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京都の歴史 その七拾弐
名古曾の滝
『 百人一首 』に採り入れられた藤原公任の歌
「 滝の音は絶えて久しくなりぬれど、名こそ流れてなほ聞こえけれ 」
に詠まれた「 名古曾の滝 」は、
ここ嵯峨院の苑池に作られた人工の滝です。
「 滝の音は絶えて 」とあるように、
公任が歌を詠んだ11世紀はじめには、
すでに滝は廃れ、水は既に涸れていたが、
嵯峨院 の旧跡としてその名が知られていた。
近年の発掘調査で、
大沢の池の北側から 名古曾の滝 の石組みが発掘され、
さらに滝から池に向かって穏やかに流れる鑓水の跡も確認された。
滝の石組みは、その後他の庭に石転用する為に、持ち運ばれたらしく、
現在当初の位置を占めているのは 二石 だけだそうです。
現在は滝が復元され、滝から流れる下った水は、
小流となって野筋と呼ばれる平地を曲がりくねって流れ、
やがて池に注いでいる。
池の岸辺は州浜と言うなだらかな海岸を思わせる小石をならべた岸辺です。
大陸から伝承した庭園技術は、
このころにはすでに日本風の特徴を持ち始めていたことがわかる。
今回はここまで・・

続きは次回に・・

電話かFAXで、メールでお気軽に・・
E-mail Kyoto-ee@gaia.eonet.ne.jp
URL kyoto-estate.com
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只今Athome Webより、より詳しい最新情報が見られます。
オールジャパンで頑張ろう!! 東日本にエールを・・
必ずや立ち上がってくれると・信じてる。
5年10年掛かるかも知れないけれど・
ずっと・ずっと・応援してる・
みんなでがんばろう!! 日本
京都の歴史 その七拾弐
名古曾の滝
『 百人一首 』に採り入れられた藤原公任の歌
「 滝の音は絶えて久しくなりぬれど、名こそ流れてなほ聞こえけれ 」
に詠まれた「 名古曾の滝 」は、
ここ嵯峨院の苑池に作られた人工の滝です。
「 滝の音は絶えて 」とあるように、
公任が歌を詠んだ11世紀はじめには、
すでに滝は廃れ、水は既に涸れていたが、
嵯峨院 の旧跡としてその名が知られていた。
近年の発掘調査で、
大沢の池の北側から 名古曾の滝 の石組みが発掘され、
さらに滝から池に向かって穏やかに流れる鑓水の跡も確認された。
滝の石組みは、その後他の庭に石転用する為に、持ち運ばれたらしく、
現在当初の位置を占めているのは 二石 だけだそうです。
現在は滝が復元され、滝から流れる下った水は、
小流となって野筋と呼ばれる平地を曲がりくねって流れ、
やがて池に注いでいる。
池の岸辺は州浜と言うなだらかな海岸を思わせる小石をならべた岸辺です。
大陸から伝承した庭園技術は、
このころにはすでに日本風の特徴を持ち始めていたことがわかる。
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