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平安時代のスゥィーツ談義
宮中では6月に菓子を食べる習わしが・・
京では6月になると一斉に、和菓子屋さんの店頭に
「 水無月 」というお菓子が並びます。
「 水無月 」は、ういろう の上に小豆をちりばめた3角形の餅菓子で、
その形は氷を表し、小豆には 邪気を祓う 意味があるといわれています。
「 水無月 」の起原は、宮中の「 氷室の節会 」に求められるといわれる。
現在の京都市北区西賀茂の氷室は、
冬に張った氷を貯蔵する 氷室があったことに由来する地名で、
かっては、
陰暦 六月1日に、御所に献上する氷の貯蔵庫があった。
その氷を薄く削った上に、
甘葛の樹液から作った甘味料を掛け、
やんごとなき殿上人が食していたようです。
今でいうところの・みぞれ・のようなものだったようです。
甘葛の樹液を煮詰めた甘味料は、
砂糖のない時代にはたいへん重宝されたが、
甘葛樹液の採取には手間隙が係る事もあり非常に貴重なものだった。
ましてや夏場の氷などは到底、
一般庶民が口にすることは決してない貴重なものです。
そこで庶民は、
ういろうを氷に見立てた菓子の
「 水無月 」が考案されたといわれているが、??
室町時代から江戸時代にかけて、
宮中では6月に菓子を食べる風習があって、
特に六月16日に 厄除けと招福 の意味をこめて菓子を食する儀礼が有り、
その際に食べる菓子を嘉祥菓子( かじょうがし ) といった。
菓子というと元々は果物のことを指したようだが、
当時は、
菓子といえば餅菓子のことで
室町後期から江戸後期にかけて
宮中の女官たちが記した『 御湯殿上日記 』にも、
たびたびこの日の「 かちん参る 」と言う記載があります。
かちん・というのは餅、または氷を指した女房言葉で、
この日には嘉祥菓子の餅が献上されたのです。
因みに、
全国和菓子協会がこの習俗にヒントを得て、商魂逞しく・・
1979年に 六月十六日を「 和菓子の日 」としています。
近所の和菓子屋さんにも、
抹茶風味の水無月があったりして賑わっています。
やんごとなき麻呂は
「厄除けと招福」の意を込めて・・小豆バー・抹茶バー食しておじゃる。
平安時代のスゥィーツ談義
宮中では6月に菓子を食べる習わしが・・
京では6月になると一斉に、和菓子屋さんの店頭に
「 水無月 」というお菓子が並びます。
「 水無月 」は、ういろう の上に小豆をちりばめた3角形の餅菓子で、
その形は氷を表し、小豆には 邪気を祓う 意味があるといわれています。
「 水無月 」の起原は、宮中の「 氷室の節会 」に求められるといわれる。
現在の京都市北区西賀茂の氷室は、
冬に張った氷を貯蔵する 氷室があったことに由来する地名で、
かっては、
陰暦 六月1日に、御所に献上する氷の貯蔵庫があった。
その氷を薄く削った上に、
甘葛の樹液から作った甘味料を掛け、
やんごとなき殿上人が食していたようです。
今でいうところの・みぞれ・のようなものだったようです。
甘葛の樹液を煮詰めた甘味料は、
砂糖のない時代にはたいへん重宝されたが、
甘葛樹液の採取には手間隙が係る事もあり非常に貴重なものだった。
ましてや夏場の氷などは到底、
一般庶民が口にすることは決してない貴重なものです。
そこで庶民は、
ういろうを氷に見立てた菓子の
「 水無月 」が考案されたといわれているが、??
室町時代から江戸時代にかけて、
宮中では6月に菓子を食べる風習があって、
特に六月16日に 厄除けと招福 の意味をこめて菓子を食する儀礼が有り、
その際に食べる菓子を嘉祥菓子( かじょうがし ) といった。
菓子というと元々は果物のことを指したようだが、
当時は、
菓子といえば餅菓子のことで
室町後期から江戸後期にかけて
宮中の女官たちが記した『 御湯殿上日記 』にも、
たびたびこの日の「 かちん参る 」と言う記載があります。
かちん・というのは餅、または氷を指した女房言葉で、
この日には嘉祥菓子の餅が献上されたのです。
因みに、
全国和菓子協会がこの習俗にヒントを得て、商魂逞しく・・
1979年に 六月十六日を「 和菓子の日 」としています。
近所の和菓子屋さんにも、
抹茶風味の水無月があったりして賑わっています。
やんごとなき麻呂は
「厄除けと招福」の意を込めて・・小豆バー・抹茶バー食しておじゃる。