彷徨う普代村民

普代村の一村民、
彷徨う村からの貧民の呻き声

議員報酬増額した議会

2022年09月09日 | Weblog

  武田邦彦先生は好きな学者です。

自分の知識である専門を分かりやすく伝えて、表現に人間味があります。

数年前久慈にも来たことがあります。講演を面白く聞かせていただきました。

テレビに一時よく出ていましたが、排除されたような感じです。


 その武田さんが、学者の世界でも純粋な学者と出世優先が目的の学者とに分かれると言っています。

そんな立身出世型学者はみんないやらしいんですよねー。と言っています。

「いやらしー」と言う表現がまたリアルでわかるような気がします。

たしかに、あからさまにいやらしー。

どんな世界でもあるんだなと思います。


議員の世界もそれは当てはまりそうです。

純粋な動機で当選しても、そこにまみれれば不純な事には同化しやすくなります。

それだけ「楽しようよ感」の誘惑はあるあるです。

研修旅行と称したお出かけも、色々言い訳してもやはり村費を使って、カモフラージュに視察をつけた慰安旅行です。

議員個人の視点が、名誉欲になるとまじめなことはやろうとしない。

見ていて分かりやすい。世間もそんな人を支持するところがあるので問題ない。

自分の地位が上がるかどうかが基準で、自分の仕事によってだれのためになれるかという基準ではないことまでは気づいていない。

はっきり言って人のことはどうでもいい。民からの不都合な声は無視するのもその証です。

地域や選挙民のために与えられた地位権限を、自分の欲求のために当たり前のように使う。

よく威張る人がいます。

職員が自分のことを知らなかったと言って職員に怒ったという議員もいましたが、

逆に知られていないこと事態、議員として恥ずかしいことで怒ってる場合ではない。


そういった、議員としての資質も含めて報酬や定数の問題が何十年も続く。

今日(9/9)の新聞に、議員報酬を増額した議会が載っていました。

 議員のなり手がない事で、新聞のような流れになりつつあります。

しかし、報酬の問題であるかどうかは、市・町・村で違うと思います。

同じ市でもその規模の差で状況が違います。

町村議員は、議員一本で生活できるくらいの報酬にはなりえません。

なり手が、特にも若い人がないということはそういうことで、当たり前です。

12%増額して、15万が18万になって解決する問題ではない。(普代村であれば)

 

町村議員は若い人がなるというのは現実問題として収入的に不可能です。

別の報酬をしっかり確保していれば別ですが。

 

まじめな定年者で十分だと思います。

本当に村のためにと言うのであれば年齢は関係ない。

また、ある程度の年齢の方が周りも意見を聞くはずであるし、報酬を気にすることもないと思うのです。

若者を支える、役に立つ「としょり」が必要です。

そういう意味では、報酬の議論や定数の議論はあまり必要とは思えない。

それより「人」「資質」の問題のほうが重要です。

その議論の延長が「定数」や「報酬」であることは分かります。

それが有効かどうかは疑問です。

 

 大槌町議会がなぜ増額したのか、新聞には載っていませんが、

増額しなければ、生活に困って辞職議員が続出となれば増額するしかないでしょう。

 

 県の町村議長会の検討委員会では、議員報酬と定数に関する最終報告を平成31年(令和元・2019)に出している。

3年前の話になる。

最終報告まで2年間の調査をし、各議会からも意見を募っていたようである。

普代村では少なくても15年間、議論の俎上にも上がってはいない。

上がっていないというより、先にも書いたように、不都合な声には答えない。

また、議員の「村民の声に答えるべき」という意見にも耳を貸さない。

議会の役割はなんだろう?

 

議員定数や報酬見直しの議論もさることながら、

議員の資質は重要な問題のはずです。。地域住民の資質にもつながることです。

2度と自分のような議員を当選させてはならないと思う人も少なくないでしょう。

議員の資質は地域住民・その身内・投票者の「結果」の問題です。

議員の資質は有権者の問題ですが、有権者が責任とれるかと言うことです。

選挙で終わりではなく、有権者はそこからを問題にすればいいのになあと思ったりします。

 

でもしかし、議員も選挙民もそうではない。だから議員にとっては楽です。

座ってるだけでもいいし、適当に質問をして仕事したふりも可能です。

有権者にとっても興味のない議会のことに煩わされたくないのが本音。

 

定数を絞るという手段はよく聞きますが。資質に有効な手段ではありません。

親戚の多い人や、禁じ手を平気で使うような人が有利になるのは明明白白です。

一部の人のための議会では困ります。

 

また選挙民は自分の問題としては捉えていません。そう言う自分もそうです。

なので塀の中から出て、カベの向こうは見えずらいので、たまには自らさらけ出すことが必要だとの考えはずっと示してきたつもりです。

しかし、誰にもどうにもできません。

そこを考えるとやはり「一票」の意義は大きい。

選挙前には、立候補者が揃い、討論会とか、自分の考えを示すことも面白いかも知れない。

誰か実現して欲しい。


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