暇つぶしに・・・

絵を描いたり写真を撮ったり。

いざ、出陣!桶狭間

2023-05-27 | 写真/猫/日記
(昨日の続き)

二日目 桶狭間

桶狭間は名古屋市緑区にあります。
少し行くと豊明市に入ります。

関ヶ原は田んぼとか山に囲まれている広いところでしたが、現在の桶狭間は住宅街になっています。

桶狭間古戦場公園
団地の中にある小さな公園です。


関が原を見てからこちらへ来ると、「え、これだけ?」ってちょっとがっくり来るんですけど、公園内を回ってたら、面白いことを発見しました。😲
この公園自体がジオラマになってんですね。
城や砦、織田軍の通った道とか今川軍が通った道、などなどが公園内に作ってあります。
それからAR動画というのが見れるようになっています。
看板に書いてあるQRコードを読み込んでアプリをダウンロードしたあと、スマホを看板にかざすと桶狭間合戦の動画がその看板に流れる、という仕組みのようですが、なんだか複雑そうだったのでAR動画はパスしました。


この石碑の文字は陸軍大将松井石根(まついいわね)が書きました。
戦後、東京裁判で南京大虐殺の責任者とされ、絞首刑になった人です。愛知県出身。







現在地から大池を回って桶狭間神明社まで歩きました。




大池です。


息子の歩く速さについていけない(´;ω;`)
「戦国の武将ってあんな重たい鎧つけてよう歩けたね。
旗背負って槍担いで長い道あるいて、歩兵とか途中でぎっくり腰とか肉離れとか起こして歩けんくなったらどうなるの?」
って言いながら歩いてたら、息子が振り返って一言。
「お手打ち」
  😱😱😱
はい、歩きます😅😅😅

桶狭間神明社に到着。
桶狭間村は14世紀ごろに南朝の落ち武者が起こした村です。
神明社もこのころに建てられました。
瀬名氏俊(せなうじとし:今川氏に仕えた武将)が先勝祈願をした神社です。




観光案内所の横にある北斗の拳作者の原哲夫さんが手がけた信長像。



観光案内所はコーポの一階を改装して作った小さなところでお土産と言えるようなものはあまりおいてありませんでした。
ここでは桶狭間の合戦の10分ビデオを見せてもらいました。

この後は今川義元本陣跡へ車で向かいましたが、途中、道が狭いし入り組んでいるし、迷っているうちに場所が分からなくなって本陣へ行くのは諦めました。

今川義元は結構好きな武将です。
「徳川家康」で今川義元を演じた成田三樹夫さん、「どうする家康」では野村萬斎さん、どちらもめちゃかっこいい😻😻😻😻
今川義元その人が好きなのかそれを演じた役者さんが好きなのかよくわかりませんが😸😸😸


桶狭間で思い出しましたが随分前にかいた信長の短編があります。
もしお時間ありましたらお立ち寄りいただけると嬉しいです。
ここです↓


楽しい週末をお過ごしくださいね。👋👋👋

コメント (6)
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いざ、出陣!関ケ原

2023-05-26 | 写真/猫/日記
2日間に分けて関ケ原と桶狭間に行ってきました。
多治見から高速使って約一時間半の距離です。
運転手は戦国マニアで結石持ちの長男坊です。

一日目 関ケ原

関ケ原は息子たちが中学ぐらいのころ、関ケ原合戦祭りを見に来たことがあります。
そのときに、家康が最初に陣を張った桃配山へ行きましたが、山道を歩いてるときに突然ガサッという音がして、何だろうと思ったら、次男坊が何か黒い塊が見えたっていうんですぐに引き返しました。
以前、飛騨高山にある位山(くらいやま)へ行った時も熊らしき姿を見かけたので、黒い塊って聞くとビビります。
皆様、関ケ原に来るときは熊さんいますので熊鈴をお忘れなく。

関ケ原はこんなところです。
風が強かったです。



こんなにのどかなところで、血みどろの合戦があったんですよね。
関ケ原は熊も出ますが武者のお化けも出ます。
私の主人、侍大好き、家康大好きなアメリカ人で、関ケ原へ来たことあります。
「ここらへんは戦国武者のお化けが出るよ」といったら、
「それはありがたい。色々聞きたいことがあるからぜひ、そのお化けにあってみたい」と言ってました。





