彷徨う普代村民

普代村の一村民、
彷徨う村からの貧民の呻き声

仁と義

2023年06月16日 | Weblog

 あるきっかけで仁義と言う言葉を思い出した。

仁義とは、ヤクザの専門用語と思っていたが儒教の思想とかなんとかが分かった。

 

「仁」はひろく人や物を愛する事。

「儀」は物事のよろしきを得て正しい筋道にかなうこと。

とあります。

 

「正しい筋道」とは何なのかはよく分かりません。

ただ、筋道に反れることは一般社会よりヤクザ社会のほうが規律が厳格と言うイメージがある。

 

一般社会は、だまし、裏切り、寝返り、なんでもありでも法律で守られ、

法に触れなければ制裁されない。

 

なぜ、「仁義」と言う言葉を思い出したかと言えば、

議員としての自分とある人物2人との3人で8年前に約束したことがあり、

その約束と反することを周りに勧められたことがある。

自分にはその約束を反古にはできない。

 

「その人」と自分と「ある人物」と3人で約束したことがあり、

「その人」が、その「ある人物」にだましと、裏切りと、寝返りを受けたことを目の当たりにした。

信じられないというより、血が逆流した。

 

「その約束と反すること」を勧められている何人かに言った。

「そんなことをしたら、『ある人物』と同じだ。そんなことはしたくない。」と言った。

そんな青臭いことを、と言うイメージでとられた。

そんなこととは、「その人」を「ある人物」と同じ方法で裏切ることだった。

 

筋道が通らないというのは感覚として分かるというか、

言葉では言えないが、

正義感と言うのか、やはり血が逆流する。

一般的に言う、「腹が立つ」よりもっと次元が違う。

 

「仁」という愛する気持ち、「儀」という正しい道筋。

「寝返る」とか「裏切る」とか「ウソ」は明らかに仁義に反する。

 

だから、許せない。

 

地方末端でも、国レベルでも政治の世界を見ていると、

仁義に反することがうまくできる人間のことを「手腕」と言うように表現する。

クソ感覚だ。


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