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千年の古都のタイムトンネル
京都の歴史 その 参百五拾六
城下町・伏見
「伏見城」が建設される以前、伏見は「九郷」と呼ばれる長閑な農村でした。
天正20年の伏見屋敷の建設に始まる
伏見改造のなかで城下町へと変貌したのです。
まず、城下町を造る為、宇治川を付け替え、
巨椋池に直接流れ込んでいた宇治川を
槇島堤、太閤堤などの築き、
伏見の街の南にまで引き込み、
それを淀川へと繫いだ。
次は、
城下町の外周には「濠川」( ほりかわ )
と呼ばれる外堀が造られた。
軍事的な目的が第一ですが、
宇治川に流入する濠川は、
伏見と大坂を舟運によって
直接結ぶ水上運輸の機能をも併せ持っていた。
街の内部は、大名の集住が図られると共に、
商工業者の移住の為町家建設も進められた、
景勝町、鍋島町、両替町、納屋町・京町、銀座町、
など伏見に今も数多く残る町名は、
当時の伏見の町を彷彿とさせるのです。
また、街道の新設や、
神社の移転も行なわれ、
伏見九郷の鎮守の御香宮 ( ごこうのみや ) は、
城下町建設に際し深草の移転させられている。
今の御香宮は徳川家康によって原の地に復帰して以降のものです。
今回はここまで・・
続きは次回に・・
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