三度目の敗戦?
のっけから尾籠な話で恐縮の至りだが、駅前の図書館に飛び込んで
用を足し、そのまま手ぶらでハイサヨナラも気が引け、書棚をウロ
ウロ。手にしたのがこの本、堺屋太一『三度目の日本』(2019
年5月10日 初版第一刷祥伝社刊)であった。
いつもの癖で目次をパラパラ、あとがきといくが、ない。
著者略歴のあとに昨年の2月8日、逝去―「本書が遺作となる」。
わたしとは同年か一年後輩になるか、かれが通産省在職中の処女作『油断』以来の愛読者で、ご存知「大阪万博」や「沖縄海洋博」の企画・推進者でもあった。かれの『団塊の世代』は普通名詞にもなり、その世代は間もなく後期高齢者になる。大河ドラマにもなった『峠の群像』は、『忠臣蔵』を「赤穂の塩」を切り口にした新しいタイプの歴史小説、その近未来の中・短編小説集にも味わいがあった。
この本の副題は、「幕末、敗戦、平成を越えて」とある。
かれは昨年の二月に身罷っておられるからいまの新コロナ騒ぎはご存知ないが、そこは未来予告の大家、「はじめに~本当の危機がやってくる」で、「今、
日本人は三度目の『敗戦』状態にある」と書き出している。
「私が考える『敗戦』とは、価値観が大きく変わることだ」と述べ、近代以降の日本は「すでに二度の敗戦を経験している。一度目は黒船がやってきて開国を強いられた江戸時代末期。二度目は太平洋戦争に敗れた一九四五年。そして今、三度目を迎えようとしている」と予告、この新コロナを克服したあとの日本を天国から見つめられることだろう。
わたしは母の死がきっかけで70から古文書の勉強をはじめ、医師の勧めで80からコーラスのグループに入った。
先生にすれば呼吸器疾患常連のわたしにボイストレーニングでもと思って薦めていただいたのだろうが、その年の秋の発表会で同じリーダーのロシア民謡の合唱に魅せられ、それにも入団、以来二股の練習が続いている。
この2~3年 さだまさしの歌に接する機会が多く、図書館で彼のエッセイ集も借り出して中年から熟年へのかれの言動にふれたが、長崎生まれの彼が
地元の平和集会にどれだけ力を注いできているかを知った。
最近発売のニューアルバム『存在理由~Raison d’e^tre』には、「さだまさしが想う『現在(いま)』」と副題が付されている。全十三曲 その最後の曲『ひと粒の麦~Moment~』は昨年アフガニスタンで非業の死を遂げられた中村哲医師を称え、偲ぶ歌である。
以下 その「ライナーノーツ」から、さだまさしの思いを拾い出してみる。
=2019年、僕が最も衝撃を受けたのはアフガニスタンに於ける中村哲医師の死だった。ナガサキピースミユージアム関連で講演をお願いしたことはあったが、残念ながら一度もお目にかかれぬままだった。中村医師の活動をとても尊敬していた。
=長いアフガン戦争で疲弊している国民は生活の為に兵士となり、労働として銃を撃つ。中村さんはその砂漠地帯に水を引き、農業を教えることで「生活のための戦争」を終結させ、銃を捨てさせられると考えた。それが「百の診療所より一本の用水路を」という言葉に示されている。
=僕は「風に立つライオン」を歌う度に中村さんを思った。
=中村さんは火野葦平の甥で、北九州の港湾荷役労働者の権利を守るために戦った正義の人、小説『花と龍』の主人公、玉井金五郎の孫でもある。僕の曾祖父が同じ時代に長崎の沖仲仕の権利を守るために尽力した大侠客であったことから、勝手に中村医師に親近感を抱いていた。
この歌『ひと粒の麦~Moment~』は、つぎのフレーズからはじまる。
♪ひと粒の麦を大地に蒔いたよ
ジャラーラーバードの空は蒼く澄んで
踏まれ踏まれ続けていつかその麦は
砂漠を緑に染めるだろう♪
堺屋太一さんは昨年 まだ平成の世の二月に逝去され、中村哲医師は令和元年の師走に衝撃の死を遂げられた。
新コロナのウイルスはそのころすでに武漢の街の片隅に潜んでいたかもしれない。
いま世界の果てまで毒牙は覆いつくそうとしているが、内に潜んで嵐を避けAI(人工知能)にたよった交流のなかで、経済は落ち込み、人権の無視と憎しみが増幅されようとしている。
やはり人間は手を取り合って、話し合い、歌い、踊ることで、お互いの感情と考えを理解することができる。
6月8日の「日経」朝刊の19面は同紙の英文誌「ニッケイ・エイジアン リヴィユ」からの抜粋紹介欄だが、危ふく見過ごすところであった。
メインタイトル「米中対立 ハイテク・香港で摩擦」の、その中段に「台湾の巨人板挟み」の見出し。
半導体受託生産の世界最大手、台湾積体電路製造(TSMC)が、中国通信機器最大手・華為技術(ファ―ウエイ)からの新規受注を止めた、との記事。
次いで「ファ―ウエイ、米制裁に対抗」として、重要部品 在庫積み増しと調達ル―トの多様化の動きを紹介している。
日本はどうなのだろうか。
強引な「定年延長」は、身から出た錆で審議未了、廃案に至ったが、なぜそのような法令改正案が上程されたのか、その仕組みと発案動機が解明、追及されていない。
コロナ対策として予備費を積み上げるだけでは、智慧がない。
堺屋太一先生は、天国から呟いておられる。
「さて『第三の敗戦』がすぐ目の前に迫っている日本を、どう変えたらいいか」(P170)
問われているのは わたしたちの『存在理由~Raison d’e^tre』である。
(2020年6月9日 記)
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