題:苦しい時に共に生きたのは誰か(60代男性)
妻が仕事のついでに世界遺産の観光旅行を計画していた。
私も30年以上前から興味を持っていた場所だったので、私も行きたいと伝えた。
妻との都合が合わなかったが、妻は現地集合・現地解散の旅行を計画してくれた。
現地では妻と旅を本当に楽しんで帰ってきた。
その数日後に、中島さんが2014年10月にブログに投稿した記事が、人気記事の上位になった。
その題名は「因習と教えられない情報」だった。
何が書かれているのか気になり、読み返して偶然に驚いた。
記事の内容は、子育て中の妻をどの様に支えるかだが、中島さんのコメントの後半に題名のことが書かれていた。
「パパ達が定年退職後に妻と旅行とか考えたとしても、妻たちは夫よりも
友達を選ぶのです。日本のママたちは夫よりも友達なのです。
苦しい時に共に生きたのは誰か、 それがつけとなって後で返ってくるのです。」
私は子育て中の妻を積極的には支えていなかった。
でも、妻は旅行を計画してくれた。
「そのことに気がついて、妻に感謝しろよ!」とのメッセージが過去から届いたようで本当に驚いた。
リエゾンからのコメント
夢を描いて結婚をしても、双方の思惑の違いからすぐにズレは生じてきます。男性は癒される場を作ったと思い描き、女性は一緒に協力しあう場を作ったと思うところからずれていきます。
家庭は男性だけが癒される場ではないと私は思っています。グループを運営していると、男性たちから「家庭って大変なところ」「癒されるどころじゃない」「互いの協力が必要」と口々に聞こえてきます。
グループに来てからわかるという事は、それまでにどの位妻たちが夫の事を諦めてしまっているか、想像できます。妻たちは夫が癒される家庭をさも当然のごとく要求されるに至って、困惑し、それでも努力し、夫に対して訴えてきたでしょう。それでも全く通じない夫たちの思考に、怒り諦め、投げやりにもなったことでしょう。
いつの間にか同性の友人のみを頼りにして、子育てのきつい時期を乗り切っていきます。段々夫の存在が妻たちの中から消えていくのです。そのことを夫たちは、女性は遊んでいられていいなと、馬鹿にしたり、蔑んだりするのです。女性が生き延びるために取る手段をわかっていません。子育ては夫が想像するよりはるかに過酷なのです。
残念ながらこのようにして子育てを乗り切っていった妻たちが夫の定年退職後に夫を選ぶわけがありません。一緒に旅行に行きたいのは、夫ではなく、女性の友人なのです。
苦しい時に共にいたのは誰か。
妻たちは忘れません。一緒に子育てをしてくれたかどうか、協力しあえたかどうかを。
定年退職後に妻が夫と一緒に喜んで旅行に行ってくれる、共にいてくれるとしたら、それは夫の協力、努力が妻に伝わっていると私は感じます。妻たちはちゃんと見ていますよ。あなたが共にいてくれた相手かどうかを。