10月7日(日曜日) 、ウィスコンシン州のミルウォーキー・レイクフロント・マラソンを走る。
この大会に申し込んだのは今年の1月。そして4月中旬には定員締め切りになるという人気が示すように、アメリカ中西部では屈指の高速コースとして知られる。秋のフル は事実上これ1本に絞り、直前3ヶ月は毎月300kmを走り込んで準備を重ねた。
当日は見事な秋晴れ。しかもレースの週末に合わせたかのように気温が下がり、スタート時は3℃という願ってもないコンディション。これはもう千歳一隅のチャンスというしかない。
午前7時30分、ミルウォーキー・ダウンタウンの北方約20マイルに位置するグラフトン・ハイスクールからスタート。ここから概ね南に下っていくワンウェイ・コース。スタート直後は3時間40分のペーサーについていたが、体が温まってくるにつれて3時間35分のペーサーも追えるような感じになってきた。その先の3時間30分のペーサーには届きそうもなかったので、そのまま3時間35分のペーサーを視界に入れながらレースを進めることにした。
Mile 01: 8分14秒(08分14秒)
Mile 02: 8分08秒(16分22秒)
Mile 03: 8分14秒(24分36秒)
Mile 04: 8分02秒(32分38秒)
Mile 05: 8分04秒(40分42秒)
Mile 06: 8分15秒(48分57秒)
最初の数マイルは雄大な農村風景の中を走る。アメリカの中でも酪農王国と言われるウィスコンシン州らしく、地平線まで広がる牧場を背景に、乳牛の群れがコースのすぐそばまで押し寄せてきたりする光景はなかなかの見ものだ。このあたりの光景は時代の移り変わりを反映しやすい都市部と違って、アメリカ大陸開拓時代からさほど変化していないのではなかろうか。
余談になるが、学生時代に読んだSF小説で、ウィスコンシン州の農村を舞台に異星人との交流を描いた名作『中継ステーション』(クリフォード・D・シマック作)を思い出した。また『大草原の小さな家』のインガルス一家も、最初に住んでいたのはウィスコンシン州だったはずだ。まさにそれと同じ場所を走っている・・・と思うと感慨深いものがあった。
Mile 07: 8分15秒(57分12秒)
Mile 08: 8分13秒(1時間05分35秒)
Mile 09: 8分13秒(1時間13分38秒)
Mile 10: 8分15秒(1時間21分53秒)
Mile 11: 8分10秒(1時間30分03秒)
Mile 12: 8分05秒(1時間38分08秒)
Mile 13: 8分06秒(1時間46分14秒)
中間地点通過: 1時間46分41秒
7マイルからはコンコルディア大学の敷地内に突入。ブラスバンドの演奏やチアガールなど応援がにぎやかなところだ。8マイルで一度ミシガン湖が見えるところに出るが、それ以降は再び内陸を走るコースとなり、周囲の風景も農村地帯から徐々に紅葉の美しいレジデンシャルエリアに変化していく。
このあたりは、ずっと3時間35分のペーサー(マットという名前だった)のすぐ後ろについて走った。マットは経験豊富なランナーらしくコースも知り尽くしているようだったので、今回のペース配分は全面的に彼に任せることにした。彼がペースを上げれば、自分もペースを上げる(どちらかといえば、上り坂でペースを上げる傾向があった)。彼がペースを落とせば、自分もペースを落とす(下り坂では飛ばさず、脚を休めていた)という具合に。余計なことを考えずについて行く、というのも立派な作戦の一つである。
コースは緩やかな起伏はあるものの、特に難所と言えるようなところはなく、順調に中間地点まで来た。
通過タイムは1時間46分台。後半急激に落ち込むことがなければ3時間35分切りも狙えそうなペースだ。
Mile 14: 8分19秒(1時間54分33秒)
Mile 15: 8分11秒(2時間02分44秒)
Mile 16: 8分15秒(2時間10分59秒)
Mile 17: 8分07秒(2時間19分06秒)
Mile 18: 8分04秒(2時間27分10秒)
Mile 19: 8分08秒(2時間35分18秒)
Mile 20: 8分25秒(2時間43分43秒)
中間地点を過ぎてからも、それまでと同じようにペーサーのマットを追って走る。何人かのランナーが同じグループにいたが、その中でも黄色いシングレットを着たクリスティという若い女性ランナーがいい感じで走っていた。たまにマットがトイレ休憩で抜けたりした時はクリスティがペーサー代わりになった。
後半の正念場となる17マイルから19マイルにかけて、マットとクリスティはややペースを上げた。それで振り落とされるランナーもいた様子だったが、自分はついていった。下り勾配の20マイル目では逆にペースを落とし、脚を休ませる区間にしていた。経験者らしい巧みなペース配分なので、一緒に走っていると勉強にもなる。
Mile 21: 7分56秒(2時間51分39秒)
Mile 22: 8分13秒(2時間59分52秒)
Mile 23: 8分08秒(3時間08分00秒)
Mile 24: 8分06秒(3時間16分06秒)
Mile 25: 8分13秒(3時間24分19秒)
Mile 26: 8分23秒(3時間32分42秒)
21マイル目で再びマットとクリスティがペースを上げた。かなり急激な展開だったので思わず引き離されそうになったが、命綱と思って必死についていく。おそらくここが勝負どころに違いない。振り落とされたら終わりだ。多少無理をしてでも、ここは踏ん張らなければならない。7分56秒。手元の時計はこのレースの最速ラップを示していた。
心肺への刺激効果があったのか、22~23マイルの区間は比較的楽になった。やはり長丁場を走り抜くには、時々ダッシュを入れたほうがいいのかもしれない。
そして24マイル目。下り勾配を一気に駆け下りる魅惑のダウンヒル!
光り輝くミシガン湖のパノラマが左手に広がる!
高揚した気分を抑えきれなくなり、ペーサーのマットを追い抜き、そのまま勝負をかけようと試みた。その時、クリスティが自分よりも早い時点でスパートをかけ、いつのまにか10メートル以上先に行ってしまっていることに気がついた。必死に追いかけようとしたが、一向に差は縮まらない。それどころか、ますます水を空けられていくように見えた。若さが違う、と感じた。あと1~2年もすれば、最初から勝負にならないほどの実力差がついてしまうだろう(あとでリザルトを見ると、3時間32分台でゴールしていた)。
そうこうするうちに、マットがまた追いついてきた。ここまで一緒に走っていると、さすがに連帯感が芽生えてくる。最後の1マイル。エネルギー切れ寸前の状態で必死に脚を運んでいると、マットは時おり自分を振り返りながら「頑張れ!もうすぐだ!」と声をかけてくれた。
26マイル過ぎ。まっすぐに伸びたコースの先に白いゴールゲイトが天国の門のように輝いて見えた。その門の下、赤い文字のデジタル時計は3時間34分台を示している。またしてもギリギリの勝負だ!