下の写真、左の端っこに旗が見えますか?
この山が石田三成の陣があった笹尾山です。
その下のほう、旗が立ってるあたりが合戦場です。
ここに約15万の軍勢が来てチャンチャンバラバラやったんですね。
合戦場の右端に細長い建物、これ、小学校です。
この辺の小学校では遠足の時に絶対に石を拾ってくるなと子供たちに言ってるそうです。
石は血を吸ってるし、やっぱりね、いろいろとあるんだよね。




指さしてるとこの下にある手前の山(緑が一番濃いところ)が、息子の大好きな大谷吉嗣の陣地です。
大谷刑部(おおたにぎょうぶ)の名前でも知られてるハンセン病の武将です。ドラマでは白い頭巾をかぶって出てきますね。
息子はNHKの大河ドラマ「葵徳川三代」でみた細川俊之さんの大谷刑部が最高だと言っております。
大谷刑部の陣地はかなり山の中にあるんですが、息子が高校のころ、どうしても刑部の陣地を見たいということでひとりで雨の日に熊鈴も持たずここまで行きました。
途中に大きな檻があったよ、なんて言ってましたが、それ、熊の檻ですよね。
怖いもの知らずというか冒険好きで無計画なとこは母親そっくりですわ。
刑部大好きだから、刑部様が守ってくれたのかな。
これがあの裏切った小早川秀秋の陣があった松尾山に行ってたら熊さん出たかもね。





旗の立ってるところ、黒田長政の陣地


この竹藪を上った先が黒田長政の陣地です。
熊さん出そうだし、また肉離れになると困るので上に行くのはやめました。


関ケ原古戦場記念館へ






展示物の甲冑


写真ではわからないんですが、すごい威圧感というのかな。
これだけの甲冑に囲まれると怖いです。
ふと思ったんですが、上司のパワハラで苦しんでる人たち、こういう甲冑を着て4~5人で連れ立って反撃に出たらどうでしょう。
今まで偉そうなこと言ってた相手、絶対ビビってひれ伏すと思いますが。

家康の兜



合戦を再現


白い三つの丸ののぼり旗は大谷刑部の陣地です。

8歳の子が作った関ケ原合戦の屏風
すごい!

これも小学生の作品




ちょっと休憩。

「小早川の寝返り 裏切りのカルボナーラ」を食べました。
息子は「関ケ原ボロネーゼ」


岐阜関ケ原古戦場記念館プリンパフェ

お土産です



こんなのはいってました。


「家康公伝説」の包み紙の裏に書いてありました。



久能山東照宮は家康を最初に祀った神社です。
京都から久能山東照宮、そこから日光東照宮が一直線に並んでます。

皆さんは「レイライン」という言葉を聞いたことがありますか。
「レイライン(ley line)」というのは、古代の遺跡には直線的に並ぶよう建造されたものがあるという仮説の中で、その遺跡群が描く直線を言います。
日本にもいくつかそういう場所があります。
パワースポットと呼ばれている場所をつなぐと一直線になるとか「五芒星」が浮かび上がるとか。

私、古代史ミステリー大好きなんで、家康にまつわる場所をつなぐとレイラインになるというと、なんだかワクワクします。
偶然直線になったのか、何か意味があるのか家康に聞いてみたいです。

今日は関ケ原の話で長くなりましたので、桶狭間は明日に投稿しますね。

またお立ち寄りいただくと嬉しいです。

チャコはお寝んね。
写真撮ろうと思ったら顔隠しちゃった。
恥ずかしいかニャ😸




コメント (4)
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あちこちお出かけ

2023-05-06 | 写真/猫/日記
ゴールデンウイークになると多治見の町から車の数が減りますね。
いつも渋滞してる道路もすいすい行けるし、スーパーの駐車場もいつもより車の数が少ないです。
この期間、観光地はどこも満員なので、今年も近場で遊んできました。

5月2日
この日は息子の付き添いで小牧市民病院へ。
レントゲンの結果、結石の行列が6ミリだけ減ってました。
先月から縄跳びに加えて「ウラジロガシ」という結石を溶かすお茶を飲んでますが、効果が出てるのかな?
あと残り3センチの結石がありますが、次回までに出なければ多分、手術になりそうです。

