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「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

改憲の危険シリーズ 押しつけ憲法論批判(15)議会審議でのいくつかの重要な修正と条項付加

2016-04-05 | 改憲反対

議会審議でのいくつかの重要な修正と条項付加

 国会における憲法改正審議は、幣原内閣に代わり、多数党となった自由党・吉田茂内閣の下で開始された。政府案は6月25日に衆議院に上程され、約3ヶ月半の議会審議を経たのち、後述するように様々な重要な修正を加えられたうえで10月7日、帝国議会を通過し、10月29日、枢密院本会議で改正憲法が可決され、吉田政府は明治節(明治天皇誕生日)を選んで1946年11月3日、これを公布した(実はGHQはこの日の意味を知らなかった)。

①国民主権の回復
 政府草案の「国民の至高権」について疑義が最初に提出されたのは枢密院審議においてであったが(5月3日)、これについては法制局長官の説明によってウヤムヤにされた。次に「民主主義科学者協会」において中村哲がこの問題を論じ(6月1日)、議会でも野阪参三(共産党)、黒田寿男(社会党)が政府に質問をしたが、政府はまともに答えなかった。在野では松本重治が『民報』において国民主権たることを論じた(7月2日)。GHQはこれに注目した。それというのは、GHQはこの問題について、上掲のFECの見解(7月2日)の冒頭に「人民主権」たるべき、明記されていることを熟知しており、ことの重大さを認識していた。そこでマッカーサーは吉田政府に救いの手を伸べ、自由党・進歩党に「国民主権」への修正案を提出させて、これを可決した。

②第9条1項へ「国際平和」を追加
 GHQ原案及び日本政府案の第9条1項冒頭には、「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」の一節はなかった。この一節の追加を主張したのは、社会党であり、議会審議においてそれが承認された。

③第9条2項の芦田修正
 芦田均は第9条2項に、「前項の目的を達するために」の一文を追加する修正案を提出し、議会はこれを特別に議論することもなく可決した(9月21日)。後に、芦田はこれを挿入したのは、第1項にある武力放棄の意味は、国際紛争を解決する手段としてはこれを認めないが、自衛権を行使することは認められるべきだからだ、と主張した。だが、修正案提出の際にはそのような説は一切なかった。1995年に公開された当時の「秘密議事録」によれば、この一文は第1項にある「平和を希求し」という語を、第2項でも繰り返さないために挿入した、と芦田が述べていたことが判明した。芦田は1950年頃までは、軍備撤廃を主張しており、1951年に入った頃から自説を変えて、自衛の為の軍備を主張するようになったようである。

④文民規定(第66条2項)の追加
 「内閣総理大臣その他の国務大臣は文民でなければならない」の追加。FECに回付されてきた日本国憲法草案(8月24日)には、上掲のFEC見解(7月2日)の()明記された総理大臣・国務大臣についての「文民」規定が欠落していた。最初にこのことを指摘したのはソ連代表であった。さらに、中国(中華民国)代表は、芦田修正が「9条1項で特定された目的以外の目的で陸海空軍の保持を実質的に許すという解釈を認めていることを指摘したい。・・・たとえば自衛という口実で軍隊を持つ可能性があることを意味します」(下線は筆者)。この見解にFECの多くのメンバーが賛成し、マッカーサーに文民条項の挿入を申し入れた。その結果、マッカーサーは芦田修正に関するFECの見解は伝えずに、文民規定の挿入の必要性だけを日本政府に伝え、これが貴族院で可決された。日本が警察予備隊創設に始まり、今日の世界有数の軍隊にまで成長した自衛隊の現状を見るとき、中国代表の鋭い見通しには今さながら脱帽の思いを深くせざるを得ない。

⑤生存権(第25条)の追加
 政府原案には生存権の規定はなかったが、社会党の主張でこれが新設された。明らかにこれは、ワイマール憲法の生存的基本権やソ連憲法からヒントを得たものであった。

⑥義務教育の無償化の拡大(第26条2項)
政府原案では、初等教育を無償とするとなっていたが、これでは小学校教育しか無償にならないことになる、と気づいたのが青年学校の教員たちであった。青年学校とは、尋常小学校卒業後、中学校へは行けなかった青少年の教育機関であった。全国の青年学校の教員たちが猛運動をした結果、「義務教育は、これを無償とする」という規定に修正され、新制中学校を含めて、無償化が実現したのである。(以上の①~⑥については、古関彰一『9条と安全保障』小学館文庫、同『平和憲法の深層』ちくま新書、及び前掲の古関に詳しい。なお③については(「新聞と9条」第37、「朝日新聞」連載、2015.5.28、参照)。

⑦その他GHQ原案には欠落していた条項の付加
 成年者による普通選挙権の保障、総理大臣及び閣僚の過半数は国会議員であること、皇室財産の国有化(以上はFEC原案参照)、公務員の不法行為に対する国家賠償制度。明治憲法下においては、国家無答責の原理によって国家に賠償責任はなかったのである。一方、1919年のワイマール憲法第131条は国家賠償責任制を規定されていた。国民の納税義務、刑事補償、等の新設。(岩本 勲)

(つづく)


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