彷徨う普代村民

普代村の一村民、
彷徨う村からの貧民の呻き声

小中一貫教育

2012年09月29日 | Weblog
今日、普代村の小中学校の公開授業があり、県内の先生方が視察に来ていた。小中一貫教育の小中連携の授業が公開された。小中の授業ともお互いに先生が乗り入れして、授業は二人の先生がいる。自分のころこんな授業だったらもう少し勉強ができて、もっと違う人生だったのかな?と思いながら授業を参観した。

<小中学校移転と一貫校推進>

村内3校の小学校が統合している。
統合先は普代小学校。

海のすぐ近くだ。
今度の津波で有名になった防潮堤が目と鼻の先にある。

自分は高台に位置している堀内地区だ。
今自分の子供が普代小学校に通っているとしたらどう感じるのか、妻に聞いたことがある。
「そう考えると、離れていて恐らく心配と言うより不安になる。孫が通っていると考えただけでも、不安な気持ちがわかる。」と言う話をしたことがある。同感だ。

きのう9月27日、沢向地区で村政懇談会があった。

住民の質問の中で、小学校の校庭のかさ上げのことが出てきた。

津波対策はあれでいいと思っているのか?と。

校庭だけかさ上げしても、通学道路の危険は変わりない。
と言う意見もあった。 確かにその通りだ。

数人が不安意見を訴えていた。

初めて自分の住む地元住民の意見を聞いた。

「こんなに不安に思っていたのかと改めて感じた。」

普代元村、太田名部地区の人との温度差を感じる。

近くにいていつでも駆けつけることができるという安心感と、自分は津波から安全なところに離れいて子どもが危険なところにいるという不安。

この立場の違いが温度差ではないかと改めて考えた。

沢向、堀内地区の親にすれば言い知れぬ不安があると思う。

しかし、申し訳ないが、行政もそのことを理解していないと感じている。

この不安を理解していない。

行政は、不安意見を言えば、「不安を煽っている。」と逆に非難する。

だれも煽っていない。親がそう感じているという事実があるだけだ。

その事実をどう受け止めるのか?

「な~に、おれもあそごに通ったが。この通り大丈夫でござんすが。」

今度の大震災で大丈夫でなかった人は現実に大勢いる。

その事実はどう受け止めるのか?



原発反対の「命の行進」で普代にも来た、ネパールの人が言っていた。
「ネパールには海がない。海の近くを歩いてきてものすごく怖かった。」と。

先生方も不安を感じながら教職にあたっている。

内陸出身の先生は、ネパール人と同じ感情を持ちながら仕事をしているのかも知れない。

小中学校がどこがいいか悪いかの前に、理屈でない人間の不安が存在するという事実がある。

 水産加工の求人が低調と報道されている。
その理由の一つが、「大津波を目の前で見て、海の近くで働くのに抵抗がある。」
というものだ。

子供のいる学校が海のそばであれば、その「抵抗の思い」は推して知るべしである。

不安は、海に慣れればいいと言うことも言えるが、本質は危険が伴った問題である。

 「小中一貫校建設構想委員会」では、小中一貫校推進のために、移転は小中一緒の移転が望ましいという結論が出ている。

ところが、移転の問題と小中一貫校の問題は別々の問題で一緒にすることはおかしいという意見も聞いた。

小中一貫教育を今進めている以上、切り離して進めることのできない問題だ。

それが理解できないとすれば、「小中一貫教育」の目的を理解できていないに等しい。


 今日9月28日の学校公開の全大会で、岩手大学の新妻教授のあいさつがあった。

「小学校が統合された。統合は手段であって目的ではない。子供たちにとって何をすることが最善かということだ。 統合はその手段で、統合することによって何を子どもたちのためにしてあげれるか。その一つが一貫教育ということでもある。」と、村の教育行政にエールを送っていたと理解した。

小中同時移転も、手段であって目的ではない。 たとえば小学校先行移転だとすれば子どもたちにとって最善であろうとする一貫教育と言う目的が損なわれる。

なぜなら、一貫教育の最善策は同じ校舎で学ぶことである。
それが理想である。
そこを目的にしているからこそ、問題は別ではない一蓮托生であるということだ。

管内でも平均以下だった普代村が、今学力は上昇しはじめている。

この流れを止めないで推進していく必要がある。

行政には「子どもにとって最善」であることをさらに後押しすることを期待する。

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