沿道の大声援、そしてゴール手前に先回りして待ち構えるマットがエールを送る中、最後の力を振り絞ってゴールゲイトを駆け抜けた。
Finish Time 3時間34分24秒(8:11/mile)。
自己歴代1位!
フルマラソンとしては今年3月のB&Aトレイルマラソンのタイム(3:35:20)を上回り、初めて3時間35分の壁を破る画期的な自己ベスト更新となった。これで「BQ-5分」となり、2014年のボストンマラソンはエントリー第1週目で申し込めることになる。
ゴール後はよほど足元がフラフラだったのだろう。完走メダルをかけてもらうと、スタッフに抱きかかえられながら、ようやく自力で歩くことができるという有様だった。「I did it...I set personal best...」
笑いながら言ったつもりだったが、熱いものが頬を伝っているのがわかった。
持てる力は、すべて出し切った。これ以上望むものは何もない。
それにしても素晴らしい大会だった。派手さはないが、エンターテイメント指向とは正反対の硬派な雰囲気がいい。今の自分には、こういう大会のほうが合っているようだ。
真剣勝負でタイムを狙うには、最高の大会と言えるだろう。
■MEMO■
総合順位 378位/2172人中
男女別順位 293位/1202人中
年代別順位 29位/139人中
前半ハーフ 1時間46分41秒
後半ハーフ 1時間47分43秒
(落差 +1分02秒)
★スタート会場となったグラフトン・ハイスクール。宿泊ホテルからシャトルバスに乗り、約40分で到着する。
★スタート直前までハイスクールの校内で待機できる。
★大きな大会のような「コラル分け」はなく、目標タイムの立て札の近くからスタートすれば良い。
★ゴール手前に作られた仮設スタンドで応援する人たち。
★白いゴールゲイトを背景に 記念撮影。
★手に持っているのはビールではなく、温かいコーヒー。最高気温も10℃に届かない寒さだった。
★完走メダルとお土産にもらったBrooks製のハイテクシャツ。 これで米国18州+DCを制覇。
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9月16日(日曜日)、ロックンロール・フィラデルフィア・ハーフマラソンに参加。
このレースを走るのは3年連続5回目になるが、走るたびに思うのは、これこそ秋の開幕戦に最もふさわしい大会であるということ。
毎年のように好天に恵まれるし、コースも走りやすく、イベント的にも盛り上がる。何よりも運営がしっかりしているので、1万5千人が参加するマンモス大会にもかかわらず、混雑をまったく感じさせないのが素晴らしい。
今や「不動のトップバッター」の位置付けで、フルと同等の本命レース。7月のサンフランシスコマラソン終了後は、この大会1本に絞って走り込みを重ねてきた。目標は昨年のタイムを1分上回る1時間38分20秒。これを達成するためにはマイル平均7分30秒で走らなければならない。少し前の自分にとっては考えられないペースだが、今このコースを走れば不可能ではない気がした。
アメリカ国歌の斉唱が終わると、地元の英雄「ロッキー」のテーマ曲が高らかに鳴り渡る。毎度ながら、わくわくするようなオープニングだ。フィラデルフィア美術館前に伸びるBenjamin Franklin PKWYから朝日が昇るフィラデルフィア・ダウンタウンに向かってスタート。このコースに関しては、強気に攻めて先手を取ったほうがいい。まずは最初の1マイル、「1回の表」の攻撃に全神経を集中する。
Mile 01: 7分20秒
Mile 02: 7分33秒(14分54秒)
Mile 03: 7分32秒(22分26秒)
Mile 04: 7分26秒(29分52秒)
Mile 05: 7分41秒(37分33秒)
Mile 06: 7分25秒(44分58秒)
10K地点: (46分33秒)
全力疾走の8割強のスピードを意識しながら1マイルの表示を通過。7分20秒。昨年は7分30秒なので10秒速い。つまり、この時点で先制点を入れたという意味になり、精神的に優位に立った。ロケットスタート成功。もちろんこのペースでは押し切れないので、2マイル以降は多少抑え気味にする。4マイルでスタート地点に近いLogan Circleに戻り、フィラデルフィア美術館を通過。川沿いを上流に向かうコースとなる。5マイル地点の手前がやや上りになっていて、ここだけ7分40秒以上かかった。相手に1点取られたような形になったが、すかさず反撃に出る。6マイル目は気持ちのいい下り。ここで一気に引き離すべく、果敢に勝負に出る。蛇行するコースを直線で走るという裏ワザも使いながら、秒単位で小刻みに得点を稼いでいく。
やがて10Kの表示を通過。46分33秒。
な・なんと10Kレースの自己ベストより1秒遅いだけという、とんでもないペース。
今年も神風が吹き荒れている・・・そう実感しながら、後半戦に突入していく。
Mile 07: 7分30秒(52分28秒)
Mile 08: 7分30秒(59分58秒)
Mile 09: 7分25秒(1時間07分23秒)
Mile 10: 7分21秒(1時間14分44秒)
Mile 11: 7分13秒(1時間21分57秒)
Mile 12: 7分23秒(1時間29分20秒)
Mile 13: 7分21秒(1時間36分41秒)
風光明媚な川の流れを左手に見ながら、さらに上流に向かう7~8マイル。常識的に考えれば川の上流は「上り」になるはずなのだが、そうならないのがこのコースの不思議なところで、どう見ても下り勾配にしか見えない。正念場は9マイル目。途中で川の対岸へ左折する橋越えがあり、その手前が若干上りになっている。昨年まではここでペースが落ちたのだが、今年は意識して踏ん張り、逆にペースアップに成功した。これが大きなターニングポイントとなり、対岸の下流に向かうコースではさらにペースが上がることになった。
10マイルの通過タイム、1時間14分44秒。ここを1時間15分以内で通過することが重要なポイントだったので、かなり優位な展開になっていることを確信する。余程のことがない限り勝利は間違いないだろうという思いも出てきたが、もちろん油断はできない。試合終了まで気を抜かず、集中力を維持することが大切だ。
11マイル目は7分13秒の最速ラップを計時。意識して加速したわけではなく、自然にスピードが出たような感覚。このあたりも、やはり神秘的な追い風のなせる業かもしれない。中盤で思い切って勝負に出たこともあり、最後の2マイルは余力がほとんどなく、必死に脚を運んでいるだけの状態だったが、それでも7分20秒台を維持。最後まで失速することなく、フィラデルフィア美術館前の大観衆の声援を浴びて、ゴールゲイトを駆け抜けた。
Finish Time 1時間37分27秒(7:26/mile)。
自己歴代1位!
