ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

「この世ででいちばん”徳”をする人」

2019年11月03日 19時03分15秒 | owarai
環境や諸外国との共生が問われる
今日、大切なことは仏教でいう
「慈悲喜捨」の四無量心だと思い
ます。

「慈」を修めると貧りの心を断ち、
「悲」を修めると怒りの心を断ち、
「喜」は苦しみを断ち、
「捨」は恩と怨みのいずれに対し
ても差別をみないようになる。

慈しみ合い、人と悲しみを分かち
合い、一緒に喜び、過分な欲望を
捨て、持てるエネルギーを人々の
ために尽くそうという教えです。

ある人が、「他人様のお役に立つ
ことは、人生を2倍生きること
だ」と言いました。

ただ一回きりのたかが八十年そこ
そこの限られた人生ですが、それ
を人間の本性のままに

「自分ほど可愛い者はいない」
「自分が幸せになりたい」と、
己だけを慈しみ、自分の欲望だけ
を高めていくのでは寂しくもあり、
哀れでさえもあります。

徳島市で、
盲導犬と飼い主がトラックにひか
れ死亡しました。バックの際に警報
を鳴らすのがうるさいという要因で。

エゴの魂のような人間ですが、
「他者を労わる心」を併せ持つ
のも人間です。

これに徹することが、「永遠の
命の火」をともすことになるの
ではないでしょうか?

新しい自分を発見

2019年11月03日 18時33分12秒 | owarai
自分を犠牲にした時に、人は
新しい自分を発見できる
(スイスの心理学者 C・ユング)

自分の仕事を後回しにして、他人
の仕事を手伝ってあげる・・・

そんな行為は今の社会ではめっきり
減りました。ひとつには一人の仕事
量の負荷が今は大きいからです。

そして、明確に「損」で自分の不利
益と捉えるからです。これが世の中
を変えてしまいました。

本来、大きい目で捉えると、どうで
しょうか?

自分の仕事が遅れることは、確かに
一見、不利益かもしれません。

しかし、その自己犠牲によって、初めて
新たな自分を発見できると、このコトバ
は言っています。

逆に言えば、その損を引受けなければ、
新たな自分には会えない訳です。

仕事の効率と、まったく未知の自分の
可能性、そのどちらをとることができる
か、あなた次第です。


YouTube
松任谷由実 - Hello,my friend

https://www.youtube.com/watch?v=K6dmZhdCYs0

自分を“私物化”してはならない

2019年11月03日 13時19分44秒 | owarai
誰でも、自分ほどかわいい物は
いないはずです。でも、それで
は人の上に立つことはできませ
んし、真の友を得ることはでき
ません。

織田信長は、人を道具として役
に立つか判断し行動した結果、
直近の茶会を含め、明智光秀の
動きを秀吉や家康から情報を
得られなかった。

トルストイは、「人と会うとき、
相手が自分にどんなふうに役立
つかを考えないで、自分がどん
なふうに相手に奉仕できるかを

考えるがよい」と言っています
が、少しでも人のことを先に
考えられる人になりたいもので
す。


YouTube
DAOKO × 米津玄師『打上花火』MUSIC VIDEO

https://www.youtube.com/watch?v=-tKVN2mAKRI&start_radio=1&list=RD-tKVN2mAKRI

「今、ここでどう触れあうか」

2019年11月03日 12時48分28秒 | owarai
一生一度の出会い
わたしたちは、人と出会うとき、
仕事であれ、遊びであれ、
これが最後の出会いと思って、

