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節電してTVを消して・読書しています。
最近ハマッテる本を紹介しています。
京の歴史がわかる
読み出すと・・これが結構オモシロイ・・
京都検定の参考書にもなっているとか、いないとか?
千年の古都のタイムトンネル
京都の歴史 その六拾七
幕府の手厚い庇護が 東寺 を存続させる
庇護者のなかった 西寺 が、
平安時代には 官寺 として隆盛を誇っていたにもかかわらず、
現在は跡地のみになっている事を考えれば、
もし仮に 東寺 も 西寺 と同じように庇護者が居なければ、
我々は、 東寺 も弘法さんの縁日も見ることは出来なかったかもしれない。
しかし、
東寺 には、衰えかけた寺を建て直し、
また保護しようとする外護者の存在が・・
それは、平安時代末の 文覚、鎌倉時代の 源頼朝、そして 江戸幕府 です。
文覚 は 神護寺 と関係の深い人物ですが、
彼自身、空海 を深く尊敬し、神護寺復興の後、
今度は 東寺 の再建にも尽力した。
文覚 は 後白河法皇 と強固なつながりを持っていたが、
その関係を梃子に東寺修理の財源として播磨一国を知行国とした。
そして 後白河法皇 の追善供養として 源頼朝 もまた、
その修理に寄与したのです。
しかし、文覚 や 頼朝 による修造は、頼朝 が死去、
文覚 も失脚することにより頓挫する。
彼らによる 東寺 の修造は、寺の大半の部分に及んでいて
修造も事業半ばにして中断を余儀なくされる。
その後修造が再会されるのは50年近く経った頃です。
その間、東寺 を維持する事が出来たのは、
貴族達による絶大な 東寺の庇護、
実際には 空海 の御影に対する様々な寄進でした。
後白河法皇の皇女 宣陽門院覲子内親王 や 後宇多法皇 によって、
多くの荘園が寄進されているが、
これらの大半は江戸時代に至るまで継続し、
中世を通じて 東寺 の重要な経済基盤となったのです。
江戸時代になると、
幕府は 室町時代 から 戦国時代 にかけて損なわれた寺観の整備に努力している。
幕府は 二千石以上の寺領を安堵し、
寺の経済基盤を安定させると共に 潅頂院 を再建、
また 五重塔 は二度にわたって再建されている。
なお、現在の 五重塔 は寛永12年 (1635 )の焼失後、
寛永21 (1644) 年に再建されたものです。
今回はここまで・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hakushu.gif)
続きは次回に・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/sayonara.gif)
電話かFAXで、メールでお気軽に・・
E-mail Kyoto-ee@gaia.eonet.ne.jp
URL kyoto-estate.com
ここを・ ・・ ポチット・・・・クリックして下さい。
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只今Athome Webより、より詳しい最新情報が見られます。
オールジャパンで頑張ろう!! 東日本にエールを・・
必ずや立ち上がってくれると・信じてる。
5年10年掛かるかも知れないけれど・
ずっと・ずっと・応援してる・
みんなでがんばろう!! 日本
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平安時代には 官寺 として隆盛を誇っていたにもかかわらず、
現在は跡地のみになっている事を考えれば、
もし仮に 東寺 も 西寺 と同じように庇護者が居なければ、
我々は、 東寺 も弘法さんの縁日も見ることは出来なかったかもしれない。
しかし、
東寺 には、衰えかけた寺を建て直し、
また保護しようとする外護者の存在が・・
それは、平安時代末の 文覚、鎌倉時代の 源頼朝、そして 江戸幕府 です。
文覚 は 神護寺 と関係の深い人物ですが、
彼自身、空海 を深く尊敬し、神護寺復興の後、
今度は 東寺 の再建にも尽力した。
文覚 は 後白河法皇 と強固なつながりを持っていたが、
その関係を梃子に東寺修理の財源として播磨一国を知行国とした。
そして 後白河法皇 の追善供養として 源頼朝 もまた、
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しかし、文覚 や 頼朝 による修造は、頼朝 が死去、
文覚 も失脚することにより頓挫する。
彼らによる 東寺 の修造は、寺の大半の部分に及んでいて
修造も事業半ばにして中断を余儀なくされる。
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その間、東寺 を維持する事が出来たのは、
貴族達による絶大な 東寺の庇護、
実際には 空海 の御影に対する様々な寄進でした。
後白河法皇の皇女 宣陽門院覲子内親王 や 後宇多法皇 によって、
多くの荘園が寄進されているが、
これらの大半は江戸時代に至るまで継続し、
中世を通じて 東寺 の重要な経済基盤となったのです。
江戸時代になると、
幕府は 室町時代 から 戦国時代 にかけて損なわれた寺観の整備に努力している。
幕府は 二千石以上の寺領を安堵し、
寺の経済基盤を安定させると共に 潅頂院 を再建、
また 五重塔 は二度にわたって再建されている。
なお、現在の 五重塔 は寛永12年 (1635 )の焼失後、
寛永21 (1644) 年に再建されたものです。
今回はここまで・・
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