にゃんこの置き文

行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず

PLAN75

2024年09月15日 | 日記
敬老の日だからというわけじゃないけど、「PLAN75」という映画を観た。
本当は映画とか観ている場合ではないんだけど、今日は一日中執筆してて頭がカラカラのタオル状態。
「もういくら絞っても、一行の文章も思い浮かびませ~ん」状態になったので、気分転換というかリハビリみたいなものかな。

75歳から希望者は安楽死できる、という法案ができた後の日本の話。
他人事ではない立場で観たので重かったけど、若い頃に観た「ソイレントグリーン」ほどの感動はなかった。
やはり歳で感性が鈍っているのだろうか。
それとも「安楽死反対」というメッセージを明確に受け取ってしまう映画だからだろうか。

だいたいあの安楽死施設はないよなぁ。
あれだったら私も入り口でUターンすると思う。
ここはやはり「ソイレントグリーン」みたいに、思い切り美しくしたほうが、切なさがいっそう際立ったと思うんだけど。
それに私だったら「縄跳びをしている少女」は主人公の若い頃の自分にするなぁ。
光陰矢の如し。
弾けるように若々しかった日々はつい昨日のことのように思えるのに、いつの間にか手は骨ばって薄い皮膚が張り付き、持ち上がらない足を引きずるようにして歩いている・・・

それにしてもなんで主人公は安楽死をやめたんだろう。
そりゃ確かに一度死を決意した後で見る夕日は美しかっただろうけど、この後どうすんの?と現実的な心配をしてしまった。
だって帰る家はもうなくて、お金も頼れる人もなかったら、早晩安楽死施設に逆戻りではないかい?
世界は美しいけど、同時に残酷だから。(「進撃の巨人」の受け売り)

でも私にしては珍しく、こうやって感想を書き込む気になったわけだから、響くものがあったんだと思う。
それにしても倍賞美津子、演技が上手いね。
なんか月影先生を思い浮かべてしまったわ。
もし75歳になってこういう世界になっていても、「ガラスの仮面」が完結していなかったら死ねないかも。

そういう軽い問題ではないのを承知の上で、書き散らしてみました。
(これもリハビリ?)
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受賞は逃したけど

2024年08月21日 | 小説
日本歴史時代作家協会の新人賞にノミネートされていたけど、残念ながら受賞はできませんでした。

以下は結果。



2024年8月19日(月)に、第13回日本歴史時代作家協会賞(2024年度)(主催:日本歴史時代作家協会)の最終選考会が開催されて受賞作が発表されました。
●新人賞
東 圭一『奥州狼狩奉行始末』角川春樹事務所
[候補作
阿野 冠『蛍の光 長州藩士維新血風録』徳間書店
天羽 恵『もゆる椿』徳間書店
神尾水無子『我拶もん』集英社
三本雅彦『運び屋円十郎』文藝春秋


なんだか久しぶりに、候補に残ってから発表までのドキドキ感を味わわせていただきました。
2年前に「大藪春彦新人賞」を受賞するまで、3回最終候補に残りながら、いずれも「残念ながら」で終わってしまった。
この時はきつかった。
受賞できなければ最終に残ろうと一次で落ちていようと同じ事。次の機会まで、一年歳月を重ねてしまうってことだから。

今は取っても取れなくても、執筆中の作品を頑張ればいいだけだから、そんなに落ち込むこともない。
何よりノミネートされただけでも、作家として認めてもらえたような気がして、素直に嬉しい。
次の作品でも、受賞できなくてもいいからあちこちで候補になりたいな。
そして小説界のステイゴールドかロイスアンドロイスを目指したりして
(ステイゴールドはまだしも、ロイロイは例えとして古すぎるかな)



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エアコンを買いました!

2024年08月04日 | 日記
昔人間の悲しさで、エアコンは贅沢品だと思っていた。
暑さを凌ぐのは扇風機で十分。
毛皮を着込んだにゃんこどもも平然としているのに、いざとなれば裸になれる人間が負けるわけにはいかない。
10年前の酷暑の時もそれで乗り切ったんだし、今年も頑張ろう

・・・と思っていたんだけど、7月半ばで早くも身体がおかしくなってきたんだよねぇ。
考えてみれば、昔は平気だったとしても身体のほうは確実に老化している。
例年なら7月20日から10日間ほどを乗り切ればマシになる筈が、今年はどうやら猛暑が長引きそうである。
にゃんこは日がな一日長々と伸びていればいいが、こっちは通勤や買い物で出歩かなければならない。夕方でも35度くらいあるお外から、37度にはなっている家の中に入るのは、一種の拷問である。
以前は休みの日はネコといっしょにごろごろしていればよかったが、今は小説の執筆という大事な仕事がある。休日しか書く時間が取れないのに、暑すぎて頭がまわらん。

などといろいろ言い訳を並べ立て、ついにエアコンを買う決意をした。
そこでさっそく管理会社に、許可を得る為お電話。
「すみません、エアコンを設置したいんですけど、よろしいでしょうか」と言ったら、「どうそ。どこでもつけてください」と、間髪入れずに明るい声が返ってきた。
(言外に、「まだつけてなかったんかい」という響きあり)

その対応に、昭和の昔人間もようやく理解した。
今やエアコンは贅沢品ではなく必需品なのね

つけた後もおっかなびっくりで夜には消してた。
そうしたら夜中に足がつったので、こりゃいかんと思って今は24時間稼働中。
設定温度は30度にしてるけど、寒いくらい。
もう快適すぎるくらい快適なんだけど、人間っていったんいい味を覚えるとその前には戻れないよね。
これでまた「自然」から一歩遠のいてしまったなと思うと、ちょっとだけ複雑な気分。

ところでエアコン購入の動機の半分くらいはネコの為でもあったんだけど、あいつら時々涼みにくるくらいで相変わらず室温35度以上の場所でぐにゃっと伸びてる。
なんでだ
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脊柱管狭窄症?

