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「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

(ベネズエラ連帯)ベネズエラ外務省ブランコ北米局長が講演会

2019-11-12 | ラテンアメリカ

 11月5日、ベネズエラ外務省のマウリシオ・エンリケ・ブランコ・アコスタ北米局長の講演会が東京の日本記者クラブで開かれました。

  講演に先立って、イシカワ駐日大使がブランコさんを、35才の若さでいくつかの大使館を経験し、現在は北米局長を務めていると紹介しました。大使はあわせて米国の経済封鎖が戦争と同じ違法行為であり、米によるベネズエラに対する攻撃は1999年にチャベスが大統領に就任した瞬間から始まっていると米を批判しました。

  ブランコさんは「ウゴ・チャベス司令官の反帝国主義的指向;米国の攻撃に対して現在も有効かつ必要な視線」というタイトルで話をされました。彼はこの20年で大統領のもたらした大きな変容を見てきたこと、若い世代はチャベス大統領の考えを振り返る必要性を感じていますと、このテーマにした動機を話しました。

文化さえも帝国のものが植民地に押しつけられた

  チャベス大統領は野球が大好きで、子どもの頃は大リーグの選手になりたかった。それはベネズエラの文化の一部が米国の影響したで形成されたからです。ベネズエラに石油企業が入ってくることで米国の文化が入ってきて、植民地の運命といわれるものを受け入れさせられました。政治、社会、国家、地方の全てに帝国のものが持ち込まれたのです。ゴメス大統領が外国企業に自由営業権を与えて以降、20世紀の間ずっとそうでした。発展モデルは石油産出国になることだけでした。100年間米国の植民地であり、国を守る力もありませんでした。そこに1999年にチャベス大統領が登場し、社会、政治に大きな変化を与えたのです。

チャベス大統領の思想

  大統領は就任にあたってまず、解放者シモン・ボリバルの考えを持っていました。多くの国は三権を持ちますが、ボリバルは4つめの市民擁護権を提起しました。さらに1999年憲法では新しい選挙管理権を、第5の権力として立てたことが特殊です。更にこのとき、代表型民主主義に代わって参加型民主主義を打ち出しました。チャベス大統領は生涯で考え方を変えていきますが、はじめはシモン・ボリバル、さらに「第3の道」、そして「社会主義」に傾いていったのです。国家の変容を資本の論理に基づかない、新自由主義的なやり方でしないために、「第3の道」が打ち出され、さらに「社会主義」に至ったのです。

  ベネズエラは米国の植民地であり、単一の石油輸出モデルを、より特徴的な形で押しつけられました。ベネズエラは金融的な力で支配され、IMF等を使った経済援助で支配され、軍事基地網に組み入れられる形で支配されてきました。

帝国と袂を分かつ

  2004年にカラカス近くでコロンビア人傭兵が軍事訓練をして、クーデターに出る計画だったのが露見しました。この帝国主義的政策が思想の点で米とベネズエラを二つに分けることになりました。チャベス大統領は大規模な政治的集会でボリバル革命の反帝国主義的性格を明確に公表することになりました。政府は、ベネズエラの軍事力を反帝国主義に基づくものにし、装備をベネズエラの現実に適合させ、米国への石油輸出を漸減させることにしたのです。

 チャベス大統領は反帝国主義を宣言した後、革命のイデオロギー的基盤について検討し、革命のコンセプトとしてぼるバル革命は人間を中心におくと宣言しました。変容の手段としてボリバル革命、新自由主義と対立する理論として社会主義、そして国家の独立を3つの柱として打ち出しました。社会主義の側面に基づいてミシオンがはじまりました。経済的な側面では重要部門の国有化、石油収入の下層への分配、政治的側面では参加型民主主義が取り上げられました。

チャベスの思想は若い世代への導きの

  これらのことが若い世代にはどう役に立つのでしょうか。米との対立が決定的な今、同導きの糸、案内人になるのでしょうか。それはチャベス大統領が示した独立、反帝国主義、社会主義などの原則をしっかりと守って、米国の攻撃に立ち向かうことです。

  非同盟外相会議ではイランのザリフ外相が「制裁と呼ぶことをやめよう」「制裁と呼べば、まるでベネズエラ人が悪いことをしているようだ」「経済テロと呼ぼう」と呼びかけました。街を歩く人に勝手に罰金を科すような、こんな違法極まりないような行為が米国の制裁なのです。  この経済テロがいかに人々を苦しめているか例を挙げます。一つは「過剰は法令遵守」です。罰せられてもいないのに企業が創業をやめて徹底するのです。例えばアドビ社、製品を使って活動していた企業は事業を続けられなくなります。アメリカンエキスプレスもベネズエラへの運搬をやめました。2014年以降金融的案取引をできなくする経済テロが行われています。シティーバンクはインシュリン代金の受け入れを拒否し、米国にある国営石油会社の子会社Citgoの配当を送金できなくされました。2019年には国営石油会社の資産そのものを凍結し、グアイドにくれてやろうとしました。金融制裁があらゆる物資の取引をストップさせ、輸入に頼った経済の国に大きな打撃を与えています。

「人民から人民へ」計画~民衆の力で反米闘争に勝つ

  最後に政府とは別に国民が国民の力で制裁を打ち破ろうとしている動きを紹介します。これは「人民から人民へ」計画です。139の農家が参加し,生産と配付に従事しています。30万世帯に食料を配付しています。有機栽培で伝統的な野菜などを栽培しているのです。この計画は今年の10月に、米国で農業主権賞(!)という賞を受賞しました。農業主権は国の独立を開くキーです。だからチャベスの考えを取り上げることが重要です。

  最後に、ブランコさんは7人の写真家の作品を紹介しました。これらの作品は人々が自分の仕事をやり遂げることを通じて、米国の戦争に抵抗していることを芸術の側面から訴えていました。それは同時に、ベネズエラの街の中に、どこに戦争があるのだろうと思わせるものでした。ブランコさんの話は厳しい米国による経済テロ攻撃の元でそれに耐えながら、若い世代の指導者がどんな考えでチャベス大統領の示した道を進もうとしているのかを示してくれるものでした。(努)

 

 


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