またもや信じられないドラマが生まれた。
な・なんと、今年2月にRock 'n' Roll St. Peteで樹立したばかりの自己ベスト(1:38:56)を1分30秒近く更新!
野球でいえば、序盤で先制点を上げ、中盤で追加点を入れ、終盤で突き放すという理想的なゲーム展開。
しかもこの球場特有の「異次元からの風」 にも助けられ、要所要所で打球の飛距離が異常に伸びるというミステリー。
やはりここには魔法使いが潜んでいるのか?
そもそも、マイル平均7分26秒とは、いったいどうなっているのだろう?
10Kの自己ベストでさえマイル7分30秒程度なのだから、10Kよりもハーフのほうが速いという逆転現象が生じていることになる・・・
1時間37分台というのは、実は来年の目標だったので、あと1年くらいハーフマラソンを走る必要はなさそうだ。
3月のNYCハーフはすでに不参加を決めている(好きなコースではないし、エントリー代も高すぎる)ので、もしかしたら次のハーフマラソンは来年のロックンロール・フィリーになるかもしれない。
★今や全米24都市、カナダ・欧州を含めると30都市を傘下に入れたロックンロール・シリーズのワールド・ツアー。
★美ジョガーをデザインしたロックンロール・シリーズのポスター。ロックンロールの大会(特に米国内のハーフ)では女性ランナーが半数以上を占める。
★13マイル過ぎ、ゴールに向かって最後の力走。コースの両側、橋の上からも大声援が聞こえる。
★地元フィラデルフィア在住「どららの相方さん」と記念撮影。
★ロックンロール・シリーズ定番の無料ビールで祝杯。
★女子総合5位入賞の吉田香織選手。後ろの方にプレゼンターを務めたハリド・ハヌーチ氏の顔も。
★またもやアイドルとの2ショット実現(笑)
★お土産のハイテクシャツと完走メダル。
★フィラデルフィアが誇る世界遺産「自由の鐘」をデザインしたメダル・コレクション。左の2つがPhiladelphia Distance Run(2006, 2007)、右の3つがRock 'n' Roll Philadelphia 1/2 Marathon(2010, 2011, 2012)のメダル。
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7月29日(日曜日)、サンフランシスコマラソンを走る。
カリフォルニア州のレースは2010年のLAマラソン、2011年のディズニーランド・ハーフに続いて3度目。過去は2度ともLAの都市圏だったが、今回はまったく未知のベイエリアということで、現地在住のラン仲間(特に空港送迎から観光・打ち上げ案内まで仕切ってくれたW姫)に助けられた面が大きかった。
今年の年間計画では、フルの本命は10月のミルウォーキー・レイクフロント・マラソンに照準を合わせているので、その10週間前に当たる今回のレースではFinish Timeよりも内容を重視することにした。うわさに聞く激坂コースをイーヴンに近いペースで走れるかどうか。事前に現地のラン仲間から得た情報を頼りに、コース地図やエレヴェーション・チャートで自分なりにシュミレーションしてみたものの、やはり実際に走ってみないことには見当がつかない。とにかく撃沈だけはしないように後半に脚を残すレースを組み立てていくしかないだろう、という結論に達した。
午前5時30分、WAVE2からスタート。夜が明けていないので、まだ体が眠っている感じ。フロリダのディズニーワールドマラソンもそうだったが、真っ暗なうちにスタートしてしまうと足元が危なくてしょうがない。段差や障害物が突然現われ、思うようにスピードも出せないので最初の1マイルから9分近くかかってしまった。
Mile 01: 8分57秒(08分57秒)
Mile 02: 8分37秒(17分34秒)
Mile 03: 9分02秒(26分36秒)
5K地点通過: 26分57秒
Mile 04: 8分34秒(35分10秒)
Mile 05: 8分37秒(43分47秒)
Mile 06: 9分41秒(53分28秒)
スタート直後の序盤戦はフィッシャーマンズ・ウォーフからゴールデンゲイト・ブリッジにかけての北岸沿い。右手の沖合いに有名なアルカトラズ島が見えるかといえば、もちろん真っ暗で見えない。2.5マイルを過ぎたあたり、フォートメイソンに入ったところで最初の急な上り下りがあり、心臓に軽く刺激が入る。ここを過ぎると多少空が明るくなってきて、いよいよ前半戦のハイライト、霧に煙るゴールデンゲイト・ブリッジが右手前方の視界に入ってきた。そして5マイル過ぎ、金門橋へ向かう急勾配の上り。まだまだ先は長いので少しペースを落とし、できるだけ脚を温存するイメージで上りきる。急勾配から緩やかな勾配となり、そのまま巨大な橋を渡っていくのだが、いかんせん視界が悪く、景色は全然見えない。それだけならまだいいのだが、肝心の距離表示も橋の途中で見かけた6マイルを最後に行方不明になってしまった。
Mile 07: *表示見つからず
Mile 08: *表示見つからず
Mile 09: *表示見つからず
Mile 10: (ここまで1時間27分12秒)
Mile 11: *表示見つからず
Mile 12: *表示見つからず
Mile 13: *表示見つからず
中間地点通過: 1時間54分19秒
7マイル、8マイル、9マイルと距離表示が見つからないため、全くペースがつかめない。体感ではおそらく8分台後半くらいだろうか。金門橋の往路では何人かのラン仲間を見つけエールをかけ合う。往路が終わるとヴィスタポイントの展望台で折り返し、そのまま復路に向かう。その途中、先行していた前村さんの背中が見えてきて、しばらくすると追いつき、一気に追い抜く。このあたりになると体も軽くなってきたような気がする。しかし金門橋を渡り終えてしばらくすると、またしても急勾配の上りが延々と続き、ようやく10マイルの表示。それを過ぎると今度は転げ落ちるような下り・・・と徹底的に脚を使わせられる。そこからゴールデンゲイト・パークに向かうコースも上ったり下ったりで、公園入り口の中間地点にたどり着く頃には、すでに20マイルも走ったような感覚になった。前半ハーフは1時間54分19秒で通過。単純に2倍すると3時間48分台。後半少しでもペースダウンしようものなら3時間50分を越えてしまうような展開になってきた。
