(B)民主化政策
マッカーサーは陸軍参謀長時代、退役軍人の恩給前払い運動を共産主義者の扇動によるものとして厳しく弾圧したごとく(1932年)、根っからの反共主義者で民主主義のひとかけらもない人物ではあった。ただし、彼は日本占領当初は、上の本国の方針に従って次のような指令を矢継ぎ早に発した。人権指令(1945.10.4)<思想・信教・集会・言論の自由を禁止する一切の法令廃止、10月10日までに政治犯の即時釈放(共産党員を含む約3000人)、特高など全秘密警察の解散>。これに対して、敗戦処理内閣であった東久邇宮内閣は、これらの指令に抵抗して辞職した。
GHQは、次期内閣の幣原喜重郎首相に矢継ぎ早に以下の指令を発した。
()五大改革指令(1945.10.11)<婦人選挙権実施・労働組合の結成の奨励・学校教育の自由・思想検察の廃止と人民を圧制から守る司法制度の確立・独占的産業支配の廃止による経済機構の民主化>
()神道指令(1945.12.15)<宗教と国家の分離、神道に対する公的援助の禁止、国公立学校における神道教育の禁止>
()公職追放令(1946.1.4)<戦争に協力した公務員・政治家の公職からの追放>
(C)天皇の「人間宣言」と民主化政策の実態
GHQは天皇制に関しては、この時点ではまだ直接的な指令を出していなかったが、裕仁天皇は翌年2月1日、マッカ-サーの意向に基づいて、自らの神格性(現人神)を否定するいわゆる「人間宣言」(正式名称は「新日本建設に関する詔書」)を公表した。ただし、これは率直に天皇が現人神にあらずと宣言したものではない。まずは明治天皇の「五箇条の御誓文」を掲げてその功績を讃えた後、あたかも付録的に「天皇ヲ以テ現人神(アキツミカド)」とするのは「架空ナル概念」であるとするものであった。この「五箇条の御誓文」を主テーマとすることは裕仁天皇の意向であった。天皇の政治的したたかさは占領過程で随所に垣間見せているが、ここにもそれが示されているといえる。
もとより、GHQは占領当初より、文字通りの民主化政策を実施したわけではなかった。GHQは労働組合結成を推奨する一方で、軍事力の恫喝の下で1947年2月1日のゼネストを禁圧し、同時に言論の自由に対しては、占領軍批判を一切封ずるためのプレス・コード等による言論出版の事前検閲を行った。さらに米ソ冷戦激化に際しては日本を「反共の砦」とすること、朝鮮戦争に際しては警察予備隊の設置=再軍備を命じ、自ら第9条2項を蹂躙するに至った。
これらの諸事実は、第9条制定と一連の民主化政策、天皇の「人間宣言」などの本質が、文字通りの日本国家の民主化・平和国家建設ではなく、これらを手段として、アメリカの帝国主義ライバルとしての天皇制国家権力の弱体化と日本の軍事力の根絶をめざしたことを明確にするものであった。
ただし、ここで重要なことは、GHQの主観的意図とは別に、これらの平和・民主化諸政策が、日本人民自身だけでは到底なしえなかった平和・民主主義国家の実現に向けて果たした歴史的役割は極めて重要であった。これらの歴史的意義を本当に日本に定着させ機能させることができるか否かは、いつに日本人民の闘争如何にかかっていたのである。(岩本 勲)
(つづく)