くに楽 2

"日々是好日" ならいいのにね

日々(ひび)徒然(つれづれ) 第十二話

2017-11-16 09:13:02 | はらだおさむ氏コーナー

          ふたつの結末

 

 久しぶりに、映画館に足を運んだ。

 ちょうど三時間ほど時間が空く、映画を観るには適当な時間だ。

 仲代達矢の『海辺のリア』を見ることができた。

 

 髭面の老人がマントの裾を引きずりながら、海沿いの道を歩んでくる。

 かれの息遣いは、わたしたちにも伝わる。

 時おり後ろを振りかえり、それは追っ手を探っているかのようだ。

 どた靴を脱ぎ棄て、マントをひるがえして砂浜に下り、足をとられながら

波打ち際をヨタヨタと歩んでいく。

 

 「監督の小林政広からオリジナル脚本が届きました。読めば私が過去に喋ったような言葉があちこちに。だから主人公・桑畑兆吉の存在を借りて自己暴露した作品でもあります。兆吉は思い出はいらない、お客様の心の中で生きられれば幸せと言う。アラン・ドロンさんは『キャリアは終わった』と俳優を引退されましたね。私はどうでしょう――。キャリアが終わるとき人生も終わる、そうありたいですね」

 

 齢84歳、わたしより少し年長だが、かれの歩み、演じてきた芝居や映画には共鳴するものがある。

 この作品は認知症気味の元俳優が、娘夫婦の策に乗せられて閑静な施設に入れられ、そこから脱走するのが冒頭のシーンだが、娘婿はこの主人公に憧れて弟子入りし、いまではこの劇団の運営管理を任されている、という設定。施設から出て行って行方が知れぬ元師匠・義父の行方を探し求め・・・一度は連れ戻したが、また隙を見て逃げ出されてしまう。

 波打ち際で、かって演じた芝居のセリフを吟じながら、波に足元をすくわれ・・・ジ・エンド。

 

 もうひとつの映画といっても、時代劇専門チャンネルが製作した藤沢周平原作のオリジナル時代劇『果し合い』であるが、これにも仲代達矢は主演。

4月に開かれたテレビ界の国際的権威「ニューヨーク・フェスティバル」最高賞となる金賞を受賞している。

 「派手なチャンバラではなく、人間の心を描いた静かな作品。海外で認められるとは想像もしませんでしたから、受賞の報せに皆で喜びましたよ」 

 これは、江戸時代、老境の武士が若者のために果し合いに挑む物語だが、わたしはかってこの短編を病床で読んだとき、そのストーリーに心打たれた思い出がある。 

 この作品は、新潮文庫版では『時雨のあと』全七編に含まれる「掌編」である。

 「この作品集は、最も藤沢氏らしい味わいのある短編集である」と、藤田昌司さんはその解説で述べておられるが、わたしも同感である。

 

 ・・・「お掃除が終わったら、大叔父にお話があります。いいですか」と美也が言った。 

 「なんだね」

 「あとで・・・」と言って、美也ははたきを使いはじめた。はたきを使いながら、美也はちらちらと大叔父をみる。

 ―― 年をとった。

と思う。大叔父は、狭い濡れ縁に蹲って、菊をみている。

 

書き出しのこの数行で、姪の美也と大叔父のほほえましい、信頼関係が描きつくされている。

美也には縁談話が持ち込まれていたが、彼女にはひそかに言い交している人がいた。両親はこの「良縁」を迫るが、どう断るか、大叔父、ヘルプミという次第。

 

・・・大叔父が立ち止まった。立派な墓石の前だった。立派だが、新しくはない。墓石に記された戒名は女性のものだった。・・・「じつはその娘には、わしが婿に行く筈じゃった」「その話がすすんでいたときに、わしが馬鹿なことをしでかして、こういう身体になったもので、話は流れた」

 

大叔父のアドバイスで「良縁」は断ったが、その後も相手は付きまとい、悪友たちとグルになり取り囲まれていたそのとき、薄闇の中から、いきなりしわがれた声が怒鳴った。

「こら、何をしとるか、貴様ら」

男たちはぱっと美也の前から逃げた。

「お、大叔父」

 

それからしばらく経った夕刻 彼から手紙が届き、今夜果し合いを申し込まれた、「武門の意気地で、受けるしかない」・・・「運良く勝てば、今夜のうちに城下を抜け出す。・・・旅支度をして待つように」とあった。

「大叔父、起きてください」

・・・

「私も行きます」

「ばかめ! 女子供の出る幕ではないわ」

「ここで、じっと待っておれ」

・・・

「おじい様に助けられた。いや、みごとな剣さばきだった」

「相手は?」

「死んだ」

「わしが仕とめた」

「はじめに、わしは無用の果し合いはやめろと仲裁をしたのだ。だが、あの男はわしを見くびっておったらしくてな。悪口を吐いたうえに、わしに斬りかかりよった」

「放っておけば、こちらの若い者が危ない。やむを得ずけりをつけた」

 

この短篇の表の話は、以上抜粋の大叔父と姪の話になるが、琴線を奏でるのは

大叔父がいまでも墓詣でをする若き日の破れた恋の物語である。

 

 人生には、表もあれば裏もある、政治の世界もまた然りか・・・。

 

<追記> 

  この文庫本(平成十九年一月二十日 五十三刷)の表紙表の帯に、以下のような

 作者の言葉が本人の顔写真入りで刷り込まれている。いい言葉である。

    どういう訳か、キラキラ光っているものはきらいなんです。

    偉い人を偉いと書くのが面白くない。(中略)下積みの人の方が、

    より人間的な気持ちが感じられるのです。

 

 

(2017年9月29日 記)