桓武天皇は京に都を定めるにあたって、
陰陽師の意見を重んじました。
陰陽師は、
船岡山に玄武
巨椋池に朱雀
鴨川に青龍、
そして、
山陰道に通じる現在の松尾大社付近に白虎が棲むという
現在の京都を選んだといわれています。
四つの霊獣に守られている四神相応の理想の場所であったようです。
また、桓武天皇は怨霊の存在も意識したようです。
さらに、天門、鬼門のラインを意識したそうです。
このような見えないモノを意識する姿勢が
王城を永遠のものとしたのです。
現在も、京都の町内では、北東の角に石を置いたり、
塩を盛ったり、
小さな鳥居を置いたりしている。
いわゆる、鬼門封じなのですね。
鬼門とは
「鬼」や「悪霊」が出入する方角のことです。
また、「鬼」は角(隅)から出入りするので
角を無くしている家も多く有ります。
庭先にも当然の如く、
北東の隅(表鬼門)や
南西の隅(裏鬼門)には柊や南天の樹を植えています。