Mile 14: 8分27秒(2時間01分47秒)
Mile 15: 9分10秒(2時間10分57秒)
Mile 16: 9分09秒(2時間20分06秒)
Mile 17: 8分56秒(2時間29分02秒)
Mile 18: 8分32秒(2時間37分34秒)
Mile 19: 8分27秒(2時間46分01秒)
Mile 20: 8分35秒(2時間54分36秒)
これ以上ペースを落としたらサブ4も危ないので、どこかで挽回したいと思うものの、なかなかきっかけが掴めない。13~14マイルは下り基調で多少脚が回復してきたような気がしたが、15マイルでまた急勾配な上りがあり、さらに17マイルまで断続的な上りが小刻みに続く。ここを過ぎるとようやく下り基調となり、どうにか再び脚が生き返ってきたような感覚になった。頼りになるには直近1ヶ月で300km近く走った練習量のみ。それがなければとっくに気持ちが折れていただろう。
19マイルでゴールデンゲイト・パークを出て、ダウンタウン方面に向かう路上に出る。意識としてはフルマラソンの後半ではなく、中間地点からハーフマラソンが新しく始まっただけなのだ、と自分に言い聞かせること。その自己暗示は意外に効果があり、大幅なペースダウンを防止するのに役立った。
Mile 21: 8分17秒(3時間02分53秒)
Mile 22: 8分31秒(3時間11分24秒)
Mile 23: 8分36秒(3時間20分00秒)
Mile 24: 8分36秒(3時間28分36秒)
Mile 25: 8分31秒(3時間37分05秒)
Mile 26: 8分28秒(3時間45分35秒)
20マイル過ぎで再び転げ落ちるような下り。まだ残り6マイルあるので、ここでも脚を使いすぎないように摺り足走法で切り抜ける。ダウンタウンに入ってからのコースは比較的平坦ではあるものの、南に折れるたびに小さな上り坂があり、決して完全はフラットにはならない。24マイル目(後半ハーフの11マイル目)まで来ると、ようやくこのままイーヴンでゴールできそうな見通しが出てきた。このあたりで地元ベイエリアの日本人ランニング・クラブ(BAJR)の応援があり、エールに応えながら最後の追い込みに向けて若干ピッチを上げていく。25マイルでMLBサンフランシスコ・ジャイアンツの本拠地AT&Tパークを通過。ここまで来ればあと一息。最後の意地で先行する何人ものランナーを追い抜きながら、銀色に輝くベイブリッジ近くのゴールゲイトにたどり着いた。
Finish Time 3時間47分15秒(8:41/mile)。
この数字だけを見れば歴代10位にも届かない平凡なタイムだが、それにもかかわらず高く自己評価したいと思うのは、その内容にある。
前半ハーフ 1時間54分19秒
後半ハーフ 1時間52分55秒
なんと1分24秒差で前半よりも後半のほうが速いネガティヴ・スプリットを達成!
「激坂コースをイーヴンに近いペースで走る」 という当初の目論見は見事に成功した。
フルで自己ベストを叩き出すには前半からある程度突っ込んでいく冒険も必要なのだが、自分の場合、それはフラットコースでないとできない。少し休んだらあと10週間走り込みを積んで、秋の本命レースで大輪の花を咲かせてみたいと思う。
★EXPO当日はわっきー&ひ。姫と待ち合わせてゼッケンをピックアップ。会場でコスメル前村さん、ミニ~ちゃん+お友だちと合流する。
★ミニ~ちゃん+お友だちと分かれたあと、フィッシャーマンズ・ウォーフのタイ料理店で昼食。
★その後、わっきー姫のドライヴでゴールデンゲイト・ブリッジへ。実は前日にも来ていたのだが、その時は霧でほとんど見えず。しかしこの日は一転して快晴に恵まれ、見事な絶景を楽しむことができた。
★ゴール後、ベイブリッジを背景に記念撮影。(撮影 by ひ。姫)
★ゴール後の美味しいビール。先にゴールしていたオケさん、かなぶん姫と合流。
★LA、ノースカロライナからもお馴染みのラン仲間が集まる。
★地元ベイエリアと全米各地からの遠征ランナーを合わせると実に50人に達した打ち上げパーティ。
★金門橋完成75周年を記念するグッディバッグ、ゼッケンと完走メダル。
7月21日(土曜日)、地元NJ州のテタボロー空港5Kレースに5年連続出場。例によってプライヴェート・ジェット機の発着する完全フラットな滑走路コースを往復する。
今回も多額の賞金目当てで800人を越えるランナーが参加。入賞レベルも年々高くなり、自分の年代(♂50-54)でも17~18分台を出さないと、上位に食い込めなくなってきた。
毎年そうなのだが、ここのレースはマイル表示に癖がある。
最初の1マイルが長く、2マイルは短い。
今回も1マイル目は7分34秒だったが、2マイル目は6分50秒(合計14分24秒)というラップが出た。
実際はほとんどイーヴンで走っているはずなので、ここは冷静に「マイル平均7分12秒」と大雑把に割り出すのが賢明。従来の自己ベストはマイル7分14秒なので、残りを同じペースで粘れば自己ベスト更新の可能性も出てきたことを知る。
今回は気温20℃前後の涼しいコンディションで、この時期としては異常なほど恵まれていたが、それでも最終マイルの段階になると日差しも強くなり、決して楽な闘いではない。前を行くランナーに必死に食らいつくようにしながら、死力を尽くしてゴールゲイトにたどり着いた。
Finish Time 22分22秒(7:12/mile)。
自己歴代1位!
先日の「NY Giants 5K」で記録したタイムを4秒上回る自己ベストを達成!
