日本政府によるGHQ原案の姑息な修正
幣原内閣は、GHQ原案をそのまま受け入れたのではない。天皇制政府に都合のいいように、いくつかの重要な点で姑息な修正を行った。
①原案の前文をすべて削除と回復
前文は日本の過去の侵略戦争を反省の意味を込めて、平和主義・国民主権論・平和的生存権など日本国憲法の根幹を宣言した部分である。とくに前文は日本流王権神授説である「万世一系」の天皇制論を廃し、ロック流の社会契約論=信託説を採用していた。この規定は、先の「天皇人間宣言」にもかかわらず、天皇権力が天照大神・神武天皇以来、神与の権力であるとの明治憲法観が染みついた支配階級にとっては我慢のならなかったことである。しかし、この削除に気づいたGHQは原案遵守を命じた。
②一院制及び土地・天然資源の国有化条項の修正・削除
貴族院を不必要とした衆院一院制原案を、衆議院する保守派の防波堤としての参議院を加えて2院制に修正。土地・天然資源の国有化は削除。これらの2点はGHQも承認した。
③人民主権の削除と国民主権の回復
国民主権に関して、前文と第1条の原文はthe sovereignty of the people’s will(主権としての人民意思=人民主権)と表現されていたが、これをthe supreme will ofthe people(国民の至高意思)に修正。この修正については最初、GHQも気づかなかった(詳細は後述)。
④peopleを「国民」に改訳
GHQ原案では、nation(国民)ではなく人民を意味するpeopleという言葉を採用していた。この単語はそれまでも一般的に、「人民」と翻訳されてきた。例えば、リンカーンのゲティスバーグ演説である、‘government of the people, by the people,for the people‘について、定訳は「人民の、人民による、人民のための政治」ということであった。マッカーサーの日本国憲法草案でも、その第1条は、「皇帝ハ国家ノ象徴ニシテ又自国人民ノ統一ノ象徴タルヘシ」(1946.2.13)とされていた。だが、日本政府案では、peopleはすべて国民と翻訳された。「人民」という言葉はそれまでの日本語では、天皇と政府に対抗する用語と理解されてきたので、このニュアンスを回避したかったこと、さらに重要なことは、次に示す通り、基本的人権の享受を日本国民に限定するということに、その意図があった。
⑤基本的人権の享有を日本国民に限定
基本的人権の擁護に関して、GHQ原文は、「一切ノ自然人ハ法律上平等ナリ」(第13条)とされた。つまり、一切の自然人とは、何人であれ国籍の如何を問わず平等だということである。しかも、GHQ案では明確に「外国人ハ平等ニ法律ノ保護ヲ受クル権利ヲ有ス」(第16条)と規定されていた。だが、政府は法律的平等を狭く日本国民に限り、しかも日本国民の要件は法律に委ねた。
⑥皇位の決定者としての人民を削除
人民の基本的人権に関する、日本政府の最も重要な修正は次の点である。GHQ原案では「人民ハ其ノ政府及ビ皇位ノ最終決定者デアル」(第14条)となっていたが、これをすっぽりと削除したことである。いうまでもなく、人民を皇位の最終決定者とすることは、日本政府にとってはとうてい認めがたいことであった。
政府は以上のような修正を加えて、政府案をひらがな口語文に直した「帝国憲法改正案正文」を4月17日に発表し、直ちに枢密院に諮詢し、そこで11回の審査が行われた。枢密院本会議は6月3日、美濃部達吉顧問官の反対を除いてこれを可決した。美濃部は終始一貫して明治憲法遵守を主張していた。彼は戦前、その天皇機関説によって天皇制ファシズムに対する自由主義的対抗論を展開し、その意味で重要な役割を果たして弾圧されたのだが、しかし、戦後は国際的な民主主義の大波に乗り越えられてしまったたといえる。美濃部に限らず、ファシズムによる学問の自由の圧殺の代表的な事件のひとつである京大事件の際、抗議のため連袂辞職した佐々木惣一教授なども含めて、戦前の憲法学者の大御所のほとんどは、全て同様の状態であった。(岩本 勲)
(つづく)