オヤジのひとり言

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東寺さんは・・

2011年06月14日 | オヤジのひとり言
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節電してTVを消して・読書しています。

最近ハマッテる本を紹介しています。


京の歴史がわかる

読み出すと・・これが結構オモシロイ・・

京都検定の参考書にもなっているとか、いないとか?


千年の古都のタイムトンネル
京都の歴史 その六拾七


幕府の手厚い庇護が 東寺 を存続させる

 庇護者のなかった 西寺 が、

平安時代には 官寺 として隆盛を誇っていたにもかかわらず、

現在は跡地のみになっている事を考えれば、

もし仮に 東寺 も 西寺 と同じように庇護者が居なければ、

我々は、 東寺 も弘法さんの縁日も見ることは出来なかったかもしれない。


しかし、

東寺 には、衰えかけた寺を建て直し、

また保護しようとする外護者の存在が・・

それは、平安時代末の 文覚、鎌倉時代の 源頼朝、そして 江戸幕府 です。

文覚 は 神護寺 と関係の深い人物ですが、

彼自身、空海 を深く尊敬し、神護寺復興の後、

今度は 東寺 の再建にも尽力した。


文覚 は 後白河法皇 と強固なつながりを持っていたが、

その関係を梃子に東寺修理の財源として播磨一国を知行国とした。


そして 後白河法皇 の追善供養として 源頼朝 もまた、

その修理に寄与したのです。

しかし、文覚 や 頼朝 による修造は、頼朝 が死去、

文覚 も失脚することにより頓挫する。

彼らによる 東寺 の修造は、寺の大半の部分に及んでいて

修造も事業半ばにして中断を余儀なくされる。

その後修造が再会されるのは50年近く経った頃です。

その間、東寺 を維持する事が出来たのは、

貴族達による絶大な 東寺の庇護、

実際には 空海 の御影に対する様々な寄進でした。

後白河法皇の皇女 宣陽門院覲子内親王 や 後宇多法皇 によって、

多くの荘園が寄進されているが、

これらの大半は江戸時代に至るまで継続し、

中世を通じて 東寺 の重要な経済基盤となったのです。


江戸時代になると、

幕府は 室町時代 から 戦国時代 にかけて損なわれた寺観の整備に努力している。

幕府は 二千石以上の寺領を安堵し、

寺の経済基盤を安定させると共に 潅頂院 を再建、

また 五重塔 は二度にわたって再建されている。

なお、現在の 五重塔 は寛永12年 (1635 )の焼失後、

寛永21 (1644) 年に再建されたものです。


今回はここまで・・   

続きは次回に・・ 

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