2024年06月20日 | 健康
6年ほど前から股関節と膝が痛くて、杖生活。
どうせ変形性何とかかんとかだろうと思っていたんだけど、最近になって筋肉も痛むようになった。
しかもこれまでは右足だけだったので杖を使えば歩けていたが、なんと両足ときたもんだ。

関節を庇って歩いているので、筋肉を傷めてしまったんだろうと勝手に決めつけていたけど、どうもおかしい。
関節より筋肉のほうが痛くて歩けなくなるなんてことがある???

というわけでネット診断も含めていろいろ調べてみたところ、症状にぴたりの病名をみつけてしまったのだ。
その名も、脊柱管狭窄症
原因は、加齢(またかよ)

精神のほうは17歳のまま成長が止まっているのだが、肉体のほうはきっちり経年劣化しているらしい。
「加齢」が原因の病気は、基本的に完治はない。
進行を遅らせたり緩和させたりするのがせいぜい。
こうして確実に衰えていくんだね~
しかし関節より先に脊柱にくるとは思わんかったなぁ。

めげる一方で、嬉しい出来事もあった。

拙著「もゆる椿」が、日本歴史時代作家協会の新人賞にノミネートされました




受賞できればもちろん嬉しいけど、こうしてノミネートされただけでも感謝感激。
なんだかもう一度、お美津と誠二郎に会いたくなってきた。
短編でもいいから、続きを書いてみようかなぁ。

時は幕末。深刻な空気に覆われた京の町を、しっちゃかめっちゃかにしてしまうお美津。
・・・というのも、面白いかも?




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長編と短編

2024年04月16日 | 小説
「緋の契り」を書き終えてから、はや二ヶ月が過ぎた。
まったく白紙の状態から脱稿まで二か月半というのは、私にとっては最速だ。
今、思い返しても、よく無事に書けたものだと冷や汗が出る。

私は小説の依頼って、最初はあいさつ程度で、それから意向を確かめ合い、ネタを出してオーケーが出たら企画書を提出してという具合に、徐々に話を詰めていくものだと思ってた。
だけど月刊誌でそんな悠長なことをやっていたら日が暮れてしまうのだろう。
依頼はいきなりやってきて、いきなり決まった。
私なんぞが書いて本当にいいのかと思ったけど、ド新人にとっては書く場が与えられただけでも超ラッキー。まさか断れる筈などない。

デビュー作の「もゆる椿」は生まれて初めての長編だったから、慣れないことだらけでいろいろと大変だった。
でも50枚ならR18への応募で何度も書いている。(すべて落選だったけど)
80枚を一か月半で書いたこともあるのだから、きっと大丈夫だろう。
それに小説誌だったら当然他の作家の作品もいっぱい載ってるわけで、一作くらい駄作が混じっていても売り上げには影響すまい。(コラコラ)
そんなふうに自分を励ましたり慰めたりしながら書き始めたんだけど、向こうはどうだったんだろう。
「やっぱり書けませんでした」とか、「できましたぁ~」って渡された作品が読むに耐えないものだったりする可能性は考えてなかったのかなぁ。

私はいつも、キャラだけ先に決めて、筋は書きながら考えていく。
ところが書き始めてすぐに躓いた。
ほぼ1年近く「もゆる椿」で悪戦苦闘していた成果で、いつの間にか頭が「長編脳」になっていたのだ。
これは思わぬ誤算だった。
短編のリズムを忘れてしまってるせいで、筆がまったく進まない。(懐かしい比喩だよね。今ならキーを打つ指が動かないってとこかな)
修正するのに半月くらいかかったかな。
そういや逆の意味で、「もゆる椿」を書き始めた時は大変だったことを思い出した。
なんせそれまで、100枚以上の作品って、書いたことがなかったからね。

けれど、ここでまたまた後遺症が出現。
「緋の契り」を書き上げたら、今度は「短編脳」になってしまったのだ。
今は長編に取りかかっていて、第一章を書き上げたところなんだけど、読み返したらどう見ても短編の流れ。
こりゃ早々に書き直しだなぁ。
なんて融通のきかない私の頭。
世の売れっ子作家さんたちは、長編と短編を同時執筆することもざらなわけで、改めて凄いなぁと感心する。

凄いと言えば、今回改めて思ったんだけど、編集者の人たちはそれ以上かも。
一作にかかりきりになって書き上げればひと息つける私と違って、編集の人は担当の作品をチェックし(それも複数の)、その間に企画を考え、次の次の号に載せる作家に依頼をし、イラストレーターさんと打ち合わせ、校了したと思ったらもう次の号の作業が始まる。私が知らない諸々の仕事もあるだろうし、新人賞の担当をしていたら応募された作品も読まなければならない。
想像するだけでため息が出そう。

兼業だから書く暇がない、なんて甘いことは言ってられんなぁ。
次の長編、頑張ります




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