これで6月の「Matt Fenton Memorial 5K」に始まる夏の5K祭りは22分30秒→22分26秒→22分22秒と4秒刻みでタイムを短縮したことになる。5Kレースは毎回秒単位の闘いなので、全く息を抜くことができないが、それだけに「凝縮されたドラマ」を存分に楽しむことができる種目とも言えるだろう。
★昨年はハイテクシャツだったが、今年は再び木綿のシャツに戻る。スポンサーとなっている電気会社「PSEG」からの電球のプレゼントは今年も健在だった。
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6月24日(日曜日)、NFLニューヨーク・ジャイアンツが今年2月のスーパーボウルを制しチャンピオンになったことを記念して開催されることになった「NYジャイアンツ5K」というレースに参加する。会場はNJ州イースト・ラザフォードにあるメドウランド・スポーツ・コンプレックス。セントラルパークに本拠を置くNYRRレースがNJ州で開催されるのは非常に珍しく、自分の記憶ではおそらくこれが史上初ではないかと思われる。
もしかしたらチャンピオンになった年の限定開催で来年以降はもうやらないかもしれず、そう考えるとなおさら希少価値が高い。さらにこの週末はセントラルパークで別のNYRRレースも行なわれているということもあり、NYからの参加者は少ないだろうと予想され、そうなると年代別で上位に行く可能性も高い・・・というわけで、まさに願ってもない穴場レースである。
スタートは午前9時。折りからの猛暑は峠を越えていたが、それでも23~24℃はあっただろうか。作戦としては最初の2マイルは80%程度の出力で余裕を残し、最後の1マイルで全開・・・のつもりだった。
まずはスタジアム西側の駐車場からスタジアムとは反対方向にスタートし、ステイト・フェアが行なわれている会場をぐるっと迂回する形で最初の1マイルを通過する。7分09秒。前回のリトルフェリーでの5Kと全く同じような序盤戦。飛ばしすぎないように抑えているつもりだったが、コースがフラットということもあって、予想以上にスピードが出ていたようだ。ひとまず「調子がいい」と前向きに判断し、このままのペースで押してみることにする。
続く2マイル目。いつもバス通勤しているワシントン・アヴェニューを高架線で越えていくところがあり、ここだけ上り下りがある。やがてIZOD CENTERの裏側に出て2マイルを通過。7分13秒。やや落ちてきたが、前回の5Kほどの落ち幅ではない。ということは、この時点で自己ベスト更新の可能性も出てきた。もちろん秒単位の争いなので、最後まで予断は許さないが・・・
そして最終マイル。考えてみればほとんど日陰がないコース。じりじりと直射日光が照りつけ、体感温度が上がっていくが、闘いが終わるまで暑いなどと言っていられない。再びワシントン・アヴェニューを越える高架線を全力で上り、息を整えながら下ると、目の前にNYジャイアンツの本拠地メトライフ・スタジアムが見えてきた。そして建物の手前で、さらに左方向へ半周ほど迂回する。 とにかく、この最後の1マイルは途方もなく長い・・・
ようやくウエスト・ゲートにたどり着き、スタジアム内のフィールドに向かう坂を下ったところで、3マイルの表示。7分20秒。またしてもギリギリ。勝負は最後の0.1マイルの闘いに持ち越された。
スタジアム内に突入した瞬間、まさにスーパーボウル当日を思わせるような大歓声が湧き上がる!
そして全長120ヤードのグリーン・フィールドを爆走!
ゴールラインのデジタル時計が容赦なく時を刻む。間に合うか!?
やがて運命を左右するボールは灼熱のエンドゾーンへ。
審判の手はどちらに上がるのか?
Finish Time 22分26秒(7:14/mile) 。
自己歴代1位!
昨年のテタボロー空港5K、そして先日のリトルフェリーでの5Kレースでのタイムを4秒上回った。
そして年代別では5位。予想通り参加者が少なく(それでも男女合わせて3000人を越えるランナーが集まったが) 、NYRRレースでは過去最高のランキングとなった。
総合順位 184位/3002人中
男女別順位 165位/1687人中
年代別順位 5位/99人中
まさに起死回生のタッチダウン。
今年2月のスーパーボウルでの奇跡を再現するようなメイクドラマだった。
5Kレースはいつも秒単位の争いになるので最後まで息を抜けないのがしんどいところだが、それだけに凝縮されたドラマがあり、微妙に長い10Kに比べれば半分の苦しさで済むので、嫌いではない種目といえる。
これで「夏の5K祭り」 は7月のテタボロー空港5Kを残すのみとなった。
★NFLニューヨーク・ジャイアンツの新本拠地として2010年にオープンしたメトライフ・スタジアム。
マンハッタンからはNJトランジットの電車でアクセスできる。
★スタジアム内へ向かうランナーたち。坂を下りたところに3マイルの表示が見える。
★スタジアム内に突入。観客はいないはずなのに、スーパーボウルさながらの大声援が!?
★全長120ヤードのフィールドをゴールラインに向かって疾走!
★白熱の闘いを終えて、ゴールラインをバックに記念撮影。
★レース後はNYジャイアンツのロッカールーム・ツアーにも参加できる。
★オフ・シーズンなので、ロッカー内は綺麗に片づけられていた。
★ロッカー内からスタジアムのフィールドへ通じる出口。ファンの大歓声を浴びる瞬間。
★デザインのいいナイキ製ハイテクシャツ。これだけでもエントリー料の元が取れるかも。
6月8日(土曜日)、今年で40回目を迎える女子onlyのレース「NYRR Mini 10K」を見学する。
「NYRR Mini 10K」は世界初の女子ロードレースとして知られており、1972年の第1回大会では78人の女性ランナーが参加。現在では昨今のマラソンブームを反映して6000人を超える参加者を集める人気大会となった。
この歴史ある大会に、5大会連続のマラソン五輪出場を決めたリディア・シモン選手が参加・・・という情報を事前に入手する。
38歳という年齢を考えたら、残りの現役生活はそう長くないだろうし、もしかしたら今回がラスト・チャンスかもしれない・・・と思ったので、早起きしてセントラルパークに出動。まずはトランプタワー・ホテル前からのスタートを見届け、同じく見学に来ていたY夫妻を追って5マイル地点の応援ポイントに移動する。ここで馬次郎さん&撫子2人組と合流し、白熱のレースを観戦。
その後、ちらっとアワードセレモニーの様子を見てから、ゴール近くへ行ってみると、なんとマッサージ・テントのそばでリディア・シモン選手が地元の女性ランナーと立ち話をしているのを見つけた。
幸い取り巻きもなく、周囲にいた人たちもシモン選手の存在に気づいていないようだったので、立ち話が終わり荷物をまとめて帰ろうとしたタイミングで千歳一隅の2ショットをゲット。思わぬお宝コレクションが加わることになった。
やはり早起きは三文の得・・・と実感しながらセントラルパークを1周ジョグ。
★スタート前のリディア・シモン選手。選手紹介では一番最初にアナウンスされていた。
★表彰式で花束を贈呈された上位3名。Edna Kiplagat(中央)が32分08秒で優勝。
★レース後のパフォーマンスも女子onlyのバンド。
★リディア・シモン選手との2ショット実現! まさに絶妙のタイミングだった。
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6月3日(日曜日)、リトルフェリー町内会主催の5Kレースに2回目の出場。
昨年の第1回大会では予想を上回る449人の参加者を集め大成功となったが、今年はそれを上回る540人のランナー/ウォーカーが参加。TV放送局の「NY1」からも女性レポーターが取材に来ており、年に一度の「町の運動会」という雰囲気で大いに盛り上がった。
スタート会場は自宅から徒歩5分。レース名となっているMatt Fenton軍曹(2006年にイラクでのコンバット活動中に戦死)のメモリアル・セレモニー、ブラスバンドによる荘重な国歌演奏に続き、午前9時にレース開始。気温が20℃に届くか届かないかくらいで、日陰に入れば比較的涼しいコンディションだった。
ガンタイム・オンリーなので遠慮なく道路に書かれた白いラインのすぐ後方からスタートする。
最初はまっすぐに伸びるメインストリート。その途中で自宅の前を通る。やがて左に折れてしばらく行くと1マイルのデジタル時計。なんと7分09秒で通過した。
作戦としては7分20秒台から徐々にビルドアップして7分前後まで上げていくつもりだったが、その青写真は見事に崩壊。珍しく闘争本能にまかせて突っ込んでしまう序盤戦となった。こうなったら行けるところまで行くしかない。集団から遅れないようにし、追い抜けるランナーは容赦なく追い抜いて次のデジタル時計に到達。7分19秒。多少落ちてきているものの、どうにかペースを保った。
そして最後の1マイル。前方には青いウェアの小柄の女性が、ほとんど同じ差を保ちながら先行している。後方からは大柄な男性ランナーがどどっと追い抜いて行った。若い。彼なら大丈夫だ。実は年代別入賞を狙っていたので、同世代のランナーにさえ追い抜かれなければいい、と思っていたのだ。
最終マイルは途方もなく長く感じた。曲がり角も多く、実際に歩数が多かったかもしれない。
3マイル目の通過ラップ、7分23秒。もうギリギリだ。ゴールゲイトまでの最後の直線は、それこそ死力を尽くしての全力疾走。青いウェアの女性ランナーとの差が手の届くところまで近づいた時点でフィニッシュ。自分の時計ではPRと同タイムか、あるいは1秒上回っているようにも見えた。
やがて注目のリザルトが貼り出される。
Finish Time 22分30秒(7:15/mile)。
昨年7月のテタボロー空港5Kと同タイムの自己歴代1位!