病院の帰り、すぐ近くに小牧山城跡があるので見てきました。
1563年に信長が初めて自分の手で作った城です。
4年後、信長が岐阜城に居を移し小牧山城は廃城になりました。
1584年、小牧・長久手の戦いのとき、家康がこの城を大規模改修して陣城(じんしろ)を築き、ここを本陣としました。

NHK大河ドラマ「どうする家康」の家康にもゆかりのある城だからもっと人が大勢来てるかなと思ったら、ガラガラ。人ごみ嫌いだからありがたいです。

お城へ続く道。
風があって気持ちいい。




当時の石垣です。
石垣を用いて城を作ったのは信長が最初です。
それまでは土で作った土塁や堀でかこって敵の侵入を防いでいました。
信長さん、いろいろと発想がユニークというか飛んでるというか。
この小牧山城の石垣は近世城郭石垣のルーツです。

その上に見える城は天守閣を模して作った歴史資料館です。


小牧市歴史館

天守閣からの眺め。

こういう景色を見て、きれいだなぁとか、いいところだなぁ、とは思いますが、この土地を全部自分のものにしたいなんて思ったことは一度もないです。
でも、昔の将軍さんや、現代もそうですが、権力を持っちゃうと、全部ほしいって思っちゃうのかな?

下の写真、息子の指がさしてるとこ、犬山城です。
「小牧・長久手の戦い」のときに秀吉がこの城に陣取ってました。
小牧と犬山は平地にいるとずいぶん距離があるように思いますが、こうして高いところから見ると結構近いんだね。
犬山城の秀吉と小牧城の家康が、それぞれに軍勢をしたがえてにらみ合いっこしてたんですね。
家康軍が一万七千、秀吉軍が十万です。
朝、窓を開けたら十万の敵がこっちを見てるってどんな感じだろうね。




5月4日

日本三大陶器祭りのひとつ、土岐市美濃焼祭りへ。

会場はこんな感じ。
「織部ヒルズ」というところで、陶器工場がたくさんあります。










この祭りを楽しみにしてましたが、人が多いのと、売ってる陶器もてんこ盛りで見てるだけで疲れてしまった。
結局、何も買わずに帰ってきました(笑


5月5日

恵那市にある博石館(石の博物館)へ行きました。
近くに昭和ムード満載の遊園地があります。
博石館は普段はほとんど誰も来ないところですが、この日はすごい人。
入場券を買うのに30分待たされました。

入場券売り場の近くにあった石のポスト




ピラミッドの中は迷路になってます。
この迷路、結構本格的。
すぐに出れるだろうと思ったら甘かった!
ほかの人の後についていったからよかったけど、もし一人きりなら中で迷子になってたかも。
ちょうどこのころ、石川県で地震があったんですよね。もしもこんな迷路の中で地震が来たら、と思うとぞっとします。


迷路の中

太鼓の演奏がありました。
馬籠黎明太鼓(まごめれいめいたいこ)





恐竜(アパトサウルス)のう〇ち(💩)の化石



隣で見てた息子がこんなこと言ってました。
「こんな恐竜がひねり出したものにお賽銭あげるんか?
  一憶5千年もたつと💩も神様扱いになるんかい。
まったく人間てどないなっとんねん?
家のポンチャコの💩もあと一億年もしたらありがたい神様になるで。それまでとっときや」

息子、大阪にいたことはないですが私が大阪弁使うんで、いつの間にやらうつってしまいました。

こんな泥のような土の塊を見て「あ、これは恐竜の💩だ」って発見した人もすごいですが、これにお賽銭投げてく人もすごい。
ほんま、人間てどないなっとんねん、ですわ。

息子の結石も、何億年後には博物館に展示されるかもね。
「薬でも溶けない医者泣かせの最強の結石」ってね(笑



これはお土産コーナーに置いてあった石で作ったネクタイと靴です。



ゴールデンウイーク中はあちこち歩いてばかりで、足がまた肉離れ起こすんじゃないかと心配でしたが、足のほうはなんとか動いてくれました。
MRIの結果は連休明けになるということなので、来週は病院です。
また薬が増えるような気がしますが(´;ω;`)

多治見は少し曇ってきて風が出てきました。
天候が崩れると体のほうにも影響出てきます。
どうぞ、無理せずお体大切に、素敵な週末をお過ごしください。











コメント (8)
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