原の地に、石工嘉八の三男として文政5年(1822年)6月に生まれました。
血縁者はほとんど石工で、この一族は県内はもとより九州、東京に数多くの名橋をかけています。
安政元年(1855年)竣工した矢部町の通潤橋の架設にあたって、勘五郎は天才的な技能を発揮しその技術が認められ、明治6年には明治政府から招かれて上京、宮城の二重橋を架設しました。
このほか江戸橋、日本橋、浅草橋、万世橋などの名橋を手がけました。
明治7年には熊本に帰り、熊本市の明八橋、明十橋、菊池市の竜門橋など多くの眼鏡橋を残しています。
明治30年8月15日、76歳で勘五郎はこの世を去りましたが、彼の架設した眼鏡橋は一体幾つあったのか、はっきりとはわかっていません。
眼鏡橋の美しさは、彼の美しさそのものであったようです。
熊本県教育委員会は、昭和40年11月3日彼を熊本県近代文化功労者として顕彰しています。 東陽村教育委員会
と書かれていました
家の裏には勘五郎さんのお墓もありました
回りは防音対策と危険防止の柵があって作業されている所は中々見れませんが、上から見るとこんな感じです
これは6月5日に書いた「熊本駅が変わり始めました」で、あとから追加紹介した駅前バス停に立っていたフェニックスの移植作業の写真です
この時、実際に駅前で遺跡調査をされている、”いなほん”さんからコメントを頂き、貴重なお話を聞くことが出来ましたし、駅前の楠の木が昭和50年から58年頃に植えられたことも判明しました。
このフェニックスは運動公園に移設されたみたいです。
その後、調査箇所がフェニックスの場所から熊本駅改札前に変わりました
バス停付近もスッキリになりました。
あそこも無くなるのでしょうねぇ
歩道橋用のでっかい穴も未だそのままですが、中を見ると柱が何本か立っていました
電車通りの向かい側・・・くまもと森都心の場所を見てみますと・・・
ぎょっ坪井川に掛る春日橋が半分ありません
いつの間にぃ・・・って言ってましたら昨年末から無かったよって言われました
1月6日の写真を見ても既に半分無くなってました
家屋に目隠しされてて見えなかったんですね
向こう側でも遺跡の発掘調査があっているみたいですね。
ついでと言っては・・・
駅裏の新幹線の駅写真も見て下さいね
覆い隠されてますので良く見えませんが、横からではなくて、縦から見たいですねぇ
昨年は台風の傷跡が大きすぎて、渓流が余りにも荒れていましたので、延期していましたが今年は各所で好調な話もお聞きしますし、実釣に行っても程々の釣果も得られましたので実行しました。
★日時 平成21年6月13日(土)
★場所 熊本県上益城郡山都町の緑川最上流にある緑仙峡です
参加者は釣り友4人の少数精鋭?です
九州新幹線基地の直ぐ傍にある熊本市富合町の釣り具屋さんを3時に出発して約1時間半の道程です
5時前に現地到着、2人づつ2組に分かれて入渓しました
私の組は、水はチョロチョロでしたが倒木の多い支流にダイエットを兼ねて登ることに・・・結構険しいので、足はガクガクして来ます。
結構ダイエットになったような気がします。直ぐに足はパンパンです
友人達は緑川本流に願いを掛けて入りましたが、いまいち釣果が伸びなかったみたいで、9時頃納竿して早速待望の昼飯造りです
大半が、こちらを目的としているようでしたが・・・
場所は、いつも山女魚釣りの時などにお世話になっている山の爺ちゃんのところです。
今回も自分の家のように、台所や炭焼き器等をお借りしました。
釣果は、山女魚に岩魚とニジマス混じりでした
今回は男の料理です。
山女魚の串打ち体験も兼ねています(^^)
串打ち3年 焼き8年・・・はウナギでしたか
あ、桃栗3年柿8年でした
焼き方は・・・最初に背を焼いて、後から腹側を焼くのが美味しく焼けるそうです
写真は横を焼いてますから間違いだそうです
2キロの猪とエゾ鹿は圧力鍋で20分煮込みました。
猪は天草上島産でエゾシカは勿論北海道産です
持参の鍋が小さかったので、大鍋をお借りして移しての調理になりました
清和産の鹿刺しは500gでした。爺ちゃんとこから頂いたものです
端切れの肉を集めてヅケを作りました。
久しぶりに合った友人と、SNS上だけでしか話したことの無かった仲間たちとゆっくり話すことが出来ました。
山では、ゆったり、まったりとした時間が過ぎる中、非常に長めの昼食をとりました
彼らも次回この地を訪れる時は、きっと「ただいまぁ~」と言って帰る事でしょう