そして、なんと年代別3位入賞!
表彰式では特性の「銅メダル」を授与された。
昨年は4位だったので、この点に関しては見事リベンジを成し遂げたといえる。
また、一緒に参加したnew york KPさんも年代別3位に入り、日本人ダブル入賞を果たしたのも特筆すべきだろう。歴史の浅いレースではあるが、コースはフラットで走りやすく、リフレッシュメントも万全(ドーナツ+アイスティー付き)で、今後のますますの発展が期待される。
■追記■
その後、よくよくリザルトを見てみると、小数点以下の数字も表示されていることに気がついた。
秒までなら同タイムだが、秒以下の「写真判定」では微妙な差がついていたのである。
2012年 Matt Fenton Mamorial 5K → 22:30:09
2011年 Teterboro Airport 5K → 22:30:47
というわけで、わずか「0秒38差」で単独の自己ベスト更新であることが判明した。
総合順位 38位/540人中
男女別順位 29位/272人中
年代別順位 3位/23人中
★参加ランナーにインタビューするTV局「NY1」の女性レポーター。ランナーの着ているTシャツの背中にプリントされているのがMatt Fenton軍曹。
★レース後のリフレッシュメントはダンキン・ドーナツ。
★アワードセレモニーのテーブルに置かれた盾(男女総合1~3位)とメダル(年代別1~3位)。
★それぞれの年代で日本人ダブル入賞の快挙を達成。
★年代別3位の銅メダルと参加賞のハイテクTシャツ。
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1951年、クリーヴランドの伝説的DJ、アラン・フリードは当時流行していたアップテンポのリズム&ブルースの音楽に対し初めて「ロックンロール」という言葉を使った。その言葉があまりに的を得たものであったため、またたく間に流行語になり・・・以来「ロックンロール」は20世紀後半の新しい音楽ジャンルとして定着するようになった。
そのことから、クリーヴランドは「ロックンロール発祥の地」 といわれ、1995年には「ロックの殿堂(Rock and Roll Hall Of Fame and Museum)」も開館した。ここにはロックンロールの発展に大きな影響を残し、殿堂入りを果たしたミュージシャンやプロデューサーの記念品が展示されている。殿堂入りの対象となるのはデビュー25年以上を経過したミュージシャンで、もちろん故人が選ばれることもある。
1950年代初期のロックンロール黎明期に活躍したミュージシャンも含まれているため、日本人には馴染みの薄い人も多いが、それだけにアメリカ音楽の奥の深い歴史を一望するには恰好のアトラクションといえるだろう。
★ガラスのピラミッド状の壮大な外観。遠くからでもひときわ目立つ。
★今回の特別展示は1960年代から90年代にかけて活躍したロックバンド「グレイトフル・デッド」の特集。
★トレードマークの白い手袋に支えられた、マイケル・ジャクソンのギター・オブジェ。
★天井から吊り下げられた4台の自動車。
★メインフロアからエスカレーターで地下1階に降りたところからMAIN EXHIBITが始まる。
ここから先は写真撮影禁止だが・・・
★展示物の雰囲気を伝えるオフィシャル・パンフレット。アーティストの愛用したステージ衣装、楽器、レコードなど、貴重なお宝がこれでもかとばかりに登場する。
★1995年6月、開館当日のロックの殿堂。膨大なロックファンであふれかえっていた様子がうかがえる。
★「ロックの殿堂」を離れてダウンタウン中心部のタワーシティ・センター内。
ここにはなんと、ビートルズのギター・オブジェが。
★芸者風ロックンローラー。「異文化交流」をテーマにしていると思われる?
★タワーシティ・センターの南側入口近くにある3つのギター・オブジェ。右端のはどうやらゾウの顔らしい。
★タワーシティ・センター内のスポーツショップ。地元インディアンスのグッズが豊富にそろっている。
★タワーシティ・センター内にあるハードロック・カフェの看板。左に見えるのがMLBクリーヴランド・インディアンスの本拠地プログレッシヴ・フィールド。
★プログレッシヴ・フィールドの入口。クリーヴランドマラソンではちょうど11マイル地点にあたる。
★「火の玉投手」のニックネームで有名な大リーグ史上屈指の剛球投手、ボブ・フェラーの銅像。1930年代後半から50年代前半までクリーヴランド・インディアンスのエースとして活躍した。通算266勝。1962年に野球殿堂入り。背番号「19」はインディアンスの永久欠番となっている。
★通算600本以上のホームランを記録し、殿堂入りが確実視されるジム・トーミ選手。1991年から2002年までインディアンスの中心選手として活躍した。将来は銅像が建つことも約束されている?
