ぼってりと灰色に垂れこめた雲の底から細長いトゲが出てきました。それはゆっくりと地面に向かって伸びていきます。ぐねぐねとその身をひねりながら太く大きくなり、やがてそのトゲは渦を巻く巨大な角(つの)に姿を変えました。でも、背の低い木の葉の影にいたイモムシの子供たちには空のできごとは見えません。
渦の角が遠くの牧草地を突き刺し、稲光を伴って子供たちのいる森へ近づいてきます。黒い渦の叫びが次第に大きくなってきました。その声は、シィューゥ、ヒュユゥーという蛇の出す音のようでもあり、狼の遠吠えのようにも聞こえます。木の葉がざわめき、森の仲間に危険を知らせます。木の枝の高いところにいた鳥たちは、安全な地平線を目指して飛び去っていきました。
それでもイモムシの子供たちは気がつきませんでした。その時、子供たちの心にあったことは、将来、蝶々になったときの羽の色。子供たちはこんな話に夢中です。
「ぼくのママとパパは白いちょうちょになったよ。だからぼくも白になるんだ」
一番小さなイモムシが言いました。
「白はちょっとさみしいよ。黄色い模様があったほうが良くないか?」
二番目に小さいイモムシが言いました。
「ボクは夕焼けの色がいいな。葉っぱの間から見たことあるんだ。よくわかんないけど、色が変わるんだよ。濃くなったり薄くなったり。すごく綺麗なんだ」
三番目に小さなイモムシが言いました。
「わたしはピンクになりたい。バラの花のピンク、とっても綺麗でしょ」
女の子のイモムシが言いました。
「でも、ぼく、まだ緑だよ。ママやパパみたいな白い羽はいつもらえるの?」
「よくわかんないけど、チョウチョになる時にもらえるんじゃないか」
「アゲハのおばちゃんが言ってたけど、羽をもらう前に、サナギっていうのにならなきゃいけないんだ」
一番大きなイモムシが言いました。
「サナギ? ぼく、木になっちゃうの? 白い木? それとも緑のまま?」
「ちがうよ。サナギは木じゃないよ。とにかく、サナギにならないと羽がもらえないんだ」
「誰が羽を持ってきてくれるの? 羽の色は誰が決めるの?」
女の子のイモムシが訊きました。
「よくわかんないけど、たぶん、神様」
「僕もそう思う。アゲハのおばちゃんが言ってたけど、神様はどんなことでもできるんだって。この色にしてくださいってお願いしたらチョウチョになる時に神様が持ってきてくれるんだよ。でも、お願いするときは一回にひとつだけにしないとダメなんだ。神様は欲張りは嫌いなんだって。ねぇ、いいこと考えた。今からみんなで神さまにお願いしようよ」
子供たちは、目をつむり、大好きな色の羽を心に思い浮かべて神様にお願いしました。
『パパとママと同じ白をください。白い羽なら、ちっちゃくてもいいです』
『かわいいバラのピンクをください』
『黄色い羽がほしいです』
『アゲハのおばさんのような色にしてください』
『夕焼け色の羽をください』
突然、辺りが真夜中の黒にかわり、バラバラと氷の石つぶてが大量に降ってきました。風が叫び、横殴りの冷たい雨が弓矢のよう木の葉を突き刺しています。地の底から響く恐ろしい唸り声。大地に根を張った大きな樹木があっという間に地面から吹き上がり瞬く間に上空へ吸い込まれていきました。
真っ黒な雲から伸びた巨大な角は、高速で回るドリルのように情け容赦なく地面を引っかき掘り返していきます。イモムシの子供たちは、得体の知れない強い力に押されて空中に吹き飛ばされ、黒い渦に飲み込まれてしまいました。小さな体が恐ろしい力で上に下に、右に左に振り回されています。「怖い」と感じるよりも前に気を失ってしまった子供たちには何が起こっているのか全くわかりません。
気がついたときには、真っ白なミルク色の空間の中に浮かんでいました。子供たちの周りには、色とりどりの花びらがゆらゆらと螺旋を描いて舞っています。
「ここはどこだろう。僕たち、どうしたんだろう」
「死んじゃったのかな」
「ちがうよ。だって、どこも痛くないよ。ちっとも苦しくないよ」
白い空間の中でキラキラと輝く花びらが、子供たちの背中にふわりと落ちました。
「ねぇ、みてみて。わたしの背中。ピンクの花びら」
「僕のは黄色だ」
「ねぇ、これ、ピンクの羽みたい」
「チョウチョになったの? ぼく、まだ緑だよ?」
「よくわかんないけど、きっと神さまに願いが通じたんだよ」
「アゲハのおばちゃんが言ってたけど、サナギの時ってまわりが真っ暗なんだって。ほら、さっき、急に真っ暗になっただろ。あれがサナギだったんだよ。僕たち、これからチョウチョになるから神様が羽をくれたんだ。きっとそうだよ」
「みてよ、みてよ!、ねぇ、すごいよ! ぼくの背中、白い花びら、光ってる。金色もある。銀も! 綺麗な花びらがいっぱいだよ!」
イモムシの子供たちは、空間に舞う花びらを取り、背中につけてあそび始めました。
「ねぇ、あそこ、みて! ずっと上のほう。おひさまの光みたいにすごくまぶしい。ピンクの花びらはあそこから落ちてくるみたい」
イモムシの子供たちは花びらの羽をひらひらさせながら光の方に顔を向けました。
「ホントだ。黄色い花びらもたくさん落ちてくる」
「ボク、葉っぱの間からあんな光、見たことあるよ。よくわかんないけど、きっと、あそこが出口だよ。行ってみようよ」
「でも、ずいぶん遠いよ。ぼくの白い羽、ちっちゃいよ。あんなに遠くまで行けるかな」
「大丈夫だよ。絶対いけるよ。僕たち、もうイモムシじゃないんだよ。チョウチョになったんだ。サナギから出たら、大きく羽を広げて、勇気を持って光に向かって飛べって」
「アゲハのおばちゃんが言ったの?」
一番小さなイモムシが訊きました。
「ちがう。父さんだ」
はるか彼方の光を見上げ、ルリ色に輝く花びらの羽を大きく開きました。
「神様が羽をくれたんだ。どんな高い所へだって飛んでいけるよ。さぁ、一緒に行こう」
巨大な黒い渦が消えてまもなく、雲の切れ間から光が差し込みました。その光の中を空の高みを目指して飛んでいく七色に輝く小さな蝶の群れがありました。
(了)
下書き用イラスト