心して、語り、触れ合っている
だろうか。

だいたい、忙しいとか、他に
用事があるとか、また会える
と思って、その出会いを

“ゾンザイ”にしていないだ
ろうか。
ソンザイは存在とも書く。

つまり人との出会いをなんと
なく、あるいは自分の都合で
いい加減に会っているのなら、

相手の存在、人格を軽んじて
いる。

さらに言えば人という存在は
限られた生命を生きているの
だから、

相手の生命さえ軽視している
ことにほかならない。

「人生はずっと苦しいんです」。

2019年11月03日 11時55分59秒 | owarai
苦しむことから逃げちゃイカン。
人生はずっと苦しいんです。
苦しさ知っておくと、

苦しみに慣れる。これは強いで
すよ。水木しげる / 漫画家

太平洋戦争時、敵機の銃撃を
受けて、左腕を失う。

しかし氏には、その悲痛な負傷
も生への糧とする。
強靭な精神力があった。

「片腕がなくても、他人の3倍は
働いてきた。もし両腕があったら、
他人の6倍は働けただろう」と。

売れない若き漫画家時代、あまりの
赤貧ぶりを疑った税務署に質札を
投げつけて激怒した。という反骨
の人でもある。

やがて、NHK朝の連続ドラマ
『ゲゲゲの女房』で描かれた、
超売れっ子漫画家への人生行路を
歩むことに。

名を成したあとの言葉は、逆に
飄逸(ヒョウイツ)の趣。
「中年を過ぎたら、怠けるクセを
つけないさい」と。

※飄逸
世俗のわずらわしさを
気にしないでのびのびしていること。

「人魚の恋 Ⅱ 」

2019年11月03日 11時43分49秒 | owarai
彼女は自らの死を選ぶ。

どんなに愛しても、愛されな

かった女はこの世に存在する

価値はない、


とでも言いたげな、

痛々しく悲しい愛の結末・・・・・。

「愛されなければ、海の泡」

 単に男を愛しただけでは、

女は「何者」にもなれない。


 どんなに尊い自己犠牲の

もとに捧げられた愛であろうとも、


相手が愛してくれなきゃ、その

愛には何の意味もないんだ。


 その悲痛な叫びは声にならず

(「声」は禁じられているからね)、


禁を破って声に出してしまった

女は、「イタい女」と蔑まれる。

 身の程知らずの恋をした女

には、必ず手痛いしっぺ返しが

くる

「女の法則」を無視したからには

・・・・・・・・・・・・。


YouTube
CHRIS BOTTI IN BOSTON | "Emmanuel" w/ Lucia Micarelli | PBS

https://www.youtube.com/watch?v=m8NN4fpdm40

朝陽を待つ女心の本音

2019年11月03日 09時39分02秒 | owarai
女の幸せやドラマは、
恋にしろ結婚にしろ
男との関わりにおいて
の哀歓。

が、男の人生は、女との
関わりと関係なく翔んだり、
泣いたり、戦ったりできる
という違いがある。

男にとって女は、人生の
華(あい)であり、
エネルギーであるけれど、
女にとって男は人生その
ものである。

結局、女は愛する自分の
姿を求めてさまよいつづ
け、男は次に戦う対戦相手
を求め続ける。

そんな大人の男女が、
どうつっぱろうと、た
そがれ近くなれば夕月を
待つ男心、深夜になれば
朝陽を待つ女心の本音で
は。

心が喜ぶ二つの「定食」

2019年11月03日 08時38分51秒 | owarai
一休禅師は、自分に示唆で
相阿弥がつくった龍安寺の
石庭を見ながらこう語って
いる。

「この庭を見て美は“もの”に
なく、ものともの、ものと心が
通じ合う陰翳(いんえい)のあ
やの中に見出すことができる。

山水画でも、墨の滲みとか
かすれを生かして、己が心の中
の風景を描くものが人の心を
衝つのであろう・・・。

心も栄養も摂らないと枯れる。
心の食事には法喜食と禅悦食
がある。

法喜食は、教えを聞いて心の中
に喜びが湧き上がること。

商売でも学問でも芸術でも、何
もかも忘れて打ち込んでゆきと
き、人は深い歓喜に包まれるも
のだ。

自分と対象が一つになり切った
と感じるとき、禅悦食をいただ
くことになる。

命が輝くときなのだ。

命は他の命、他のものとのつな
がりの中で生きている。

自分を滅して、人のためにする
ことこそ禅悦食なのだ。

それは自分のためである。その
ことによる喜びで自分の命が輝
くように、命はつくられている
のだから。

このことを常にわきまえてすれ
ば、必ず新しい道が開けようぞ」

どれだけ儲けたかよりも、どれ
だけ人の心を楽しませたかが
大切です。

そうすれば、人生は貧しくとも
もっと充実したものになるはず
です。

尋ねてみる。欲しい答えを、返して欲しくて。

2019年11月03日 05時45分44秒 | owarai
「人魚姫の恋」

女は、いつだって、
これが最後だって思って
恋をする。

それくらいの覚悟がなくちゃ、
恋なんかしてられないんだ。

失うものが、
あまりにも大き過ぎて、遊び
でやっている余裕はねぇんだ、
と。


「人魚姫」のお話は、女の本質
を突いている。


王子様に一途な愛を捧げる
人魚姫は、自分の「声」を
犠牲にしてまで、彼の世界に
入り込みたいと望む。

男の精神世界は本質的に、
女にとって異世界だ。

それこそ、海の世界と
陸の世界ほどの違いが
そこにはある。

だけど女は、自分の愛を
封印し、慣れない足を引きずり
ながらも、男の心に辿り
着こうとする。

その愛が成就すれば、ハッピー
エンド。

だが、王子様に愛されなかった
人魚姫は、仲間の人魚たちから
「王子様を殺すか、それとも、
自分が海の泡となって消えるか」
と究極の選択を迫られるのだった。