★ダウンタウン中心部のパブリック・スクエア内にある「Soldiers and Sailors Monument(兵士と船乗りの記念碑)」。南北戦争の勝利を記念して建てられた。
★マラソン前日のパスタディナー会場となったハイアット・ホテルのアーケード。
★レストランの建ち並ぶ4番街。ダウンタウンの中で、ここだけは夜遅くまで賑っている。
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2009年の「飛ぶ豚マラソン」(Flying Pig Marathon)以来2度目のオハイオ州遠征となったクリーヴランドマラソン。全米屈指の音楽アトラクション「ロックの殿堂」(Rock'n'Roll Hall Of Fame)があることから「ロックシティ」と呼ばれるエリー湖岸の街クリーヴランドが春シーズンの最後を飾る舞台となった。
5月20日(日曜日) 。この時期になると、事実上は夏の気候。レースの数日前から華氏86度(30℃)近い最高気温が予報されており、これはかなり厳しい耐久レースになるだろうという予想から、塩ラーメンや塩せんべい、梅干し飴などを摂取しながらせっせとナトリウム・ローディングに励んだ。これが功を奏したのか、当日は脚を攣ったりするような大きなトラブルもなく無事完走することができた。
レースは朝7時、NFLクリーヴランド・ブラウンズの本拠地ブラウンズ・スタジアムの西側からスタート。この時点ではまだ華氏60度(16℃)程度だったはずだが、2マイルも走らないうちに汗だくになってきた。フルを走るにはこの気温でも高すぎるというのが正直なところだ。
Mile 01: 8分47秒(08分47秒)
Mile 02: 8分16秒(17分03秒)
Mile 03: 8分29秒(25分32秒)
Mile 04: 8分45秒(34分17秒)
Mile 05: 8分31秒(42分48秒)
Mile 06: 8分35秒(51分23秒)
10K地点通過: 53分04秒
スタート直後は上り勾配のハイウェイ。ニューヨークのヴェラザノブリッジほどではないが、それに近い滑り出しを連想させる。2マイルを過ぎると右手にエリー湖畔のヨットハーバー。そこから閑静な林間道路を経て、4マイル目の手前でまたゆるやかな上り。その後は緑豊かな住宅地に入っていく。5マイル、6マイルと比較的平坦なコースが続くものの、マイルペースは8分30秒台からなかなか上がらず。やはり体がついて行けてない。3時間35分前後を狙う場合でもマイル8分15秒平均を維持することが必要なので、この時点でベスト狙いはかなり厳しいというのがわかる。それよりもこのまま8分30秒平均を目安に最終目標を3時間40分レベルに下方修正するほうがよかろうと判断。ベスト狙いが厳しい時はアベレージ確保に徹するのも立派な闘いであると思う。
Mile 07: 8分22秒(59分45秒)
Mile 08: 8分28秒(1時間08分13秒)
Mile 09: 8分26秒(1時間16分39秒)
Mile 10: 8分34秒(1時間25分04秒)
Mile 11: 8分22秒(1時間33分35秒)
Mile 12: 8分19秒(1時間41分54秒)
Mile 13: 8分28秒(1時間50分22秒)
中間地点通過: 1時間51分13秒
目標を下方修正すると気が楽になったのか、8分20秒台のペースが出るようになってきた。もともと火がつきにくいほうだが、ようやく体がレースモードになってきたか。シティ・マーケットに突き当たる8マイルから直角の曲がり角が増え、10マイルの手前でノースヒルのような長い上り坂がある。それを過ぎるとMLBクリーヴランド・インディアンスの本拠地Progressive Fieldに向かってまっすぐに伸びる長い橋へ。ここの風景は前半のハイライトかもしれない。球場の手前で左に折れ、コースはいよいよクリーヴランドの中心街に突入する。12マイル過ぎでハーフのランナーと別れ、ルネッサンスホテルやハイヤットホテルの並ぶSuperior通りを通過。そこから繁華街Euclid通りに移る途中で中間地点を通過した。
1時間51分13秒。この先イーヴンで行ったとしても3時間40分切りは厳しい。逆にいえば無理に飛ばしていないので、大崩れしないペースでもある。もしかしたら3時間40分台前半なら確保できるかもしれない、という前向きな希望を持って後半戦に突入することとなった。
Mile 14: 8分33秒(1時間58分55秒)
Mile 15: 8分37秒(2時間07分32秒)
Mile 16: 8分25秒(2時間15分57秒)
Mile 17: 8分19秒(2時間24分16秒)
Mile 18: 8分18秒(2時間32分34秒)
Mile 19: 8分17秒(2時間40分51秒)
Mile 20: 8分09秒(2時間49分00秒)
レース開始から2時間を経過する頃には体感で華氏70度(21℃)を超える。それはもちろん予想されていたので、序盤戦の段階からスポーツドリンク(Power Ade)を積極的に補給し、エナジー・グミも早目のタイミングで摂取していた。それでも中間地点を過ぎたあたりから脚が重くなってきて、14マイル、15マイルのラップは8分30秒を超え始めた。このままズルズル失速していくと戦意喪失につながるので、どうにかして浮上するきっかけがほしい、と思っているところへ、男性2人組の3時間40分のペーサーが追いついてきた。このまま引き離されるとあっという間に3時間45分→3時間50分と落ちてしまうと直感したので、2人組のペーサーを命綱にするべくギアチェンジを試みた。おかげで16マイルは8分20秒台に持ち直し、さらに17マイルでは8分19秒にペースアップ。今思えば、ここがレース上での大きなターニングポイントだったかもしれない。
そして17マイル過ぎ、 Martin Luther King Dr.の長いダウンヒルに突入する。この地域はUnivercity Circleと呼ばれる緑に恵まれた名所。ここからエリー湖岸に向かって3マイル続く下り勾配を、2人組のペーサーのすぐ後ろを追って一気に駆け下りた。マイルペースも8分18秒→8分17秒→8分09秒と加速。20マイルに至って究極のランナーズ・ハイが訪れた。
経験上、この時点でのランナーズ・ハイは本物のはず・・・と思ったので、勢いにまかせて21マイル目も爆走する。2人組のペーサーをかわし、エリー湖岸のBike Pathをぐんぐんとスピードアップ。最速ラップの7分49秒を計時した。これが涼しい時期のレースだったら、この勢いでゴールまで押し切ることができたかもしれない。3月のB&Aトレイルマラソンと似たような展開でもあり、この時点では間違いなくネガティヴスプリットを意識していたのである。
Mile 21: 7分49秒(2時間56分49秒)
Mile 22: 8分38秒(3時間05分27秒)
Mile 23: 9分02秒(3時間14分29秒)
Mile 24: 9分20秒(3時間23分49秒)
Mile 25: 9分11秒(3時間33分00秒)
Mile 26: 9分40秒(3時間42分40秒)
