今朝、五時頃、まだ暗い中をゴミステーションまで資源ごみを出しに行きました。
外はヒヤッとして冷たいし、シーンとしてだぁれもいない。空には雲に覆われてうすぼんやりとした月。
ーーー今は街灯があるからいいけど、昔は月明りだけだったんだよね。こんな薄暗いところ、鬼も出るわなーーー
なんて歩きながら思ったのはたぶん、今読んでる夢枕獏さんの『陰陽師』の影響だよね。
そんなことを考えるとますます怖くなってきたんで急いで家に帰りました。
部屋に入ったら( ^ω^)・・・
「わぉ! 鬼がいた!」
チャコ、鬼に変身中
ん? おぬし、今のみたにゃ。😈
この後、チャコ鬼姫様は私を斜め45度の角度で見上げながらストーブの前にお移りになりました。
今朝の月はあまり美しい月ではありませんでしたが、『陰陽師』に月の話が出てきます。
(以下、「陰陽師 太極ノ巻 東国より上る人、鬼にあうこと 」より、ちょっと感動したので私流に要約して紹介します)
安倍晴明と源博雅(みなもとのひろまさ)が月を見ながら酒を酌み交わしている場面。
美しい月だ、という博雅に清明がこう言います。
「美とはなんだ。美とはどこにある。月の美しさとはどこにある。もしもこの世からすべての生命が消えてしまえば、月を見るものがいなくなってしまえば月を見て美しいと思う心も消えてしまう。でも月は月だ。人がこの世から死に絶えてしまった後でも月は残り、いつものように美しく輝くこともあるだろう。
では逆に、もし月がなければどうなる。この世に自分一人だけで月もなければ星も花もない。美しいと思わせるものが何もないのだから美は消え去ってしまう。
つまり美が存在するためには、それを見るものと見られるものが必要だ。
人がいて、月があって、はじめてそこに美というものが存在する・・・・・・
呪(しゅ)とは人そのものと言っていい。命そのものが呪なのだ。
生命と宇宙は、呪によって結ばれているのだ」
ややこしい話ですが、清明は博雅と飲むときは毎回、「呪」のことを語ります。
私も、最初のころは『呪』の意味が今ひとつよくわからなくて、わからないまま15巻めまで読んできました。でもこの月の美の話で、「ああ、呪ってこれか!」って、なんというかうまく言えませんが感覚的に意味がわかったというか、それでうれしくなってブログで紹介しようと思ったわけです。
(『陰陽師』は全18巻。あと2冊で全巻読破。がんばります)
さてさて、私が『陰陽師』を読んでる間、チャコ姫は香箱座りの稽古してました。
チャコ
「うんっと、こうやって、ちょこっとお膝を折り曲げてっと」
チャコ
「ねぇ、見てみて! これでどう?
セクシー香箱座りの完成!」
ポン師匠
「まだまだ修行が足りませんにゃ。
香箱座りの後はこの三つ指のつきかたも稽古せにゃなりませんぞぇ」
チャコとポンを見てかわいいとか癒されるとか、ああ、美しきかな、ニャンニャンって思うのも、そう思う自分がいて、そう思われる二匹ががいるからで、
ああ、「ポンチャコ&私」は呪によって結ばれてんだ。
うん、なんかうれしい😁
お?
今、ポンがニャゴニャゴ言いながら部屋中、走り回ってます。
そのあとを追うようにチャコも走ってる。
たぶん、トイレだね。ポンの後には必ずチャコも出ちゃうんです。
で。そのあとは私が掃除に行くというパターンね。
私とポンチャコはションションと💩 で結ばれてるような。。。
これも 呪というんだろうか???
ま、ややこしい話は置いといて、今日は寒いです。
皆さん、風邪ひかないようにね。