しかし・・・22マイルからが試練だった。Bike Pathが終わってからのコースが市街地のややさびれた区域になり、微妙な上り坂もあって精神的にキツくなってきたのもあるが、スタートから3時間を経過する午前10時になってから、気温も明らかに華氏80度(27℃)を超えてきた。23マイル、24マイルあたりは急激に脚が重くなり、マイルペースも9分台に落ちる。こうなるとペーサーを追いかける余力もなく、歩きたい誘惑との闘いになった。ちょっと前まであれほど元気だったのにこうも落ちるものなのか、と驚くほどの消耗ぶりで、とにかく早く終わってほしいとそればかりを願っていた。
それでも25マイルを過ぎるとゴール近くの大歓声が耳に届いてくる。殺風景なシーンがようやく終わり、巨大なガラスのピラミッド「ロックの殿堂」 に向かう下り坂に突入。ここを駆け下りると26マイル。そして左に折れてしばらくするとブラウンズ・スタジアムの手前にゴールゲイトが見えてくる。そしてゲイト上のデジタル時計が3時間44分台を示しているのが見えた。なんとか45分になる前にゴールしたい、その一心で最後の力を振り絞り全力疾走。最終的にクロック・タイムは45分を少し超えたものの、ネット・タイムでは間違いなし・・・という絶妙のタイミングでゴールゲイトに到達した。
Finish Time 3時間44分34秒(8:34/mile)。
総合順位 431位/2598人中
男女別順位 347位/1564人中
年代別順位 23位/139人中
20マイルまで2人組のペーサーを追っていた時、一緒に走っていたランナー同士の会話から、いつもは3時間30分くらいで走るランナーが10分遅れのペースで走っていることがわかったので、このコンディションならベストタイムから10分落ち程度でも合格と考えていいだろうし、途中まで狙っていたネガティヴスプリットは成らなかったものの、前半ハーフ(1時間51分13秒)と後半ハーフ(1時間53分21秒)の落差を2分08秒に抑えることができたので、内容的には十分健闘したレース、と言っていいかもしれない。
また前回のオハイオ遠征・飛ぶ豚マラソンのタイム(3時間44分43秒)を9秒上回る「オハイオ・ベスト」を達成できたのもよかった。マラソンは自己ベストばかりがベストではなく、いろいろなベストで達成感を味わえるというのも魅力なのだ。
次のフルは10週間充電して7月のサンフランシスコマラソン。坂の多い難コースなので自己ベスト狙いで追い込むのは到底無理だろうが、2年前のLAマラソンのタイムを上回るカリフォルニア・ベストであれば十分チャンスはあるだろう。
★空港近くのI-X Centerで行なわれたクリーヴランドマラソンのExpo。ダウンタウンのハイアットホテルからシャトルバスで約30分のロケーション。
★Expo会場でYoshiさん、飛脚さんと落ち合い記念撮影。
★5-hour Energyのブースで美人スタッフと一枚。
★レース当日の朝、スタート会場となっているNFLブラウンズ・スタジアムへ。
★スタートライン近くにはタイムを表示したプラカードを持ったペーサーたちが集まっていた。
★スタートゲイトを背景にYoshiさん、飛脚さんと記念撮影。
★ゴール直後の1枚。暑さで体力を消耗してのゴールだったはずたが・・・
その割りには比較的元気だったかもしれない。
★今回は紫の衣装で「セクシャル・ヴァイオレットNo.1」を狙っていたが、彼女には明らかに負けた。こちらは3時間45分のペーサーを務めた地元オハイオのRoseさん。設定タイムからわずか3秒の誤差(3時間45分03秒)でゴール。ボストンマラソンにも何度も出場している実力派の「美・ランナー」である。
★ゴール後は無料ビール「Miller 64」がふるまわれた。やはり、これが至福のひととき。
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カンザスシティのダウンタウンで最も人気があり、地元の若者たちの集まる繁華街。それが2007年に誕生したパワー&ライト地区とよばれるエリアだ。
繁華街とはいってもそこは地方都市。ニューヨークのようにギラギラのネオンが延々と続いているわけではなく、わずか8ブロックの限られた区域にレストラン、ショップ、劇場などの娯楽施設が並んでいる。適度にさびれた雰囲気が、大都会の光景を見慣れている目にはむしろ新鮮に映る。
もうひとつ、夜の名所として忘れてはならないのが、18番街&Vine歴史地区。 その中心となるのがジャズクラブ「The Blue Room」を館内に含むアメリカン・ジャズ博物館だ。カンザスシティは「Bird」というニックネームで知られる偉大なアルトサックス奏者チャーリー・パーカーが生まれ育ち、1930年代には禁酒法を有名無実化させた当時のペンダーガスト市長による庇護もあってジャズが大流行したという歴史があることから、ジャズファンにはゆかりが深い街である。
また、同じ館内にあるニグロリーグ野球博物館も面白い。1947年にジャッキー・ロビンソンがブルックリン・ドジャースに入団するまで大リーグへの参加を禁止されていた黒人選手たちは、ニグロリーグと呼ばれる独自のリーグでプレーを続けていたのだが、当時使用されていたユニフォームなどの展示物を通して、その歴史を知ることができる。
★クラウンセンター方面から見たカンザスシティのダウンタウン。歴史的建造物と近代的なビルディングのコントラストがなかなか美しい。
★ニグロリーグが存在していた当時の看板。カンザスシティのチーム「モナークス(Monarchs)」は屈指の強豪として知られ、通算25回ものワールドチャンピオンに輝いた。
★カンザスシティ到着初日に訪れたレストラン「Gordon Biersch」。欧州からの輸入ビールのほか、地元で評判の地ビール「boulevard」なども楽しめる。
★全米14都市に点在するエンターテイメント・バー「Howl At The Moon」。こちらは昼の光景。
★夜を迎えた「Howl At The Moon」。いかにもオオカミの遠吠えが聞こえてきそうな雰囲気だ。
★ダウンタウンの繁華街「Power & Light地区」の入口にある青いネオン。
★ナイトライフの中心「Living Room」の会場。3人のカウボーイ&カウガールのネオンが印象的。
★カンザスシティで最も人気があるといわれる映画館「AMC Main Street」。
★18番街&Vine歴史地区のネオン。かつては60軒以上のジャズクラブで賑わったという。
★現在も週4回のジャズライヴが行なわれる「The Blue Room」。その向こうには定期的にライヴ・コンサートが行なわれる歴史的な劇場「GEM」のネオンも見える。
★「The Blue Room」出演者のスケジュールが窓に貼ってある。金・土のみカバーチャージ10ドル。
★アメリカン・ジャズ博物館の裏にあるメモリアル。横向きに座っているのがチャーリー・パーカーだろうか。
★アメリカン・ジャズ博物館(左)とニグロリーグ野球博物館(右)の共通エントランス。
★カンザスシティ・ダウンタウンの名所を紹介するブローシャー。一般受けする派手さはないが、マニアックな玄人好みのデスティネーションの一つとして、ぜひお勧めしたい。
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